酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「Deluxe Edition」~阿部和重の実験に惑う

2017-04-06 23:07:08 | 読書
 チェルノブイリ周辺の現状を検証すれば明らかだが、福島原発事故がもたらす体内被曝は今後、首都圏を含めた広範な地域に及ぶだろう。国による避難解除は<放射能汚染は深刻ではない→若い世代の疾病(白血病や甲状腺がん)は原発事故と無関係→国や東電は補償する必要はない>を前提にしている。今村復興相の「自主責任」は失言ではなく、政府の冷酷な論理に則ったものだ。

 昨年8月以降、自主避難者のシビアな状況を記してぃた。「自主避難者によるお話会~原発避難、いじめ、住宅支援打ち切り問題などを巡って」(昨年12月)は心に刺さるイベントで、参加していた杉原浩司さん(武器輸出反対ネットワーク代表)はFoE Japan、希望のまち東京をつくる会(宇都宮健児代表)らと抗議活動を展開している。〝都民ファースト〟を掲げる小池都知事も復興相と立ち位置が変わらないことが、この間の経緯で明らかになった。

 現実はあまりに酷い。だが、俺の夢は濃密かつリアルで、焦燥感で叫びそうになりながら目覚めることも度々だ。夢の続きのような小説を読了した。阿部和重の「Deluxe Edition」(13年、文春文庫)で、帯に「時代を撃ち抜け~9・11/3・11をこえて」とある。21世紀の空気を織り込んだ12編からなる実験的な短編集だ。

 各作品のタイトルは曲名だ。阿部と親交があり、文庫版の解説を担当している福永信によれば、2作セットでレコードのA、B面という構成になっているらしい。日本的情念と超常現象への畏怖は変わらないが、阿部は従来と異なる貌を見せていた。作家としての腕の見せどころは<感情移入させて自分の世界に引き込む>ことだが、本作では意識的に読者を突き放している。入り込めたと思った刹那、主観が変わり、鏡の向こうに追いやられるのだ。

 ♯1「Man in the Mirror」では〝新しい人類〟の研究に孤島に赴いた科学者の主人公が、屈折したプリズムに吸い込まれてしまう。♯2「Geronimo-E,KIA」では、バーチャルな戦場に送り込まれた少年たちの二次元から、監視する監督の三次元へと視座が移り、現代の戦争の形が炙り出される。

 阿部の作品の特徴の一つは、登場人物が幼いことだ。♯10「The Nutcracker」、♯11「Family Affair」の2人の主人公は、それぞれ14歳、11歳である。評論「幼少の帝国-成熟を拒否する日本人」(13年)で論じた成熟拒否が、小説のテーマになっているのだろう。さらなる特徴は、性のタブーも恐れないこと。♯10では民話という仕掛けでロリコンとサディズムを昇華させ、♯4「Just LikeaWoman」では男権社会の暴力と性の垣根を描いている。
 
 阿部の小説の底には、不可視の支配への恐怖、集団化への忌避感が流れている。格差社会における若者の閉塞を表現した♯5「Search and Destroy」では、狩られる大人、狩る若者の主観を交錯させていた。日常と非日常の曖昧な境界を描いた♯「Sunday Bloody Sunday」も興味深い内容だった。

 文学と映画の違いはあるが、俺が阿部に重ねているのはロバート・アルトマンだ。複数の主観を再構成するという手法に共通点があるし、阿部の小説に頻繁に現れる地震、洪水、火事、爆発に、アルトマンの最高傑作「ショート・カッツ」のカタストロフィーが重なる。カオスを好む阿部が3・11を題材に書いたのが♯6「In a large Room with No Light」で、収束することなく物語は終わる。

 俺の感性のアンテナは錆び付いているから、阿部の実験を理解するのは難しかった。<ジグソーパズルから零れ落ちたピースの数々が、散乱したまま床に放置された>というのが本作の印象である。次回作では壊した後の予定調和的再構成を期待したい。

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