何とはなしに、久しぶりにいとうせいこうの『解体屋外伝』が読みたいな〜、と思って本棚を探したけど、どうやら実家に置いてきてしまったようでありませんでした。引用されてた『死者の書』(折口信夫)はあったのに。(笑)
仕方なくネットを徘徊して他の人の書評を読んだり、最近漫画化されてたのを知って驚いたりしております。漫画版はこちら。↓
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BC-1-%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86-%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%86/dp/4757521251/ref=pd_sim_b_4
まあ小説の内容等は別のブログさんに詳しく書いてあるのでここでは割愛します。で、ここではそれらを読んだり、内容を思い出したりしながらこの本をよんで感じたことなどを書いてみようかと思います。
個人的にこの小説、「音声」としての言葉の重みを感じるのです。もっといえば「書かれた言葉」ではなく、「音に出して発せられた言葉」に対する重み、です。
それは自己と他者とのコミュニケーションをとる最も根源的な方法でもあり、主人公である解体屋(洗脳外しのプロ)最大の武器でもあります。
「暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある」と解体屋とソラチャイが二人で交互に言い合うシーンなんかに、端的にそれが表れているように思います。
そして「意味のある言葉」のカウンターパートとして(あるいはより根源的なものとして)「音そのもの」を設定している点にも注意が必要です。
洗脳戦に敗れ自己を壊された解体屋は、意味のある「キーワード」ではなく、師である錠前屋と同じ声紋を持つソラチャイの「声」によって自己を取り戻します。同じように、ノビルの発する意味のない「メロディー」によってたびたび解体されそうにもなる。
なにが言いたいかというと言葉を発することそのものが既に暗示の範疇にあるのであって、人間は自らを暗示にかけることでようやくこの訳のわからない世界に「意味」を持たせて生きていくものなんだろうなあ。ということです。
あとこういう音に対するこだわりみたいなものはおそらくいとう氏がラッパーだと言うことと深いつながりがあるのかなと勝手に思ってます。同じ内容でも、書かれた文章を黙読するより、それを口に出して(できるならリズムに乗せて)言うほうが圧倒的に伝わるということですね。まあ、話し言葉のほうが書き言葉よりも古くからあるわけですから当然といえば当然なんですけど。
そういえば、この小説の文章のリズム感とか、疾走感とかはまさにラップというか、「口に出された言葉」の持つそれだと感じます。(蛇足ですが、口べたな私は文章書くのも苦手です。しゃべり上手な人の書く文章の方が、圧倒的にリズム感がいいと思います。)
で、なんでそんな人間がぐだぐだこんな文章を書いているかというと、さっき『解体屋外伝』検索結果を巡ってたら某所でこんなのみつけたからです。
http://www.youtube.com/watch?v=wWfajsFpHoA
暗示の外に出ろ。私たちには未来がある。
私の中での解体屋はさえない中年男性というイメージだったんだけど、まさにそんな風体のいとうせいこう氏がこの台詞を叫ぶのを聞くと、こう感じずにはいられませんでした。
「やっぱりあなたが解体屋だったんだね、いとうさん…。」
巨大地震とそれに続く原発事故で明日が今日と同じように続くかどうか不安で、でも何かを変えなければならないのにどうすれば良いかわからない、今このとき、この台詞を叫び、「なくてはならない!」と続けるいとう氏。
どこか痛々しくて、たまらなく切実で、でもとびっきりかっこいいです。駄文書きにこんな文章書かせるほどに。
仕方なくネットを徘徊して他の人の書評を読んだり、最近漫画化されてたのを知って驚いたりしております。漫画版はこちら。↓
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BC-1-%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86-%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%86/dp/4757521251/ref=pd_sim_b_4
まあ小説の内容等は別のブログさんに詳しく書いてあるのでここでは割愛します。で、ここではそれらを読んだり、内容を思い出したりしながらこの本をよんで感じたことなどを書いてみようかと思います。
個人的にこの小説、「音声」としての言葉の重みを感じるのです。もっといえば「書かれた言葉」ではなく、「音に出して発せられた言葉」に対する重み、です。
それは自己と他者とのコミュニケーションをとる最も根源的な方法でもあり、主人公である解体屋(洗脳外しのプロ)最大の武器でもあります。
「暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある」と解体屋とソラチャイが二人で交互に言い合うシーンなんかに、端的にそれが表れているように思います。
そして「意味のある言葉」のカウンターパートとして(あるいはより根源的なものとして)「音そのもの」を設定している点にも注意が必要です。
洗脳戦に敗れ自己を壊された解体屋は、意味のある「キーワード」ではなく、師である錠前屋と同じ声紋を持つソラチャイの「声」によって自己を取り戻します。同じように、ノビルの発する意味のない「メロディー」によってたびたび解体されそうにもなる。
なにが言いたいかというと言葉を発することそのものが既に暗示の範疇にあるのであって、人間は自らを暗示にかけることでようやくこの訳のわからない世界に「意味」を持たせて生きていくものなんだろうなあ。ということです。
あとこういう音に対するこだわりみたいなものはおそらくいとう氏がラッパーだと言うことと深いつながりがあるのかなと勝手に思ってます。同じ内容でも、書かれた文章を黙読するより、それを口に出して(できるならリズムに乗せて)言うほうが圧倒的に伝わるということですね。まあ、話し言葉のほうが書き言葉よりも古くからあるわけですから当然といえば当然なんですけど。
そういえば、この小説の文章のリズム感とか、疾走感とかはまさにラップというか、「口に出された言葉」の持つそれだと感じます。(蛇足ですが、口べたな私は文章書くのも苦手です。しゃべり上手な人の書く文章の方が、圧倒的にリズム感がいいと思います。)
で、なんでそんな人間がぐだぐだこんな文章を書いているかというと、さっき『解体屋外伝』検索結果を巡ってたら某所でこんなのみつけたからです。
http://www.youtube.com/watch?v=wWfajsFpHoA
暗示の外に出ろ。私たちには未来がある。
私の中での解体屋はさえない中年男性というイメージだったんだけど、まさにそんな風体のいとうせいこう氏がこの台詞を叫ぶのを聞くと、こう感じずにはいられませんでした。
「やっぱりあなたが解体屋だったんだね、いとうさん…。」
巨大地震とそれに続く原発事故で明日が今日と同じように続くかどうか不安で、でも何かを変えなければならないのにどうすれば良いかわからない、今このとき、この台詞を叫び、「なくてはならない!」と続けるいとう氏。
どこか痛々しくて、たまらなく切実で、でもとびっきりかっこいいです。駄文書きにこんな文章書かせるほどに。











TBありがとうございます。
いとうせいこう氏自らが発する「暗示の外に出ろ」・・・何か、震えました。
コメントありがとうございます。
ね、ほんとこの動画すごいですよね。いとうさんかっこよすぎです。一生ついて行こうと思いました。