酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

イタリアンで優雅なひととき

2005-05-08 18:28:23 | 音楽

 牝馬2頭を天皇賞で推したらズッコケ、無視したマイルCでは1、2着……。モテない俺だけのことはある。「今度のGⅠは牝馬を切るぞ」と力んでみたが、よく考えたら不可能である、次はオークスなのだから。

 「冴えんなあ」と独りごち、フテ寝したい気分になる。こんな時に最適なのが、イタリア産プログレッシブロックだ。癒しの音でありながら、想像力を掻き立てる濃密さに満ちている。

 1970年代にルネサンスを迎えたイタリアンロックの精華は、復刻盤CDとして次々リリースされている。豊穣な土壌に蒔かれた種が、色鮮やかな花を咲かせていたのだが、日本では地味な扱いだった。「反音楽史」(石井宏著)は、捏造されて流布したクラシック史が、イタリア人の功績を消し去った事実を暴いていたが、この構図はロックでも変わらない。音楽に関する限り、イタリア人は不遇をかこつ定めのようだ。

 以下に、イタリアンロックのアルバム数枚について、簡単に感想を記したい。

 先月発売されたバンコの「ライブ75」は、奇跡的に発見された音源をリリースしたもの。スタジオ録音盤は内向きでゴシック調だが、ライブでは牧歌的で開かれた音になっている。演奏力の高さには驚かされるが、音楽性のみならず、メッセージ性の強さでも知られるバンドだ。

 ニュー・トロルズの「アトミック・システム」(73年)には、英国勢の影響が見え隠れする。全体的な構造はヴァンダーグラフ・ジェネレーター、トラッドの匂いはトラフィックというように。キーボードと管楽器のアンサンブルが心地よく、女性ボーカルも印象的だ。
 
 オサンナの「パレポリ」(73年)はジャズ色が強く、インプロビゼーションを前面に、凝縮された音が詰まっている。キング・クリムゾンやジェスロ・タルのファンなら、違和感なく入り込めると思う。

 イル・ヴァーロの「イル・ヴァーロⅡ」(75年)はフュージョン色の強いインスツルメンタルアルバムだ。曲名に「中近東」が使われていたり、シンセサイザーが琴に似た響きを奏でたりで、エキゾチックな雰囲気が漂っている。

 PFMの「幻の映像」(73年)は、静謐と混沌、繊細さと大仰さといったアンビバレンツを巧みに組み合わせ、ドラマチックな仕上がりになっている。キング・クリムゾンとヴィヴァルディが無理なく同居したって感じか。

 フォルムラ・トレの「夢のまた夢」(72年)はジャンルを超越している。ポップで幻想的、バロック調で官能的……。形容詞を幾つ上塗りしても説明しきれない。同じ頃のチック・コリアの作品群と比べても遜色ない完成度で、「妖精」や「マッドハッター」のペタンチックな音を好まれる向きにはお薦めだ。

 音楽から受ける印象も同じだが、イタリア人は謎めいている。サッカーなら「カテナチオ」と「ファンタジスタ」、映画なら「リアリズム」と「幻想」……。相反する志向が奇妙に調和している。カトリックの総本山でありながら、国民性は奔放で情熱的だ。ユーロコミュニズムの拠点として、教会と相容れないはずの共産党が大きな支持を得たこともある。寛容さ、キャパシティーの大きさは、歴史によって培われたものなのだろうか。

 今夜、ACミランとユベントスが対決する。勝った方がスクデットを手にする可能性が高い。ピザでも頬張りながら、理屈抜きに大一番を楽しむことにしよう。
コメント
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