アジア映画巡礼

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第14回東京フィルメックス始まりました!

2013-11-24 | 映画祭

今年で14回目を迎える映画祭<東京フィルメックス>が昨日より始まりました。オープニング作品であるジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の『罪の手ざわり』 2013/中国、日本/原題:天注定)は見られなかったのですが、それに続く上映作品、モフセン・マフマルバフ監督の『微笑み絶やさず』 2013/イギリス/原題:Ongoing Smile)を見てきましたので、簡単にご報告を。

この作品は、釜山(プサン)国際映画祭(PIFF)の元ディレクター、キム・ドンホ(金東虎)氏を追いかけたドキュメンタリー映画です。キム・ドンホ氏はPIFFの1996年第1回から2011年まで、15年間ディレクター(組織委員会執行委員長)を務めました。まさにPIFFの顔と言っていい人です。下の写真は、1997年1月にインドのトリヴァンドラムで行われたインド国際映画祭でお会いした時のキム・ドンホ氏です。左に写っているのは、インドの大御所映画監督ムリナール・セーンです。

 

本作は、キム・ドンホ氏がディレクターを辞めたあとの生活を追っています。まず、朝もまだ暗いうち、午前5時頃にキム・ドンホ氏が起床するところから、カメラは自宅に入り込みます。朝の1時間近いジョギングというかウォーキングのあと、かなりヘビーな朝食を食べながら新聞に目を通すキム・ドンホ氏といったプライベートな映像と共に、映画祭の会場でしょうか、キム・ギドク監督を始めとする映画人が丁寧に彼に挨拶する映像が映し出されます。そしてそれに、キム・ドンホ氏の英語によるナレーション「私は1937年に江原道(カンウォンド)で生まれ、5歳の時にソウルにやってきました...」がかぶります。それを見ながら、日本統治時代に生まれ、その後解放を経て朝鮮戦争を十代で体験した、キム・ドンホ氏の青春時代はどんなだったのだろう、と思ったりしました。

ただ、本作はそういう深い追求はせず、その後公務員となり、検閲の仕事に携わったあとPIFFのディレクターを務め、現在は短編映画の監督としてもデビューしようとしているキム・ドンホ氏の日常の断片を写していきます。そして、PIFFのプログラミング・ディレクターのキム・ジソク氏、香港の映画評論家ロジャー・ガルシア氏といった人々に、キム・ドンホ氏を巡るいろんなエピソードを語らせます。ジュリエット・ビノシュに乞われてダンスをするシーンも登場し、有名人から一般の観客まで分け隔てなくつきあっていくキム・ドンホ氏の姿が描かれていくのです。

彼の初監督作である短編映画は『審査員』というタイトルだそうで、映画祭の審査員になった5名(アン・ソンギやトニー・レインズなどの顔が見えます)が意見の相違でつかみ合いのケンカをする、という結構刺激的な作品のようです。「映画監督の仕事は、私の新しい地平を切り開いてくれた」というキム・ドンホ氏の言葉は、70歳を過ぎても若々しい精神を保つ彼の姿をよく伝えています。「私の人生には3つの段階があって、1.役人の段階、2.映画祭ディレクターの段階、そして今は3.アーティストの段階なんだ」というキム・ドンホ氏。ますますお元気で、と思ってしまいましたが、映画自体もそこでとどまっている感じのドキュメンタリーでした。

上映終了後、モフセン・マフマルバフ監督によるQ&Aが行われました。司会はフィルメックスのディレクターの1人、林加奈子さん、通訳は日本におけるイラン映画の母とも言えるショーレ・ゴルパリアンさんです。

林ディレクター「この映画を作ったのはどうしてですか?」

マフマルバフ監督「キム・ドンホさんは私の師匠なんです。私自身の人生のモデル的存在であり、その人の人生を皆さんとシェアしたかったんですね。
そして、私の感謝の気持ちも、この作品で伝えたいと思いました。アート系の映画はいろいろ紹介されるのですが、その映画を支えている映画祭のことは、誰も紹介したことがなかった。そういう映画祭への感謝の気持ちをこめて、本作を作りました。
あと、現在は寿命が長くなっています。年を取った人が多くなった現在の世界で、キム・ドンホさんは彼らのモデルになれると思ったのです。キム・ドンホさんはシンプルな生活をしながら、活躍している。それを見ると感銘を受けます。
もう一つ、お金がなくても映画を作れることを示したかった、ということもあります。カメラがあり、自分と子供がいれば映画は作れる。前の作品『庭師』も予算ゼロでした。プロデューサーが見つからない時は、カメラをペンのように使って作るのだ、ということを私は訓練しているのです」

