マルの素

『お気に入りなもの』をいろいろと。

『指定バトン』~読売ジャイアンツ編~<追記アリ>

2006-07-07 10:58:57 | 野球全般
1ヶ月前、指定バトンぼぶさんに回したんですが、また戻ってきました。

 お題は『読売ジャイアンツ』であります




 1. 最近思う「読売ジャイアンツ」


奇しくも昨日の敗戦によって、ジャイアンツの今季の自力優勝が消えたわけですが。

なんと言いますか・・・若手の台頭・新戦力の活躍などで勢いがあった春先から一転、ズルズルと連敗していくジャイアンツは見るに耐えなかったです。他球団と比較しても戦力的には恵まれていると思うので、選手を適材適所で起用してチームが一つにまとまれば、もっともっと強くなると思うんだけどなあ。今、チームのムードメーカー、と言うか、若手も移籍選手もひっくるめて束ねて引っ張って行けるリーダー的選手って誰なんだろう? タイガースでの金本的存在は小久保? 野手で生え抜きの最年長者は・・・仁志か、う~ん。



 2. この「読売ジャイアンツ」には感動!!!!


1977(昭和52)年9月3日、後楽園球場で王選手が放った通算756号ホームランをテレビの中継で見た時は、素直に感動しました。



 3. 直感的「読売ジャイアンツ」


後楽園球場でのデーゲーム 阪急ブレーブスとの日本シリーズ



 4. 好きな「読売ジャイアンツ」


今思えば、野手陣では松本・河埜・篠塚・原・ホワイト・中畑・トマソン・山倉・淡口・山本功児・中井・柳田、投手陣では江川・西本・加藤 初・定岡・角・浅野・新浦・鹿取・藤城らいた頃のジャイアンツのゲームは、結構楽しんで見ていたような気がします。特にリリーフに角が出てきた時はワクワクしたなあ



 5. こんな「読売ジャイアンツ」は嫌だ!!!!

木村拓がセカンドでエラーをした日には、いたたまれなくて見ていられない
タイガース戦でジョージにホームランを打たれたら・・・以下自粛。



 6. この世に「読売ジャイアンツ」が無かったら


正直言って、ここまで『野球』に対してアツくのめり込めたのは「読売ジャイアンツ」の存在があったからと言っても過言ではありません。野球に興味を抱き始めた頃から、父親の影響で少なからず『アンチ』ではありましたが、その思いは1978年に起きた江川投手電撃契約騒動~空白の一日~で決定的となりました。「読売ジャイアンツ」的な視点や、それに対する批判意見から広くプロ野球界を眺める事により、構造的な問題やその在り方について、自分なりの考えを持てるようになったのだと思います。

なので、もしこの世に読売ジャイアンツが存在しなければ、単なるミーハーな野球ファンになっていたと思います


 ~オマケ~


我が家の本棚には、こんな本もあります

 アンチ巨人讀本 畑田国男&嫌巨会/角川文庫/昭和58年7月25日初版

 アンチ巨人狂本 畑田国男&嫌巨会/角川文庫/昭和59年9月10日初版

 読売巨人軍再建のための建白書 草野進・渡辺直己/角川文庫/平成元年3月10日初版

 巨人軍タブー事件史―「栄光」の歴史に刻まれなかったストーリー  宝島社/2005年12月1日発行


「アンチ~」の2冊はちょっと毒が強いですが、「読売巨人軍再建~」の方は、ジャイアンツのみならずプロ野球界全体への提言としても捉えられる内容です。しかも、20年近く前に発行された本にも拘らず、ここで語られれている内容は現在にも通用する・・・ってことは、20年前からこの国のプロ野球界は殆ど前進していない?

