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「通りすがり」のコメントを再考する

2007年12月28日 | 死刑制度廃止
 新年も間近に迫って、本年中にやり残した数多くのことが胸に去来する今日この頃、このままなんとなく暮れの挨拶でも書いて今年のブログをしめちゃおうか、なんて思っていた。が、まだ少し時間があるので、すべり込みで一つくらいやっつけておきたい、という気になったのである。
 これは12/11にアップした死刑執行:氏名を公表~そんなの関係ねえという文章に対する、「通りすがりの人」とのコメントのやりとりに端を発する考察だ。ごく短い、単純な文のやりとりだったのだけど、そこから意外なまでに社会の実相が透けて見えた(僕にとっては)やりとりだった。
 広く死刑制度をめぐる日本人の「心理」の問題については、最近Luna's “A Life Is Beautiful”のルナさんがしっかりとした考察をたてているので、そちらを参照されたい。こちらで書きたいのは、ヒステリックに死刑執行を求める人々が、いかにテキトーな言葉の戯れに終始しているものか、その「言葉」から垣間見える問題である。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 以下の考察では、通常日本で死刑が適用されている犯罪、すなわち凶悪な殺人事件を念頭に、「被害者」「犯人」という言葉を使っている。
 まず、最初に「通りすがりの人」(以下長いので「とおるくん」と表記する)は、こういうコメントを寄せた。

「死刑執行反対の人々に聞きたいのだが、被害者の気持ちを考えた事ある?

もういかにもありがちな、定石どおりのコメント。こういう芸のない定石を屈託なく打ってくる時点で、このとおるくんは、かなり年齢の若い人だという察しがつく(おそらく、ハタチ前ではないかと思う)。
 それはともかく、このコメントについて、2つのポイントに注意を促したい。
 1つは、「被害者」という言葉の使い方である。
 死刑賛成の合唱を響かせる世の人達というのは、当たり前のように「被害者感情」を口にする。だがその場合の被害者というのは、たとえば凶悪犯に殺された本人、というよりも、生きている被害者の遺族のことを指していることがほとんどだ。しかし、被害者と被害者遺族はあくまで別の存在であって、その「気持ち」を一つのものとして考えることは到底不可能である。
 端的に言って、遺族の気持ちが「犯人を殺したい!」であっても、殺される時の被害者本人は、そんな気持ちを抱くわけがない。「こわい」「痛い」「苦しい」とか、せいぜい「くやしい」とかいった気持ちしか抱きようがないだろう。いや、おそらく普通は、殺されようとしているという意識がはっきりあるケースでさえ、最後の最後まで自分が死ぬということが信じられないものではないだろうか。このような被害者本人の「気持ち」というものは、死刑執行の時を今か今かと日々待ち続けなければならない死刑囚の「気持ち」とは、似ても似つかない。犯人にも同じ目に会わせるべきだ、だから死刑を・・・という理屈は、この時点ですでに成り立たない、イカサマである。
 だが、ここで死刑囚の「気持ち」との比較の話はひとまず置く。問題なのは、実際には被害者遺族の報復感情を念頭に置きながら、同時に殺された本人の気持ちまで代弁しているかのような錯覚を「被害者の気持ち」という言い方の中に含ませてしまう、無意識の詐術である。とおるくんを始めとして、多くの人達がこの無意識の詐術を会話にすべり込ませることによって、「被害者感情」に絶対的な説得力を持たせようとしている。

 では、殺された被害者本人の気持ちは別として、被害者「遺族」の気持ち、とはっきり限定すれば、上の物言いは妥当なのかと言うと、それでもまだ問題がある。なぜ当の遺族でない者が、やすやすとその感情を自分のもののように語れるのか──しかも、一律に同じ「報復感情」としてそれを語れるのか、という問題がある。
 遺族の気持ちというものを真剣に考慮すればするほど、単なる「報復」では収まりのつかない、複雑な思いがそこにあることに気づく。だからこそ現実に、「報復」を望まない、あるいは「報復」の気持ちは捨て切れなくても、「死刑」だけは望まない、という遺族が常に一定数存在してきたのである。死刑賛成の人達は「被害者の気持ち」を口にしながら、そのような遺族たちの気持ちを一顧だにしない・・・・。
 そしてまた、ほとんどすべての遺族に共通の思い──犯人は死刑になった、しかしそれから何年経っても何十年経っても、肉親を失った痛手は一向に癒えない、という厳然たる事実。こちらの「被害者の気持ち」にもやはり目を向けずに、死刑が「被害者の気持ち」に対する何らかの解決になっているとあくまで言い張るのは、一体まともな神経を持った人間にできることだろうか?(実際にはできる──何らかの方法で神経をマヒさせれば。)

