投稿動画サイトとして人気を博しているYouTubeには、一口に動画といっても様々な素材がアップされているのだけれど、僕のような年季の入ったロック・リスナーにとっては、何と言っても音楽ネタの充実ぶりがありがたい。
正月中は、いろいろたまっていた自分のサイトのコンテンツをこしらえるのに没入する予定だったのに、PCに向かうと結局なんやかや、YouTubeを開いてしまった。いったん観始めると、つい関連映像を数珠繋ぎにたどってしまって、いつの間にやら夜中になっていることも多い。
中でもハマってしまったのが、セックス・ピストルズの映像である。
ピストルズは話題性豊富で、映像ネタの多いバンドの筆頭のように思われがちだが、丸々一曲を通してちゃんと観れるライヴの映像には、お目にかかったことがなかった。アフレコのPVしか観たことがない。90年代の「再結成」の頃に、発掘されて商品化されたものがいくつかあった(その一部はYouTubeで観ることができる)が、僕は最近まで知らなかった。映画『グレイト・ロックン・ロール・スウィンドル』の場合は、マルコム・マクラーレンとジョニー・ロットンが係争中だったため、ロットンが映っている絵は使えなかった、・・・のじゃなかったか?記憶があやふやだが・・・・。
とにかく、あらためてまざまざと目にしたピストルズの映像は、僕に様々な感慨を抱かせた。
まず何と言っても、ジョニー・ロットン(本名ライドン)の顔である。後にも先にも、こんなに人をバカにしたような、天使のような、死神のような、白痴のような、天才のような、そして何より路地裏のクソガキのような顔の持ち主というのは二度と現れまい、と思ってしまう。イケ面のロック・ミュージシャンなど星の数ほどいたけれど、ロットンのかっこよさとは、そうした「ロックのかっこよさ」を最初っから相手にしない、突き抜けたところにあった。
これに比べるとシド・ヴィシャスのかっこよさというのは、今では当たり前になってしまったかっこよさであって、特に新たな感慨というのはない。なんだかんだ、シドという男は友達にさえなれば、すごくいい奴っぽかった。だがロットンの方は、おそらく相当に友達甲斐のない男だろうことは、インサイド・ストーリーの類を読むまでもなく、見た目でもわかる。彼は独特にエゴイストでナルシストだった。
それでよかったのだ。彼は人を怒らせてなんぼ、のアーティストである。人を傷つけ、怒らせ、絶望させ、そしてロックを救った。ロックを不良少年の手に取り戻した。
僕などがあらためて言うことでもないが、パンクとは一種の文化大革命だった。ただし、反動と紙一重の革命である。ロットン改めライドンは、その反動の部分に嫌気が差してパブリック・イメージ・リミテッドを結成した。が、時を経て、自身がどんどん反動のスパイラルにはまってしまったように思う。「ロックは死んだ」と自ら言っておきながら、いつの間にかその死体を蘇らせる作業にいそしんでいたような・・・・。
それはさておき、紙一重と言えば、ピストルズは正真正銘のならず者と紙一重の「蛮勇」を平然とくり広げていた。「アナーキー・イン・ザ・UK」にしろ「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」にしろ、今では簡単に「カゲキな歌」「パンクのクラシック」として我々日本人の口にすら上る。だが、じゃあ日本人として、彼らがイギリスでやったと同じことができる奴はいるのかと問えば、非常に心もとなくなる。
最近では、紅白歌合戦でDJオズマというラッパーがチンチン出すの出さないの、バックのダンサーが裸になったのならないので騒いでいたが、そんな程度なんだよな、と思う。僕は彼の曲にもパフォーマンスにもあえて何の予断もしないけれど、少なくとも本気で社会にショックを与えるつもりがあったのなら、そのことを予告したりせず、出し抜けに本番でやれば良かったのに、と思う。チンチン出すくらい、練習しなくても誰でもできる(チンチン持ってる人は)。
ピストルズはTV出演の際、司会者にそそのかされ「SHIT」「FUCK」を連発し、視聴者からの苦情の嵐を巻き起こした。そしてそのことを一度たりとも謝ったりはしなかった。そりゃそうだろう。謝る理由なんかない。SHITなものはSHITだし、FUCKはFUCKである(ピストルズの歴史についてはここを参照)。
ピストルズは右翼でも左翼でもない、ただのチンピラだった。だからどちらからも嫌われた。女王をコケにする歌を歌い、女王のコラージュ写真をポスターやジャケットに使った。そして右翼のテロにもあった。シド・ヴィシャスはナチの腕章をこれ見よがしに見せつけた。「ベルセン・ワズ・ア・ガス」はユダヤ人団体の抗議にあった。いずれも、人をぞっとさせるという以外、特に他意はなかったのだが。日本で天皇の写真を・・・・いや、無理だな。スターリンですらやれなかったんだから。
