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2017-05-16 09:22:44 | 日記

竹内まりや「廃業はイヤ!」実家旅館の“お家騒動”乗り越え自らオーナーに

 竹野屋旅館は出雲大社の鳥居から100メートルほどの参道にあり、開業以来140年になる。竹内まりやの実家としても知られる老舗で、土日はなかなか予約が取れないといわれてきた。

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 皇族が利用されたこともある格式の高い旅館で、沢田研二と田中裕子が披露宴を行ったことも。まりやの父の代までは経営は順調だったが、長男(まりやの兄)が5代目を継いでから、転落が始まったという。

「彼は親に甘やかされて育ったので、接客業の基本がわかっていなかったのではないかと思います。よく言えば自由人なんですが、“顧客ファースト”という考え方がないのが経営者としては致命的でしたね。

 出雲駅伝に出場した選手が挨拶に行くと、“私は早稲田が好きだから”と会ってくれなかったそうです。父が早稲田出身だったというんですが、いただけない対応ですよね。チェックインのときに客がスリッパを要求すると、“うちは用意していないんです”と上から目線。客が怒ってそのまま帰ってしまったこともあります」(地元の住民)

 出雲大社といえば4年前、60年に1度の“平成の大遷宮”を行い、注目を集めた。

  '14年には、高円宮家の典子さまが出雲大社権宮司の千家国麿さんと結婚したことも話題になり、昨今では“ヒーリングスポット”として全国的に有名になっている。

「本来ならもっと活気づいてもよさそうですが、実情は苦しいんです。郊外店の進出で地元の商店街がさびれ、夜逃げする人も出ているくらいですから……」(地元記者)

 平成不況もあり、客足は遠のいていく。環境の激変が災いしたのは確かだが、竹野屋が傾いた原因は5代目の振る舞いにもあった。

「有能な従業員も、おかしな発想を押しつけられるのに耐えられず辞めてしまう。従業員の教育もできないので、仲居さんのレベルもどんどん落ちていきました。5代目の女将が親族を連れてきたことで女の戦いが激化し、雰囲気が悪くなったともいわれていますね」(同・地元記者)

 趣味はジャズと無線で、インドア派のオタク気質。従業員とのコミュニケーションが苦手で、社内の人間関係がギクシャクすることに。

「頭を下げることのできない人でした。神経質で、従業員にはいちいち細かいことで文句を言っていたようです。景気が落ち込むなか、旅館組合が共同で大きなホテルを運営しようという提案が出たこともあります。

 話が決まりかけたんですが、5代目だけが反対して実現しませんでした。すると、他県から大きなホテルが進出してきて、さらにピンチに追い込まれたんです」(同・地元記者)

 最後にはスタッフが5人にまで減り、旅館営業が不可能に。宴会や結婚披露宴は続けていたものの、宿泊ができないので、客はみんな近隣の温泉宿に流れてしまう。そんな厳しい実家の窮状を知って、心を痛めていたのが、まりやだった。

彼女は大学進学のとき出雲を出て上京してからも、たびたび故郷へは帰ってきていた。

 最近でも5月上旬に、まりやが墓参りに行く姿が目撃されている。

「小さいころから“美人4姉妹”の三女として地元でも有名でしたからね。“平成の大遷宮”が行われた'13年には、故郷への思いを綴った唱歌『愛しきわが出雲』をプロデュースするなど、強い“出雲愛”を持っています」(別の地元住民)

 実は、現在の竹野屋旅館の実質的オーナーは、彼女だというのだ。

なぜ、まりやはオーナーになったのか

「テコ入れのために半年ほどリニューアル工事をしていたのですが、その改装費用のほとんどを、まりやさんが出したという話です。何よりも、実家の旅館が廃れていくのが耐えられなかったみたいですね。いても立ってもいられず、再建に乗り出したんでしょう」(同・地元の住民)

 自分が元気なうちに何代も続いた旅館がのれんをおろすようなことになるのは絶対にイヤ。そんな思いがあったという。

「5代目は昨年10月に退任し、きょうだいの長女の娘婿である男性が6代目となりました。昨年8月から部屋の改装を始め、今年3月にリニューアルオープン。もちろん料理は仕出しではなく、旅館の厨房で作った懐石料理を出しています。

 コンサルティング会社が入ってコンセプトから練り直し、東京都内のコーヒーショップ店長や一流旅館で働いた経験のある若いスタッフを多く採用しています。新社長は英語に加えてフランス語もできますから、インバウンド需要にも対応できますね」(前出・地元記者)

 新社長に話を聞きに旅館を訪れたが不在。後日、ファクスを通して『週刊女性』の取材に回答したところによると、リニューアル後の業績は予想を上回る好調な数字のようだ。オーナーのまりやについては、

「不定期ですが、ときどき来られています。特に指示はなく、私たちにお任せいただいています」

 今回の件で、竹内まりや本人から直々に相談を受けていたという、所属事務所社長の小杉理宇造氏は、

「リニューアルが決まるまで何度も親族が集まって会議をしました。まりやと夫の山下達郎も参加しました。そんな話し合いの中でお兄さんが退任を決断したんです。

 当初は廃業案や売却案もあったのですが、結果的にみんなで資金を出し合って継続することになったんです。きょうだいの中でも比較的資金力のあったまりやが、オーナーになったわけです」

彼女には、自分がこれまで旅館に何もしてあげられなかったという後悔の思いがあるのだという。

「両親に恩返しをしたいという気持ちが強いんですね。高校生のときにはアメリカに留学させてもらい、大学時代は東京で音楽に親しんだ。

 その結果、彼女は成功できたんです。5代目の社長であるお兄さんに対しても、感謝の気持ちを持っていますよ。まりやが音楽に興味を持ったのは、彼の影響もありますからね。

 だから、なにがなんでも旅館を守りたいんですよ。“私は本当に自由だった。お兄ちゃんは本当に不自由だった”とも話していましたから」(小杉社長)

 地元の旅館や商店が次々と店を閉めていくなか、兄がまがりなりにも竹野屋旅館をつぶさずに守りきったことに感謝しているのだ。

「まりやには“大切なものがお金で守れるんだったら、あるお金を全部はたいたっていいじゃないか。お前には山下達郎というすてきな伴侶がいるんだから”という話はしました。山下も“そんなに大事なものがあるんだったら行くしかないでしょう。何か僕にできることはありますか?”と言ってくれています」(小杉社長)

 夫婦で出雲を訪れることもあり、山下のこんな姿が目撃されたことも。

「達郎さんは本当に気さくな人ですね。タクシーの中でたまたま自分の曲がかかったら、ラジオに合わせて歌いだしましたよ(笑)。この距離で生声が聴けるなんて、ファンからしたらとんでもない贅沢ですよね」(地元のタクシー運転手)

 旅行サイトのクチコミによれば、竹野屋旅館では朝に竹内まりや、夜に山下達郎の曲が流れるのだという。2人のファンが泊まりに行くようになれば、全盛期の賑わいを取り戻せるかもしれない。

「まりやはオーナーになったわけですから必死ですよ。最近では、毎週のように出雲へ行っては“やったね、来週も土日が埋まったみたい!”と電話がかかってきます。いきいきしているのはいいけれど、歌手活動は完全に休業状態。事務所としては困りものですけどね(笑)」(小杉社長)

 '80年代の名曲『元気を出して』の歌詞「チャンスは何度でも訪れてくれるはず」を地で行くように、まりやは、今日も旅館の再建に力を尽くしている。

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