 もう1つは、現実問題として、死刑反対の立場だろうと賛成の立場だろうと、死刑について何がしかの発言をしようとする人間が、被害者または被害者遺族の、その「気持ちを考えたことがない」なんてことがありえるか──ありえないだろバアカ、という話である。つまり、もしとおるくんが、本気で「死刑反対論者は被害者の気持ちを考えたことがない」とにらんで、そのとおりにコメントを書いたのなら、本当になんというか、よほど世間を知らない、人間というものを知らない、人生経験の不足したお子様だということになる。
 だが、いくらなんでもそこまでお子様な人だとは、このコメントだけで断言するのは失礼だ。こちらがむきになって「被害者の気持ちくらい考えたことあるよ!」と反論するのを想定して、あえてサラッと「考えたことある?」というふうに(誘い水として)書いた、という可能性もある。
 とはいえ、正直こちらとしては、この程度の人と死刑について論じ合いたいとは思わない。ごちゃごちゃ書くのは時間の無駄なので、ぶっきらぼうに、

>うん、あるよ。それが何か?

と、最小限の受け答えをして様子をみることにしたのだった。
 それに対するレスがこれである。

犯人を救って被害者には泣き寝入りさすんかい。だからサヨクは頭おかしいと言われるんだよ

どうです、このクオリティ。期待を裏切らないというか・・・。たった42字だけど、これほどツッコミどころの多い、というよりツッコミどころだけで構成された文もない。箇条書きにしてみよう。

①「犯人を救って」
 犯人を「死刑にしない」ことが、なぜ「犯人を救う」ことになるのか?死刑にしないだけで人間が救えるのなら、それこそケーサツは要らないし、宗教も要らないだろう。
 よしんば、ここでの「救う」が、「助命」の意味だけで使っているのだとしても、おかしさは残る。死刑は曲がりなりにも「刑罰」の一つとして存在している。そして刑罰の焦点は命を奪うか・助命するかの二者択一しかないわけではない。犯罪者に対する裁きというものには、刑罰という側面からだけでさえ様々なアプローチある。それが「生か死か」のどちらかしか思い浮かばないような感覚、すなわち凶悪犯罪←殺してしまえという「報復」の感覚の、地肌が透けて見えるような野卑な人間こそが、殺さない=「犯人を救う」という、物言いをあっさりしてのけることができる。
 裏を返せば、こういう人達はまた、生きてさえいれば人間は何となく「救われている」という感覚を持っている。殺人を犯した囚人が、たとえ死刑囚であろうとそれより軽い服役囚であろうと、「救われる」ことなど生涯ありえないだろう、という想像力が働かない。人を殺した人間として生きていくことの地獄を、まったく考えたことがない。
 何度でもこのことは書きたいのだが、まさにそうした想像力の欠如した人間こそ、殺人のような大それた罪を犯しやすいタイプの人間なのである。

②「被害者には泣き寝入り」
 上の①と重なる話だが、すでに犯人が逮捕され、収監され刑に服している段階で、「泣き寝入り」は成立しない。死刑にならないことが被害者の「泣き寝入り」につながるというこの言説は、やはり近代の「刑罰」の概念とは別物の、野蛮なる「報復」の概念を下敷きにしなければ成り立つはずがない。でなければ、単純に「泣き寝入り」という日本語の意味を間違えているか、である(しかしどう間違えるんだろう、この場合?)。
 ところで、こういう人達から見ると、イギリスやドイツなど、死刑のない国で「終身刑」に服している囚人は、「救われている」ことになるのだろうか。そしてその犯行の被害者たちは、みな「泣き寝入り」しているように見えるのだろうか。興味深いところだ。

③「だからサヨクは頭がおかしいと」
 学生時代、『資本論』はおろか、『共産党宣言』の最初の2ページでメゲた僕でも「左翼」と認めてもらえるのだろうか。その「左翼」と「サヨク」は違うのだろうか。もっともとおるくんの場合、そんな事情はまあーったく何のことやらわからずに、ただ誰かが「サヨク」とカタカナで書いているのを見て、これの方が人をこばかにしたような感じが伝わっていいな、と思って使っただけ、という可能性が一番高いだろう。
 それはどうでもいいとして、もしも彼が、死刑反対の立場を取るものが「サヨク」で、それゆえに「頭がおかしい」と思っているのなら、無知もはなはだしいと言わざるをえない。
 死刑廃止議員連盟の会長は国民新党の亀井静香である。彼はサヨクか?議連は自民党から共産党まで、超党派のグループである。最近は加藤紘一も加盟した。確か鈴木宗男も前から入っている。ムネオはサヨクか?
 「新右翼」の代表的論客、「一水会」の鈴木邦男も死刑廃止論者である。「新右翼」って、実はサヨク?
 反対に、一般にはサヨク政党と思われている日本共産党の議員には、死刑存置論者もいると聞く(具体的に誰だかは知らないけど)。その共産党員は、実はウヨク?実は頭が正常?
 それより何より、「サヨク」嫌いの日本愛国者が何より嫌いな中華人民共和国は、毎年ものすごい数の死刑を行っている、世界ナンバーワンの死刑大好き国家である。彼らはサヨクじゃないのか?サヨクだから頭がおかしいんじゃなかったのか?

