
フォト・ジャーナリスト・広河隆一氏が監督を務める長編ドキュメンタリー映画、『パレスチナ1948・NAKBA』がついに完成、3/22より渋谷のユーロスペースで封切られる。大阪では4/19よりシネ・ヌーヴォにて、以後全国各地で順次公開していく。
広河氏が“フォト・ジャーナリズム”を前面に掲げた新雑誌『DAYS JAPAN』の創刊とともに、この映画の製作にとりかかってから、5年の歳月が流れた。その間にもパレスチナ/イスラエルの状況はさまざまに変転している(深刻化している)が、基本的な占領・弾圧・搾取の構造は何も変わっていない。
「離散のユダヤ人」たちの一部が、差別・迫害の止むことのないヨーロッパでの生活に見切りをつけ、もう一度自分たちのホームランドを(できれば父祖の地であるパレスチナに)建設しようとする、「シオニズム」運動が勃興した19世紀。それが欧米列強の帝国主義政策ともつれ合い・もたれ合いながら、20世紀に入り、組織的なパレスチナへの入植が本格化し、地元パレスチナ・アラブの住民とのあつれきが無視できない段階に至る。
そして1948年、国連の「パレスチナ分割決議」の実質的破綻を受けて引き起こされた第一次中東戦争〜イスラエル建国、故郷を奪われた70万人を超えるパレスチナ難民の発生──これをパレスチナ人は「ナクバ」(大災厄、大破局)と呼ぶ。現在に至る「パレスチナ/イスラエル問題」の始まりだ。1948年の破局を回避できなかった──旧宗主国のイギリスが責任を投げ出し、国連が機能せず、力の対決の論理が横行するに任せた──ことのツケが、つい昨日起きた彼の地の事件、今日も変わらず持続し・生産され続けるパレスチナ人の苦悩と生活の困窮へと、確実に回っている。またそれが放置され続けることによって、今も僕らの時代を蝕む途方もない不正義の温床となり続けている。
昨日、僕はありがたくも試写会に呼ばれて行って来た。一言二言の感想では語りきれない作品なので、今後もいろいろな形で言及することになるとは思うが、とりあえず思いついたことを書いておきたい。
まず、映画の中に登場する歴史的事実に関しては、昔からパレスチナに関心を持って見たり読んだりしている人にとって、特に新しい情報に出会うわけではないだろうと思う。だが、知っている話でも違った観点から捉え直したり、印象が更新されたり修正されたりする部分は当然ながらある。
僕個人としては、広河氏の著した二冊の岩波新書『パレスチナ』と『中東 共存への道』の内容を映像によって肉付けした、みたいなイメージが湧いてくるところが多かった。これは実は当然の話で、その二冊はまさに広河氏のパレスチナにおけるフォト・ジャーナリストとしての活動の歴史を書籍化した内容であり、言うなれば氏の写真もしくはビデオ映像の方こそが“原作”なのである。『NAKBA』に現れるその関連シーンを映像で観ることは、氏の書いたものの“原作”(というより“現物”)を観ていることになるわけだ。その意味では、なんだかちょっと懐かしいものを観ているような気分にもなるのだった。
たとえば、若き日の広河氏がイスラエル在住中に参加していた「マツペン」(60年代当時のイスラエルで唯一、占領反対・パレスチナ人との共存を掲げたグループ)のかつてのメンバーたち──シュロモー・ザンドやアキバ・オールらの語る姿は、それがかつての“同志”である広河氏のカメラを通しているせいか、どこまで暖かく、瑞々しい。本では味わえない類の感動だ。
あるいはキブツで広河氏にヘブライ語を教えたという女性は、今も「人権のための医師団」の看護士として、毎週占領地を訪れ、医療活動をしている。その際、当局がどんな妨害をしてこようが、必ずパレスチナの医師団と一緒に占領地入りを強行する。この人自身はマツペンのメンバーではなかったようだが、良心と信念をもったイスラエル人は昔からちゃんといたのであり、そうした人達の地道な活動が今のイスラエルの平和団体にも引き継がれ、定着し、あるいは裾野を広げつつあるという希望を与えてくれる。
