初心者のクラシック

有名な曲からおすすめの曲まで、できるだけ初心者にも分かり易く紹介します。

ロベルト・シューマン(第10話)

2007年01月20日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はロベルト・アレクサンダー・シューマン(第10話)です。

≪作曲家の肖像≫
シューマン:ヴァイオリン協奏曲
フランク・ペーター・ツィンマーマン, トゥルルス・モルク, ハンス・フォンク, ケルン放送so., シューマン
東芝EMI

このアイテムの詳細を見る
【Robert Alexander Schumann】

不安定な精神状態なまま、作曲を続けるシューマン。しかし、なんとか合唱指揮のポストを受けます。ちょっと心配な感じのする続きからです。

(第10話)【音楽監督として】
 シューマンの精神状態はやや安定してはいたものの、この1848年にフランスでは2月革命が勃発しており、ドイツへもその余波が流れてきていたようです。シューマンの住むドレスデンにも革命の息吹は街にあふれていたようで、彼自身もこの革命思想には賛同していたようですが、なんせ精神状態は自分の事でいっぱいいっぱいだったようですから、実際に具体的な行動には現れていないようです。

 その後1849年、不安定な精神状態を抱えながら、「子供のためのアルバム」や「森の情景」などのピアノ曲を作曲していきますが、やはり精神状態は落ち着かずこの改善を計るべく、再びドレスデンを離れ、引越しを試みる事になります。

 1850年には、あのデュッセルドルフ市のフェルディナント。ヒラー氏からまたしても招待を受け、今度はデュッセルドルフの管弦楽団と合唱団の音楽監督に就任します。これに気を良くしたのか?!この年にはチェロ協奏曲と交響曲第3番「ライン」を作曲し、交響曲第3番「ライン」は翌1851年に自らの指揮で初演されることになります。

 これに続き1852年にはレクイエムやミサ曲などの合唱曲を作曲していきます。ところが、同時に続けていた音楽監督を続けるうちに、またしても精神状態が不安定になり言動にもおかしなものが目立つようになってくるのでした。

 シューマンの精神状態の不安定さから来る不可解な言動により、楽団員との関係にも次第に溝が出来てしまい、楽団員とうまくいかない事が多かったようです。そして1835年、遂に半ば追い出されるようにして、デュッセルドルフの音楽監督を辞任する事になってしまいます。

 しかし、そんな時にもひとり夫を弁護するのは妻クララでした。クララの日記には「なんて卑劣な人達でしょう」と夫シューマンを非難する楽団員たちを揶揄する言葉が残されているようです。

 ただ、指揮者や音楽監督という職には楽団員との深い意思の疎通が欠かせないものですし、もともと精神的な強さという点ではシューマンにこれを求めるのは酷な話なのかもしれません。それに、オーケストラに限らず指導者に能力が無いと見なすとプロ意識を持った集団なら、その指導者に対して攻撃的になってしまうのは自然な流れなのかもしれません。

 音楽監督としては追い出された格好になりましたが、作曲には取り組んでいたようです。楽団を追い出された同じ年にはヴァイオリン協奏曲を作曲しています。
 このヴァイオリン協奏曲は、シューマンの友人であるヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムが演奏したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴いて、インスピレーションを受けたシューマンがわずか2週間足らずで作曲した作品として、シューマンはこの曲をヨアヒムに献呈しますが、ヨアヒムはこの協奏曲を演奏せず、出版も許さなかったといいます。



精神状態が不安定なシューマンにはやっぱり音楽監督という重職は、文字通り荷が重かったようです。変な事にならなきゃいいんですが・・・、このつづきはまた明日。


音楽ブログランキング
   
「くつろぐ」ブログランキング⇔こちらもよろしく


最新の画像もっと見る

コメントを投稿