ひょみすふぃあ。―一時避難所(更新停止)―

半年間ここで雨露しのいでました。

改めてお知らせ。引っ越しましたよ!

2006-02-18 | 些事と反復。
昨日うさみ氏と会ったら、「ブログ更新て『40日間サボってた』っての以来、止まってない?」との思いがけないお言葉。違います! ここに越したんですってば!

というわけで、まだブックマークやアンテナを変更していない方、よろしくです。

サボサボ。

2005-10-16 | 些事と反復。
いや振り返ってみると40日以上ノーエントリの日々でした。ブログってそういうもんじゃないだろう、と思いきり叱られそうです(私はそうは思ってないんですけどね)。
その間に色んなことがありました。なぜか改憲できるほど与党を選挙で勝たせてしまったりとか、学童クラブの委託化が動き出したけど泥縄もいいところで先が思いやられるとか、江ノ島水族館は素晴らしかったとか、デジカメやっと買ったとか、その他いろいろ。にしても仕事忙しすぎです。アシスタントきわめて有能につき日々のルーチンワークで手を動かす量が格段に減ったのにこれは何、という状況です。要はそれまで物理的に不可能だったので進められなかった懸案にやっと着手できるようになったってことですね。そして当然ですが、それらの懸案は大概おしりに火がついてます。そりゃラクになるわけないです。その上また、やるべきことやってない方々のお世話が色々降って来る…ああ報われたい! まあ、何度もこんなことを書いていますが、しかし面白いほど同世代の連中と話すと同じような立場に立たされている。学生時代からの仲間も会社の同期も皆一様に、です。これが年代的な特徴(いつの世も40前後ってそうなのよ)だったらまあある程度諦めるしかないんでしょうが、どうもこれは世代的な特徴(60年代生まれはいつになっても団塊&ポスト団塊の下働きですぅ)ではないかと思えてならないので…ってこれも毎度書いてますね。たまには違うこと書け!<自分

で、ながらくブログをサボったのでこれを機に、ずっと建設計画中だった本家@アサブロのほうに引っ越そうと思います。ということで、こちらでのエントリはこれが最後です。今後はこちらのほうに、9月分のバックデート記事から順次追加されていくはずですので、よろしくお願いします。

リストラされているのは誰?

2005-09-04 | Seeds of Thought
yskさんのこの記事を読んだので、一度書きかけて寝かせてた文章ですが、引っ張り出してみました。そもそものきっかけになった記事はそれはそれですごいのですが、どうしたことか私の話はそれとは全く関係なく、前述のyskさんの視点にシフトしていきます。われながら、なんで?

ちょっと時間が経ってしまいましたが、pele-mele経由で読んだ「性別に言及されないことの幸せ」に触発されて、以前からなーんとなく思っていたことを書いてみます。

企業社会というところには、デキなかったり、ええからかんで無責任だったり、実力と不釣合いに尊大で傲慢だったりするおじさまたちが、それこそ掃いて捨てるほど生息しています(おじさん改造講座が原則ノンフィクションだというのは、かえすがえすもおそろしい)。生産性を阻害し、経営的・経済的に非効率なこれらの皆様方を、どうして企業なり企業社会はそれなりのコストを掛けて「飼ってる」のだろう、そういう疑問をずっと以前から、強く持っていました。しかし、この渋谷さんの記事を見て、うすうす感じていたことがついに像を結んだ感じです。そう、それは「男だから」なんですね。

彼らの世代(指しているのは50代半ばから上です)が就職した時代の採用環境を考えれば、その時点では「男であったから」採用された、という人が山ほどいるのは確実です。その後、確かに就労環境は女性に平等な門戸を開く方向で徐々に変わってはきました。しかし、彼らの世代の就労人口構成に限って言えば、当然ほぼそのまま持ち上がりになっていて、一方で年功序列的な賃金・昇進制度はそれほど急激には変わってこなかったので、下の世代(とくに女性)に地位をおびやかされることもなかったと思われます。その結果として、世代単位で切り取ったときに彼らの世代の「文化」は往事のまま温存されている――それが前述の状況の背景ではないかと考えます。それこそ、年功序列を完全にひっくり返して、若い世代の女性が彼らの上司になるくらいでないと、「男なので」安穏と暮らせているダメおじさんは、変革を迫られないわけですが、しかしご存じのとおり、そこまでやっている企業は今でも少数です。