また『中東 共存への道』(僕はかねてより名著だと思っている)の終わりの方で登場する、レバノンのパレスチナ難民、メルバットとキファーの姉妹の物語については、その続編に当たる物語をこちらの映画の方で観ることができたのが、望外の喜びだった。とりわけファタハの武装ゲリラのメンバーとして作戦従事中に捕らえられ、監獄で6年間地獄の日々を過ごした「はずの」姉キファーが、出獄後それほど幸せでないと感じていたこと*、しかし結局その後結婚し、やんちゃな子供達に囲まれた最近の彼女が、それなりに貫禄のある「母」になっていること、などを確認できたのは良かった。僕はこのキファーという人に、個人的にインスパイアされるところが大きかった者なので。
ただ、こうした見方は、ある程度以上パレスチナ問題の知識、とりわけ広河氏の仕事から得たそれを前提にしたものであることはもちろんだ。多くの一般の人にとっては、逆に次から次から登場する人物の証言の、時間構成や文脈などが錯綜していて、「あれはどういう意味だったの?」的な消化不良に終わる部分が多い映画だという気もする。
いっそのこと広河氏の個人史ということをもっと前面に出して、それを軸に話をまとめてしまった方が、一般向けには「わかり」が良かったのは確かだろう。ただ、本来「映画監督」ではなく「報道写真家」である氏に、そういうマイケル・ムーアまがいの方法論を求めるのも無茶だということも承知している。そこら辺が一つのジレンマなのだけど・・・・。
「理不尽なことが起こったんだ」ということは、エモーショナルに伝わるにしても、なぜ?誰が?なんのために?などの疑問に対しては、この映画だけから直接の答えを引き出すのはまず無理である。デイル・ヤーシーン村の虐殺に関わる当事者の証言など、非常に価値の高いものを含んでいるはずなのに、その貴重さがうまく伝わらないのではないか、という不安もある。
それでも、テレビのニュース映像を通してくらいしか「パレスチナ問題」を知らない人の中には、自分の信じていた「世界」が、足元から揺らぐのを感じる人も出てくるだろう。揺らいでほしい。僕は切にそう願う。そうして、この映画を入り口にして、パレスチナへの「扉」を開く人が増えてくれたら、と思う。
映画の完成は、なんとか今年、2008年という「ナクバ60周年」の年に間に合わせたいという関係者・支持者の努力が実った形だ。
もちろん、60年におよぶ歴史のすべてが、この2時間の映画の中に凝縮されている、わけではない。ここにあるのはパレスチナ/イスラエルの重層的な悲劇の一断面に過ぎない。この映画と並行して、というより、この映画の母体とも言うべき、アーカイヴス版のプロジェクト(50〜60時間、DVD30〜40巻にもなる!)は今も製作中なのだそうだけど、そちらに収められる膨大なパレスチナ人の証言記録映像でさえ、あくまで歴史の一部にしかなりえないという宿命を負っている。イメージとしては、映画『NAKBA』という筒を通して「アーカイヴス版NAKBA」を覗き見る、そして「アーカイヴス版」を通して、その背後にあるパレスチナの現代史全体を予感する、という構造か。
いずれにしろ大事なことは、それがたとえ一部であっても、我々(この場合特に日本人の我々)が、そこにアクセスし、広める役割を果たせるということだ。そのことを自覚した人達が、森沢典子さんらの呼びかけに応え、サポーターとなって映画制作の屋台骨を支えてきた。広河氏という傑出したジャーナリストの執念が前提とはいえ、それを自発的に支えるだけの成熟が日本社会にはある、ことを証明できたのが何よりだ。