 
『我が家の本棚』追記しました。


 巨人軍陰のベストナイン  上前淳一郎/角川文庫/昭和57年4月20日初版

木次文夫・藤尾茂・岩下守道・土屋正孝・城之内邦雄・吉田勝豊・田中久寿男・高倉照幸・森永勝也・・・『巨人軍』の栄華の陰で才能がありながらも埋もれていった人達にスポットを当てた本です。さすがに記憶はありませんが、当時のジャイアンツの『チーム内裏事情』がよくわかる内容です。


 「読売巨人軍」の大罪 海老沢泰久/講談社+α文庫/2002年2月20日初版


著者が2001年前後に『東京中日スポーツ』や『週間ベースボール』等で書いたコラムを集めて一部加筆などをして編集された本です。内容はジャイアンツのみならず、プロ野球界全体に蔓延る「ファン不在」「ご都合主義」の風潮に喝を入れ、魅力的なプロ野球界を取り戻すための提言もなされています。



 7. 次に回す選りすぐりのエンターテイナー


この記事を読んでくださった方、よろしかったらアナタも「読売ジャイアンツ」に関して語ってみませんか?
 

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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
考えてみれば (スチャラカ次長)
2006-07-06 15:00:53
>>野手陣では松本・河埜・篠塚・原・ホワイト・中畑・トマソン・山倉・淡口・山本功児・中井・柳田、投手陣では江川・西本・加藤 初・定岡・角・浅野・新浦・鹿取・藤城



引用が長くなりましたが

上記中で外国人を除き、移籍選手と言えば【柳田・加藤初・浅野】だけですな ジャイアンツがジャイアンツらしかった頃と言えますな~。



この頃よく甲子園に行きました。T×G戦を見に。

試合前の応援合戦がオモロかったですな。

T『江川の耳は、ロバの耳~』

G『岡田の鼻は、豚の鼻~』

T『万年刈り上げ、なーかはた~』

G『暴投サヨナラ、こーばやし~』

T『オヤジとホ●の、たーつのり~』

G『くーやしかったら、勝ってみろ~』



んで、T側がギャフンで終わりね
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続・考えてみれば (マル)
2006-07-06 16:30:06
>次長



記事を書くのに、今年の選手名鑑を見ていたんですけど

生え抜きの野手の最年長が仁志というのは

ちょっと驚きでした。彼、もう35歳なのね。

ちょっと桧山とオーバーラップしてしまった。

ちなみに、小久保と大西も同学年なんですね。



で、引用していただいた当時の選手なんですが

皆、長い間レギュラーで出ていた記憶がありますよね。

ちょっと後になると、岡崎・吉村・駒田・川相・槙原・斉藤あたりが出てきて。



「ジャイアンツがジャイアンツらしくなくなった」のは

落合がFAで入団した頃から?

根拠はありません、ただ漠然とそう感じるのですが。



>>んで、T側がギャフン



「ギャフン」という言葉、最近見ませんな

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続々・考えてみれば (スチャラカ次長)
2006-07-06 17:26:11
>>落合がFAで入団した頃から?

>>根拠はありません、ただ漠然とそう感じるのですが。



いやいや、その通りだと思いますな。

巨人軍史上で、自軍の四番打者に据える目的で他球団の選手を獲ったのは、この落合が初めてやったんやないかと思います。



まあ、それ以前にも張本を獲ったり、もっと古くは関根(近鉄)とか高倉(西鉄)とかを獲った歴史はありますが、その時はONという立派な自前の四番打者が居たわけですからね。



この違和感。これが「ジャイアンツがジャイアンツらしくなくなった」スタートと言えるとワシャ思う
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Gファンの友人がおります (メル)
2006-07-07 10:19:13
東京生まれの東京育ちで、「V9が記憶にある」という友人がおります。プロ野球ファンになってまだ数年の私にいろいろ教えてくれています。笑。