ということは、マクロ的に見れば日本の企業社会はまだまだ、使えない人々に高い給料を払い続けるという「高コスト構造」を潜在的に抱えていることになります。それでいて一方ではリストラが進み、企業業績が回復してるっていうニュースが流れています…何かがおかしいと思いませんか? そう、リストラは誰がされているか。それは、派遣やパートへの置き換えであったり、アウトソースという名による低廉外注化であったりするわけですよ。そのターゲットになっている圧倒的多数は、女性、若者、そして非高学歴層です。表向きの景況回復にかくれて、深刻な3つの「ディバイド」が進んでいることを非常に懸念します。性差ディバイド。世代ディバイド。学歴ディバイド。これらの周縁には、さらに安価なアウトソーシングの結果として「国籍ディバイド」も発生しているはずです。

どうでしょう。こういうことに、皺寄せを受けている当事者が気づいていないとは思えないんです。たとえ感覚的にせよ、なんか割食ってると思っているに違いないだろうと。しかし、それが具体的な解決のための議論のテーブルに乗らない限り、感情的なバッシングが暴発するという不毛な事態の芽はつねにかくされていると思うんです。どうでしょう、ここはひとつ、50代の皆様方に一仕事してもらうという考えは? そうです、今の30代から下の世代の労働力構成がイビツにならず、適度な流動性をもって、誰もが再挑戦の可能性のある、そうした活力ある労働環境と社会システムを構築していただくんです。この上数年後からはしっかり年金が支給されるのですから、このくらいの仕事は決して重荷ではないと思います


最近、森永卓郎氏がまさにこういうことを統計データで裏付ける発言をしていて、改めて「そうなんだ…」とため息をつきました。労働市場の流動性を社会として担保せずに、斡旋産業に丸投げした結果何が起こっているか。それは階層の固定化なのですよね。
このまま団塊が勝ち逃げして「黄金の10年がやって来る」とか言ってると、そのうちえらいことになるような気がするのですが。

決まった、と聞いた時にはもう遅い。それが民主主義? ご冗談を!

2005-09-01 | 何もしないよりは。
全国でもまれに見る年度途中の保育園委託。しかも父母との合意を全面ぶっちぎりという暴挙で行われた、わがだいこんの里は光が丘第八保育園の委託先選定。その委託先決定の記事が今日、区のホームページに掲載されました。って、今日から委託(正確には準備委託と言いますが、同じことです)開始ですよ?! 「決まりました」の報告と「始まった」が同じ日って、まあ、普通に考えて、常識的ではありません。「やっちまったから黙ってろ」という意味だと取られても、仕方ないのでは。

こんなこと許してたら民主主義って死滅の道なんじゃないですか? 前にも書いたんですけど、民主主義というのは手続の厳正さによってはじめて守られるものです。一方的に約束反故にしていいなら何でもできますよね。国政もろくでもない状態ですけど、コレ見てるとまだマシにすら思えてくる…。今月下旬から次の議会です。何をすればよいんだろう?

ギンガ系。

2005-08-30 | 聴いた。
さて本日総選挙が公示されました。…という話は今はさておき。

ギンガです。銀河じゃありません。Guingaと綴ります。ブラジルの方なのでファーストネームというよりは「呼び名」なのかなあという感じもします。作曲家です。ギターも弾きます。歌も歌います。でも、何よりその独特の和声感覚とメロディラインで作曲家としての認知が高いです。

そんな訳で、私も本人名義の作品は聞いたことがなく、セルメン(Sergio Mendes)やレイラ・ピニェイロ(Leila Pinheiro)などによる演奏でだけ、その不思議にねじくれた、それでいて軽妙な音楽世界に触れていました。ギンガのご縁で遊んでいただいている金井さんも同様だったようです。ところが、金井さんはギンガの自作自演を聴いて、他者によるカバーが物足りなく感じるくらいハマったとのこと。そこで私も、ブラジル指南役のなべぞうさんからCDを借りて聴いたのですが…これが、スゴイ。

確かに、薄々思っていたんです。半音階だけでなく、不安定な分数コードやルート音外しやディミニッシュを多用する、どことなく不安定な移ろいを見せるギンガの作品に、レイラのピンと背筋の張った「上手い歌」では十分に良さが出てないのではないか、と。その点、今回お借りしている3点、"Delirio Carioca", "Cheio De Dedos", "Cine Barones" (業務連絡: "Noturno Copacabana"の中身違いでウチに来てます>なべぞうさん、源之新さん)はいずれも、ストリング含めた繊細なアレンジに乗せて、そよ風にさえ揺らいでしまいそうなギンガの声が歌い、えも言われぬトリップ感を醸し出します。

ムード・ミュージック、という言葉はあまり褒め言葉としては使われませんが、ある意味ギンガの自己名義の作品は、究極のムード・ミュージックだなと思いました。部屋にこの音を流した瞬間、部屋がそのあやうく脆い世界の光に染まり切ってしまうような感じ。これは、病みつきになります。