もちろん興行的なことも含めて、まだまだこのプロジェクトは終わったわけではない。僕も微力ながら(微力もいいところだ)、これからも応援していきたいと思っている。
*この話は昔(『中東 共存への道』が出版された1994年頃か)、日テレ「今日の出来事」の特集でパレスチナ問題が取り上げられた時に、広河氏のナレーション付きで流されたキファーの映像においても示唆されていた。釈放され、体調がどうにか回復した頃の彼女が、家に引きこもって落ち込んでいる。それを見かねた母親が広河氏に訴え、氏は彼女を日帰り旅行に連れ出す。表面的には結構楽しそうにしている彼女だったが、やはり後姿がどうしようもなく淋しい。
個人的に、あの後姿が鮮烈で、今も忘れられない。映画『NAKBA』ではこの旅行のシーンは使われていないけれど、出獄後の彼女がどうして幸せではなかったのか、それを考えるのもパレスチナ問題を考えることであるのは、今も変わらない。
広河氏が“フォト・ジャーナリズム”を前面に掲げた新雑誌『DAYS JAPAN』の創刊とともに、この映画の製作にとりかかってから、5年の歳月が流れた。その間にもパレスチナ/イスラエルの状況はさまざまに変転している(深刻化している)が、基本的な占領・弾圧・搾取の構造は何も変わっていない。
「離散のユダヤ人」たちの一部が、差別・迫害の止むことのないヨーロッパでの生活に見切りをつけ、もう一度自分たちのホームランドを(できれば父祖の地であるパレスチナに)建設しようとする、「シオニズム」運動が勃興した19世紀。それが欧米列強の帝国主義政策ともつれ合い・もたれ合いながら、20世紀に入り、組織的なパレスチナへの入植が本格化し、地元パレスチナ・アラブの住民とのあつれきが無視できない段階に至る。
そして1948年、国連の「パレスチナ分割決議」の実質的破綻を受けて引き起こされた第一次中東戦争〜イスラエル建国、故郷を奪われた70万人を超えるパレスチナ難民の発生──これをパレスチナ人は「ナクバ」(大災厄、大破局)と呼ぶ。現在に至る「パレスチナ/イスラエル問題」の始まりだ。1948年の破局を回避できなかった──旧宗主国のイギリスが責任を投げ出し、国連が機能せず、力の対決の論理が横行するに任せた──ことのツケが、つい昨日起きた彼の地の事件、今日も変わらず持続し・生産され続けるパレスチナ人の苦悩と生活の困窮へと、確実に回っている。またそれが放置され続けることによって、今も僕らの時代を蝕む途方もない不正義の温床となり続けている。
昨日、僕はありがたくも試写会に呼ばれて行って来た。一言二言の感想では語りきれない作品なので、今後もいろいろな形で言及することになるとは思うが、とりあえず思いついたことを書いておきたい。
まず、映画の中に登場する歴史的事実に関しては、昔からパレスチナに関心を持って見たり読んだりしている人にとって、特に新しい情報に出会うわけではないだろうと思う。だが、知っている話でも違った観点から捉え直したり、印象が更新されたり修正されたりする部分は当然ながらある。
僕個人としては、広河氏の著した二冊の岩波新書『パレスチナ』と『中東 共存への道』の内容を映像によって肉付けした、みたいなイメージが湧いてくるところが多かった。これは実は当然の話で、その二冊はまさに広河氏のパレスチナにおけるフォト・ジャーナリストとしての活動の歴史を書籍化した内容であり、言うなれば氏の写真もしくはビデオ映像の方こそが“原作”なのである。『NAKBA』に現れるその関連シーンを映像で観ることは、氏の書いたものの“原作”(というより“現物”)を観ていることになるわけだ。その意味では、なんだかちょっと懐かしいものを観ているような気分にもなるのだった。