が、「来週、スワ対Gを神宮に見に行こう~」とお誘いしたところ、もうペナントレースに興味がなくなった。とのこと。

「えぇ!?私が行くと何かがあるかもよ。(スワ貧打とか~)」と押してみたら、「それなら行きたい気もするけど、なんかそれでもだめなような」などと弱気です。



私としては「大西、清水、木村」と学生時代にクラスにひとりはいた普通の苗字(すみません)の人たちがいる今のGになんとなく親しみを感じてます。ま、親しみを感じるのと応援するのは別ですが。



そうそう、9月のナゴドの時、お会いできたらいいですねー。○時、嘉ッ波前待ち合わせとかね。笑。
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巨人軍陰のベストナイン (シルク@昼休み)
2006-07-07 12:55:17
後の方に名前の出てくる選手、『ONの後の5番打者を…』と、他球団で少し力が落ちて年俸との釣り合いが悪くなってきた選手を集めていた頃の選手ですね



故・森永さんはジャイアンツでプレーされているのを覚えています(というか、カープでプレーされていた姿は知りません)

昭和の時代のプロ野球ニュースで解説されていましたね
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続・巨人軍陰のベストナイン (スチャラカ次長)
2006-07-07 14:44:19
いやあ、金曜の午後は仕事する気なくて>シルクはん



なるほど、森永さんもそうですな。

ルーツさんの前のカープの監督ですな。



柳田(大毎)町田(国鉄)関根(近鉄)高倉(西鉄)森永(広島)田中(西鉄)桑田(大洋)・・・こんなとこですかね?



何かの本で読んだんですが。ジャイアンツが優勝して祝賀会がありました、と。高倉選手が王選手に『さあ、2軒目何処行こう?』て訊ねたら『家に帰るさ』と言われたそうで やっぱり巨人と西鉄はちゃうんやなーと物凄いカルチャーショックを感じたそうであります。
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>メルさん (マル)
2006-07-07 15:10:20
ええっ?! メルさんってプロ野球ファンになってまだ数年

そうなんだ・・・ちょっと意外でした。



職場のジャイアンツファンも、春先の威勢はどこへやら、

ペナントへの興味はすっかり薄れてます

中継を見る気も起こらないそうな。

スポーツ新聞すら読もうとしませんもん。



ナゴド、7月と8月の3連戦はそれぞれ2戦ずつしか行けませんが

9月は3連投するつもりです。

嘉ッ波前で待ち合わせね、了解で~す
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続々々・考えてみれば (マル)
2006-07-07 15:12:51
>次長



>>巨人軍史上で、自軍の四番打者に据える目的で他球団の選手を獲った



この『四番打者』ってのがネックですね。

あと、シルクさんとこの記事にあった『高卒の生え抜き選手』



ぼぶさんとこで始まった「どこでどう間違ったのか」の答えが

ここから見えそうですね。

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エースは平気で (ヒデ@ケータイ)
2006-07-07 15:39:27
引き抜くねんけどね。別所さんとか。
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続々・巨人軍陰のベストナイン (マル)
2006-07-07 15:41:53
>シルクさん&次長



シルクさんがおっしゃるとおり、吉田・田中・高倉・森永4氏については【燃え尽きた助っ人たち】というセクションで語られています。



で、このセクションは、昭和25年に2リーグ制が発足して以来初めて、巨人がBクラスになった昭和37年オフの話から始まります。



川上監督は就任2年目。すでに王・長島を軸とするチームではあったが、その前後があまりにも打てない。そこで川上は、アメリカ大リーグから大砲を招聘することを考るが、正力松太郎の一喝で頓挫。切羽詰った巨人は、他球団の『打てる外野手』を連れてくることでチームを立て直そうとする。ここから、【5番打者の1年使い捨て方式】が始まった。



この事について監督引退後、川上は「初めから使い捨て(すなわち、中途入団者はいつかは巨人から離れていく人たち、力がなくなったらやめていってもらう人たち)するつもりで採っていた」と語っている。



この辺りを読んでいると・・・昔は5番打者を使い捨てにしたが、現在は・・・ああ、あんまり言わないでおこう

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