④「頭がおかしいと言われるんだよ」
 それに対する僕のレスでもすでに書いたのだけど、「言われる」とは具体的にいつ誰が言ったか、である。③のような現実がある以上、死刑廃止の是非をめぐって、「だからサヨクは頭がおかしい」という悪口が成り立つわけがない。なにしろ、あからさまにサヨクでない人までも、たくさん死刑廃止を主張しているし、反対にサヨクの人(国家)でも死刑賛成の立場だったりするのだ。
 したがって、そういう現実であるにも関わらず、「だからサヨクは・・・」という発言をした人が本当にいたとしたら、その人物は正真正銘××××だということになる。もしくは、それは単にとおるくんの聞き間違い・見間違いではなかったか。幻聴・幻覚ではなかったか。確認を要するところだと思う。

 だが一方で、とおるくんをかばうわけではないが、それが聞き間違い・見間違いだとしても、そうした間違いをしやすくさせるような環境というものが、現に存在していることは事実だろう。
 ちょっと自分で調べて、自分の頭で考えれば、「これってヘンだよな」とわかることを、テレビのワイドショーのようなお手軽なメディアで「情報」を受け取って「わかった」気にさせられてしまう。そんな調子のことを子どもの頃から何年もやっていれば、まともな思考力や自分の言葉といったものは持てないままに、自分で自分を騙す無意識の詐術だけは備わっている、アホな大人になってしまう。で、そんなアホな大人が「世論」とやらを形成するという、権力者にとって願ったりの状況が現出するわけだ。
 僕が「とおるくん」とのやりとりで垣間見たのは、まさにそうした日本社会のある一面の透かし絵だった。結構、笑い事じゃない。
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3 コメント

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Unknown (ナーランダファン)
2008-01-08 21:20:56
死刑廃止論の同志の皆さんこんにちは。
ついに死刑廃止運動、極悪犯罪被害者撲滅運動の同志である
水葉さんのサイトが、本村洋の狂信的支持者と見られる
天皇主義ファシスト右翼によって閉鎖に追い込まれました!
http://aqualeafree.blog70.fc2.com/

私はこの暴挙を絶対に許せません!
このファシストどもの邪悪を打ち破るには
犯罪被害者どもへの徹底的な攻撃以外にありません!
死刑を唱える犯罪被害者は人間と思わずに攻撃を!

死刑廃止勝利!

Unknown (レイランダー)
2008-02-05 20:45:48
てめえなんぞに同志呼ばわりされるほどヤキがまわっちゃいねえよ。キモオタが。
ま、これからもそんな根性なしのブログはバシバシ潰していってもらいたいもんだね。「天皇主義ファシスト右翼」に乾杯。
お詫び (レイランダー)
2008-02-05 21:20:42
上のレスコメントにて、一部不適切な物言いがあった(すでに削除しました)ことをお詫びします。
「本村洋」氏に絡めた物言いの部分です。

このコメントを書いた時、実のところ「本村洋」が誰であるのか、失念していました。山口母子殺害事件の概要は知っていながら、その被害者遺族の名前を憶えていなかったのです。数日後、新聞記事を見て思い出しましたが。
憶えていなかったことを恥じたり・詫びたりしたいのではありません。なんだ、死刑のことなどさんざん書いてるくせに、本村氏の名前も忘れていたのか!と批判する人もいるでしょうが、僕はそんなことは屁とも思ってません。僕はそうした事件の人物名などをいちいち記憶することの意義を普段感じていないし、むしろできるだけ耳に入れたくないくらいなのです(理由は長くなるから書きませんが)。

ただ、その誰を指すのかわからない人物名を、ふざけたコメントに対するおちゃらけた物言いに絡めて使ってしまったのは、軽率という他ありません。また思い出してから今日まで、「ま、このくらい許されるんじゃないか・・・」と放置してしまったのも、無責任だということに気づきました。お詫びしたいのはその点です。
このことに気づいたのは、ちょうど森達也の最新刊『死刑』を読んでいた時です。この本の中で、本村氏の発言やその背景などを深く知るに及び、自分として世間の「本村びいき」あるいは「本村叩き」と一線を画したいのなら、上のレスで行なったような安易なおちゃらけは、この人に関しては厳に慎むべきだ、と思い至ったのです。

最初は軽率な自分への戒めのために、上のコメントはそのまま残そうかとも考えましたが、他の人に対して僕の本意でないものが伝わる有害性の方が大きいと判断し、問題の部分だけは削除することにしました。謹んでお詫びします。

森達也の『死刑』は、近いうちにレビューを書くつもりです。

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