初心者のクラシック

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カミ―ユ・サン=サーンス(第4話)

2007年11月17日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はシャルル・カミ―ユ・サン=サーンス(第4話)です。

≪作曲家ゆかりの曲≫
序奏とロンド・カプリチオーソ
ヴェンゲーロフ,パガニーニ,サン=サーンス,ワックスマン,メータ(ズービン),イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
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【Charles Camille Saint-Saens】

フォーレやサラサーテなどの後進の指導を進めながら作曲をつづけるサンサーンス。ローマ賞は逃してしまいますが・・・、今日はその続きからです。

(第4話)【戦争と音楽】
1865年、音楽学校の教師の職を終えると、再び教会でオルガニストを続けていきます。
パリでの平穏な日々が続くかと思われたサンサーンスでしたが…、
1870年7月、フランスではナポレオン3世がドイツのプロイセンに宣戦布告をすると、普仏戦争が始まるのでした。

戦争が始まるとフランスは苦戦し、9月にはナポレオン3世が捕虜になってしまいますが、その後も戦争は続きます。すると、サンサーンスもこの戦争に従軍し、戦地へと赴いていくのでした。

更に戦況がフランス軍にとって悪化すると、プロイセン軍の侵攻は進み、パリを包囲されてしまいます。結局1871年にはヴェルサイユで休戦協定を結ぶことになりますが、フランスはプロイセンに2州(アルザス・ロレーヌ)を割譲させられ、更に50億フランの賠償金を支払うハメになってしまうのでした。

こうしてボロボロになった祖国フランスでしたが、サンサーンスは音楽の道を突き進んでいくのでした。1月に結ばれた休戦協定から1ヶ月も経たないうちに「国民音楽協会」を設立します。

戦争に負けたフランス国民の意気消沈したムードを音楽で復興させようと考えたのかもしれません。協会の理念としては「音楽作品出版の是非を問わず、音楽活動を相互扶助によって全面的に支援する」という物を掲げフランス音楽の発展を進めようとしていきます。

サンサーンスのこの呼びかけにフランスの音楽家たちが共鳴し、協会の活動に参加していきます。フォーレをはじめフランク等々音楽家たちがフランス音楽を盛り上げようと、結集するのでした。

しかし、プロイセンに対するフランス政府の降伏をよしとしない労働者階級のパリ市民が蜂起して1871年3月にパリ・コミューンをフランス各地で立ち上げると、パリは再び混乱状態に陥ってしまい、サンサーンスもパリを離れることになってしまうのでした。

結局サンサーンスもロンドンに難を避け、パリの混乱が治まるのを待つ事になるのでした。


音楽を続けたいサンサーンスでしたが、普仏戦争にも従軍しますが、結局パリを離れることになってしまいます。このつづきはまた来週。


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