ピストルズは要するに、世の中を敵に回した。味方になるはずの者すら、敵に回した。
もちろん、金も稼げただろう。90年代に再結成されたピストルズは評判が悪かったし、僕も全く興味が湧かなかったけど、「金目当て」という批判は今さらな感じである。ピストルズは元来がマルコム・マクラーレンという変人のアパレル店オーナーが、自分の店の奇抜な服を売るための宣伝材料に思いついた、生まれながらの「やらせバンド」みたいなものである。
だが、ひょうたんから駒の喩えそのままに、ピストルズは本物だった。ジョニー・ロットンという天才の存在が一番大きいのは確かだが、それだけでもない。彼らは、彼らにとって切実な「怒り」の下地を当然のように共有していた。胡散臭さの塊みたいな自称「青年実業家」が世に送り出した横丁のガキたちが、世界中の自称「先進国」の若者たちの共感を呼んだのは、彼らがその飼い主にさえ制御できない、中和することのできない「怒り」を表現したからである。
初期のライヴに見るロットンの眼光は、そうした「怒り」を胸に抱く人間が後に続くための、広大な川床をにらみつけているようだ。そうした人達に、自分も何かしなければ、と思わせることができたのは、よく言われるようなパンク・ロックのわかりやすい「スタイル」だけでなく、この眼光のせいだったのだと、しみじみ思う。この眼光に、どれだけの人間が──「夢がない」と軽蔑されるような若者のどれだけが──救われ、勇気づけられたことだろう。
もし今の日本に、この時のピストルズのようなバンドが現れたら、索漠とした心の隙間を国家主義で埋め合わせて、自分が強くなった錯覚に陥る若者の割合は、がくんと減るだろう。ついでにDJオズマのファンも、半減するだろう。
YouTubeのピストルズ関連タグは以下のURLになる。
http://www.youtube.com/results?search_query=Sex+Pistols&search=Search
おすすめはまずTVスタジオ・ライヴ(グレン・マトロック在籍時)での「アナーキー・イン・ザ・UK」。ライン録りのギターの音が変だが、ロットンの迫力はピカイチ。
お笑いネタはこれ。傑作。
音符の模様、楽器の模様などいくつかありましたよ
音楽ネクタイ、(音符・黒)
http://www.bidders.co.jp/pitem/62476255
音楽ネクタイ(ギター、黄色)
http://www.bidders.co.jp/pitem/62667290
http://www.geocities.jp/mikako0607jp/
(ちょっと更新停滞してますが、英国のTVではバリバリ現役の人気者です)
90年代に再結成されたピストルズのツアー行きましたよ。すっかりオッサンと化したロットンが奇天烈なフリで歌う様子は、てめえらが見たくないものを見せてやるぜ!おらおら!という意気込みにあふれていて、すげ~感動しましたw ロットンこそピストルズですよ。シドなんて(以下省略
ロットンあらためライドン、お笑いタレントとしてブレイクしても、僕は別に違和感なんか抱きませんね。彼は昔から怖いもの知らずの自然体で、かっこ悪くてもカッコイイという、人類の希少種ですから。
ところで、『どろろ』の主題歌ビデオ、やっぱりYouTubeにあったんですね。この曲は昔からお気に入りなんです。「アナーキー・イン・ザ・中世ニッポン」でしょ、これ?
http://www.youtube.com/watch?v=07cyiNcvMYY
ロットンの顔つきの魅力をどう表現したらいいか、長年悩んでいたが、「こんなに人をバカにしたような、天使のような、死神のような、白痴のような、天才のような、そして何より路地裏のクソガキのような顔の持ち主というのは二度と現れまい」というので合点がいった。
で、ロック専門のブログかと思ったら、違ってた。僕はなぜか最近、「保坂展人のどこどこ日記」と「沈黙を破る」を紹介しているサイトは良いサイトだと思ってしまう。
ただ、この記事で日本のロックをこけおろしているのはわかるけど、僕はやっぱりヒロトは好きです。(ハンマー)
>ロック専門のブログかと思ったら、違ってた。
ほんとに、ねえ。何なんでしょうねえ、このブログは。書いてる本人もわけわからんのです(笑)。
僕もヒロトは好きです。他にも、日本のミュージシャンで好きな人はボチボチいるんですけど、ここでのピストルズとの比較で見た時に、こう、社会全体を敵に回してでも、抵抗感のあるところをあえてまさぐって歌にする、みたいなことをやってのける人はここんとこ少ないかな、っていう。気持ちは持ってても、出し方が洗練され過ぎちゃってるというか。
僕が古いだけかも知れないけど、匹敵するのはどうしても一昔前、70年代の頭脳警察とか、80年代の清志郎率いる“タイマーズ”とか、その辺りしか思い浮かばないんですね。