たとえば、若き日の広河氏がイスラエル在住中に参加していた「マツペン」(60年代当時のイスラエルで唯一、占領反対・パレスチナ人との共存を掲げたグループ)のかつてのメンバーたち──シュロモー・ザンドやアキバ・オールらの語る姿は、それがかつての“同志”である広河氏のカメラを通しているせいか、どこまで暖かく、瑞々しい。本では味わえない類の感動だ。
あるいはキブツで広河氏にヘブライ語を教えたという女性は、今も「人権のための医師団」の看護士として、毎週占領地を訪れ、医療活動をしている。その際、当局がどんな妨害をしてこようが、必ずパレスチナの医師団と一緒に占領地入りを強行する。この人自身はマツペンのメンバーではなかったようだが、良心と信念をもったイスラエル人は昔からちゃんといたのであり、そうした人達の地道な活動が今のイスラエルの平和団体にも引き継がれ、定着し、あるいは裾野を広げつつあるという希望を与えてくれる。
また『中東 共存への道』(僕はかねてより名著だと思っている)の終わりの方で登場する、レバノンのパレスチナ難民、メルバットとキファーの姉妹の物語については、その続編に当たる物語をこちらの映画の方で観ることができたのが、望外の喜びだった。とりわけファタハの武装ゲリラのメンバーとして作戦従事中に捕らえられ、監獄で6年間地獄の日々を過ごした「はずの」姉キファーが、出獄後それほど幸せでないと感じていたこと*、しかし結局その後結婚し、やんちゃな子供達に囲まれた最近の彼女が、それなりに貫禄のある「母」になっていること、などを確認できたのは良かった。僕はこのキファーという人に、個人的にインスパイアされるところが大きかった者なので。
ただ、こうした見方は、ある程度以上パレスチナ問題の知識、とりわけ広河氏の仕事から得たそれを前提にしたものであることはもちろんだ。多くの一般の人にとっては、逆に次から次から登場する人物の証言の、時間構成や文脈などが錯綜していて、「あれはどういう意味だったの?」的な消化不良に終わる部分が多い映画だという気もする。
いっそのこと広河氏の個人史ということをもっと前面に出して、それを軸に話をまとめてしまった方が、一般向けには「わかり」が良かったのは確かだろう。ただ、本来「映画監督」ではなく「報道写真家」である氏に、そういうマイケル・ムーアまがいの方法論を求めるのも無茶だということも承知している。そこら辺が一つのジレンマなのだけど・・・・。
「理不尽なことが起こったんだ」ということは、エモーショナルに伝わるにしても、なぜ?誰が?なんのために?などの疑問に対しては、この映画だけから直接の答えを引き出すのはまず無理である。デイル・ヤーシーン村の虐殺に関わる当事者の証言など、非常に価値の高いものを含んでいるはずなのに、その貴重さがうまく伝わらないのではないか、という不安もある。
それでも、テレビのニュース映像を通してくらいしか「パレスチナ問題」を知らない人の中には、自分の信じていた「世界」が、足元から揺らぐのを感じる人も出てくるだろう。揺らいでほしい。僕は切にそう願う。そうして、この映画を入り口にして、パレスチナへの「扉」を開く人が増えてくれたら、と思う。
映画の完成は、なんとか今年、2008年という「ナクバ60周年」の年に間に合わせたいという関係者・支持者の努力が実った形だ。
もちろん、60年におよぶ歴史のすべてが、この2時間の映画の中に凝縮されている、わけではない。ここにあるのはパレスチナ/イスラエルの重層的な悲劇の一断面に過ぎない。この映画と並行して、というより、この映画の母体とも言うべき、アーカイヴス版のプロジェクト(50〜60時間、DVD30〜40巻にもなる!)は今も製作中なのだそうだけど、そちらに収められる膨大なパレスチナ人の証言記録映像でさえ、あくまで歴史の一部にしかなりえないという宿命を負っている。イメージとしては、映画『NAKBA』という筒を通して「アーカイヴス版NAKBA」を覗き見る、そして「アーカイヴス版」を通して、その背後にあるパレスチナの現代史全体を予感する、という構造か。