林ディレクター「はい、では会場からのご質問を受け付けます」

マフマルバフ監督(会場からなかなか手が上がらないのを見て)「皆さんの質問の答えを、私が全部しゃべってしまったかな(笑)」

Q「マフマルバフ監督はキム・ドンホさんを自分の先生だとおっしゃってますが、キム・ドンホさんは役人から映画祭に入った人、監督は投獄されたりという人生を歩んでこられました。お二人の共通点は、どういうところにあるのですか?」

マフマルバフ監督「彼は60歳で役人をリタイアして、プサン映画祭に加わっています。その生活を見てみると、打ち合わせをしながらご飯を食べたりととても忙しい。今は映画祭からも身を引いて、奥さんの収入で生活してるんですが、今でも人々と会って、彼らを結びつける仕事をしています。マネジメントが上手なんですね。そして、どんな人に対しても尊敬の念をもって接しているという、モラルを持っている人でもあります。マネジメントの手腕とモラルとを兼ね備えている人として、私は自分のモデルにしたいんです。彼はまた、役人時代に検閲をなくした人でもありますしね。刑務所にいた時代、検閲のせいで刑務所に入れられた芸術家たちをたくさん見てきました」

林ディレクター「キム・ドンホさんはとてもユニークな方で、映画祭のディレクターがみんなこうだと思われると困ります。あの方と私の共通点は、ご飯を食べるのが早いというぐらいです(笑)。この作品は、何日ぐらいかけて撮ったんですか?」

マフマルバフ監督「『庭師』のポスト・プロダクションで韓国にいた時、キム・ドンホさんが短編映画を撮る、ということを聞き、メイキングのようなものを撮ることにしました。その後、釜山国際映画祭があった時もカメラを回しました。私はキム・ドンホさんとはまったく似ていないので、彼になりたくて撮っているという面があります。この作品を彼に見せたら、”僕はぶさいくで、英語も下手だねえ”という感想をもらいました。とても謙虚な人なんです」

林ディレクター「キム・ドンホさんがジュリエット・ビノシュさんと踊る所がありますが、映画祭のディレクターは打ち上げとかで必ず踊らされる宿命にあるんです。私も踊ったことがありますが、その時のお相手はアミール・ナデリ監督でした(笑)」

Q「撮影のクレジットに息子さんのお名前がありましたが、監督ご自身がカメラを回したのはどのくらいですか? キム・ドンホさんはカメラを意識していましたか?」

マフマルバフ監督「カメラはメインが息子で、リアクション・ショットが私です。キム・ドンホさんの日常はずっと走っている感じで、追いかけるのにヘトヘトになりました。この映画には奥さんがまったく写っていませんが、それは”私は写さないで”と言われたからです。”夫の陰にいる存在として写されるのはイヤ”ということで、写るなら自分個人として、ということでした」

林ディレクター「次回作についても聞かせて下さい」

マフマルバフ監督「次はビッグ・プロジェクトで、グルジアで撮る予定です。英語映画で、テーマはデモクラシーです。12月中に準備し、1月から撮影に入る予定です」

フィルメックスは初参加というマフマルバフ監督、大いに語ってくれました。こういう監督のお話が至近距離で聞けるのも、フィルメックスのいいところ。会期は12月1日までです。ぜひ一度、会場に足を運んでみて下さい。公式サイトはこちらです。

マフマルバフ監督は審査委員長なので、コンペ作品の上映時には真ん中の段の席に座っている可能性大。お邪魔にならないような時をみはからって、「アッサラーム・アレイクム(こんにちは)。ハーレ・ショマー・クーベ(ご機嫌はいかがですか)? ヘイリー・コシュハーラム・ケ・ショマー・ラー・ミービーナム(お目にかかれて嬉しいです)」と言ってみて下さいね。サインをもらった時は「ヘイリー・モタシャッキラム(ありがとうございます)」です。がんばって下さい!

 


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