酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ミチロウ&PANTA~稀有な魂の感応に揺さぶられた夜

2017-06-28 17:15:40 | 音楽
 ゴールデンウイークに帰郷し、母の暮らすケアハウスで見たワイドショーに、兆候を感じていた。あれから1カ月半、藤井聡太狂騒曲は今や、常軌を逸した〝ファシズム〟を思わせる状況に至っている。29連勝を達成した夜、ニュース番組は軒並みトップで時間を割いた。将棋を指さない人も号外を手に歓喜し、人々が万歳する五輪さながらの地元の光景が映し出された。

 藤井の才能は〝神の子〟というしかないが、奔流に呑み込まれる国民性に危惧を抱いている。一方で、醜い顔を見過ぎたことが、今回の狂騒曲の背景にあるような気がしてきた。エゴ剥き出しの安倍首相、悪代官面の菅官房長官、怯えひきつった官僚たち、冷酷な打算が滲む小池知事……。彼らと対照的に真っすぐ純粋に生きる藤井は、日本人にとって濾紙のような存在なのだろう。

 先週末、「伝説なんてクソ喰らえっ!~遠藤ミチロウ×PANTA 2マンライブ~」(APIA40)に足を運んだ。本格的に活動を始めたのはPANTAが20歳(頭脳警察)、ミチロウが30歳(スターリン)とタイムラグはあるが、ともに1950年生まれの寅年だ。ミチロウが中心になって山形大学園祭に頭脳警察を呼んだことが出会いのきっかけだった。両者の共演に接するのは2回目で、MCに強い絆と互いへの経緯が窺える。

 ミチロウはドアーズの「ジ・エンド」をバックにステージに現れた。実は俺の中で、PANTAとは決定的な情報格差がある。ミチロウは今回を含めてライブは2本、映画「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」は観賞したが、アルバムは「FUKUSHIMA」を聴いただけ。スターリン時代は映像でしか知らない。

 それでもミチロウに限りないシンパシーを抱いている。学生時代にお世話になった先輩と同窓(福島高)であり、妹の命を奪った膠原病と闘っているからだ。同夜のステージを一言で表現すれば<情念>だった。ナイーブ、猥雑、アナーキー、自虐、叙情が坩堝で煮え、叫びで昇華する。「FUKUSHIMA」からも「NAMIE(浪江)」など3曲(多分)が歌われた。「PANTAさんに敬意を表して」と前置きし、「世界革命戦争宣言」(発禁になった「頭脳警察Ⅰ」収録)のアジテーションで締め括る。

 PANTAのステージを端的に表せば<世界観>だ。ワンマンライブ「悪たれ小僧」(昨年10月、新宿MARZ)は3部構成だったが、インターバルの長さに体調が心配になった。今回はアコギ一本で、喉を潤しながら絶妙のMCを挟み、柔らかに時は流れる。曲の数々は世界と対峙するロッカーの知性に裏打ちされていた。

 「R☆E☆D~闇からのプロパガンダ」から、「クリスタルナハト」への序章になった「Again&Again」、そしてテーマをジェノサイドに定めた「クリスタルナハト」から「ナハトムジーク」、「プラハからの手紙」、「夜と霧の中で」と進行し、「イスラエルを擁護するつもりはない。今や殺戮マシーンだから」のMCを挟んで「七月のムスターファ」(重信房子と共作した「オリーブの樹の下」収録)を歌う。アメリカのイラク侵攻直前、PANTAはバグダッドにいたという。

 俺の中のツインピークス、「マラッカ」と「1980X」の曲はセットリストになかったが、「万物流転」、寺山修司の詩に曲をつけた「時代のサーカスの象にのって」が演奏される。名曲を半世紀近く発表しているPANTAの才能に改めて感銘を覚えた。  

 最後はミチロウとの共演で、「さようなら世界夫人よ」(「頭脳警察Ⅰ」収録)を歌う。本屋で偶然、ヘルマン・ヘッセの詩集を手に取ったというが、俺は信じていない。ヘッセはアメリカのボヘミアン、ヒッピー、ニューヨークに集うアーティストたちに絶大な支持を得ていた。それを承知した上で詩に曲をつけたというのが俺の想像である。

 ラストはスターリンがパンク風にアレンジした「仰げば尊し」だ。この二人が歌うと微妙なダブルミーニングになって楽しめる。俺は時折、自分の老いを嘆いているが、6歳上のPANTAとミチロウは現在も自身の世界を広げている。稀有な魂の感応に揺さぶられた夜だった。
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