いずれにしろ大事なことは、それがたとえ一部であっても、我々(この場合特に日本人の我々)が、そこにアクセスし、広める役割を果たせるということだ。そのことを自覚した人達が、森沢典子さんらの呼びかけに応え、サポーターとなって映画制作の屋台骨を支えてきた。広河氏という傑出したジャーナリストの執念が前提とはいえ、それを自発的に支えるだけの成熟が日本社会にはある、ことを証明できたのが何よりだ。
もちろん興行的なことも含めて、まだまだこのプロジェクトは終わったわけではない。僕も微力ながら(微力もいいところだ)、これからも応援していきたいと思っている。
*この話は昔(『中東 共存への道』が出版された1994年頃か)、日テレ「今日の出来事」の特集でパレスチナ問題が取り上げられた時に、広河氏のナレーション付きで流されたキファーの映像においても示唆されていた。釈放され、体調がどうにか回復した頃の彼女が、家に引きこもって落ち込んでいる。それを見かねた母親が広河氏に訴え、氏は彼女を日帰り旅行に連れ出す。表面的には結構楽しそうにしている彼女だったが、やはり後姿がどうしようもなく淋しい。
個人的に、あの後姿が鮮烈で、今も忘れられない。映画『NAKBA』ではこの旅行のシーンは使われていないけれど、出獄後の彼女がどうして幸せではなかったのか、それを考えるのもパレスチナ問題を考えることであるのは、今も変わらない。











広河さんのパレスチナの写真を初めて見たときに、胸をえぐられるような気持ちになったのを思い出します。
ドキュメンタリーも是非、見たいと思います。
僕にとってあの本の重要性は、「ナクバ」の前史、すなわち、イスラエル建国以前のパレスチナがどんな場所であったか、人々はどんな風に暮らしていたか、などが具体的に描かれていることです。
「パレスチナ問題」の解決の難しさということを、しばしば愚かなメディアは「異なる民族・宗教の共存の難しさ」という軸で語る。でも、それは実は違う。昔は実際に共存していた。パレスチナという土地は、異なる宗教の共存が、世界でも一番うまくいっていた土地だったかも知れないのに──そういう視点を授けてくれたのが、藤田氏の本でした。
映画『ナクバ』では、その前史──どれほどパレスチナが平和で豊かな場所だったか──は、片鱗しか感じ取れないかも知れません。個人的にそこがちょっと残念なんですが、ぜひご覧になって、感想をいただきたいと思います。
「バイアス”なんかこわくない」を読みながらあらためて
個がしっかりと、自由に楽しく考えていかなければと思いました。
『パレスチナ1948・NAKBA』は、「一コマ」サポーターの試写会で観ました。
再度!劇場でと思っていますが・・・・・
その前に、急いで藤田進さんの『蘇るパレスチナ』を
読みます。
レイランダーさんのコメントで、そう強く思いました。
感謝です。
私のホームページ「明日も晴れー大木晴子のページ」の
リンク集に掲載させていただきました。
ありがとうございました。
日常の視点から、平和をたぐり寄せるための様々な活動へ、たゆまず「橋」を架けていく、という印象を大木さんのページから受けました。ほんの小さなそうした橋の一つに、自分のところも認定してもらえたのだと思うと、とても励みになります。
ホームページともども(更新が遅いのが悩みですが)、今後ともお気軽にお訪ねください。
「日常の視点から、平和をたぐり寄せるための様々な活動へ、たゆまず「橋」を架けていく、という印象を大木さんのページから受けました。」
この言葉は、反戦意思表示をしている皆さんと共に嬉しくこれからの励みにいたします。
ありがとうございました。
これから繋がって、平和を育んでいくことができますこと、
感謝しています。
よろしく、お付き合いください。