日本マレーシア学会結成20周年を記念した標記のシンポジウムが、12月11日(日)に東京外国語大学で開催されます。まずはその詳細を、「マレーシア映画文化研究会」のサイトからそのまま引用させていただきました。
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日本マレーシア学会結成20周年記念シンポジウム
ヤスミン・アフマドにみる映画とマレーシア
――グローバル的混成社会における大衆文化――
日時:2011年12月11日(日)
10:00-13:00 午前の部 : ヤスミン作品参考上映(予定)
13:00-16:20 午後の部 : シンポジウム
会場:東京外国語大学(東京都府中市朝日町3-11-1)交通アクセス
プログラム
■午前の部
10:00-12:00 参考上映『タレンタイム』(Talentime、2009年、ヤスミン・アフマド監督、日本語字幕:マレーシア映画文化研究会版)
12:00-13:00 談話会「タレンタイムを語る」
※参考上映の後、シンポジウム開始までの時間に、希望者が会場に残って『タレンタイム』やヤスミン作品について自由に感想や意見を交換する場を設けます。昼食持参でどうぞ。出入り自由なので途中から参加してもかまいません。
■午後の部
13:00-13:10 趣旨説明 篠崎香織(北九州市立大学)
第1部 マレーシア映画の複層性
司会 西芳実
報告1 篠崎香織 「マレーシア新潮流と映画祭―外部世界のまなざしで開くオールタナティブ」
報告2 深尾淳一(映画専門大学院大学) 「マレーシアのタミル語映画を概観する」
報告3 山本博之(京都大学) 「サバ州のテレムービーに見る「陸の民」と「海の民」」
討論
休憩
第2部 ヤスミン・アフマドとは何だったのか
モデレーター 深尾淳一
趣旨説明 深尾淳一
石坂健治(東京国際映画祭「アジアの風」部門プログラミング・ディレクター/日本映画大学教授)「ゼロ年代の世界映画とヤスミン・アフマド」
山本博之「ヤスミン・アフマドを生んだマレーシア」
パネルディスカッション
総合討論
【主催】マレーシア映画文化研究会
日本マレーシア学会(JAMS)
【共催】京都大学地域研究統合情報センター共同研究「大衆文化のグローバル化に見る包摂と排除の諸相―マレーシア映画を事例として」(代表:篠崎香織)
(cinetama注:詳しい「趣旨説明」が「マレーシア映画文化研究会」のサイトに掲載されています。お出でになる方もなれない方も、それをお読みいただければどんな内容が話されるのかがよくわかりますのでぜひご参照下さい)
☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆‥☆ 上記の「趣旨説明」の中に、「”マレーシア映画の父”と称されるP.ラムリーの没後、マレーシアの映画産業は長い停滞に陥っていると一般に理解されている」というくだりがあります。日本ではP.ラムリー以降、一足飛びに2000年代の多様な映画製作に記述が移ることが多いのですが、私の感覚では、1990年代にマレーシア映画は一度、ポストP.ラムリー隆盛期を迎えていると思うのです。 この時代、まず1990年に、アジズ・M・オスマン監督が『現象(Fenomena)』で、そしてユーソフ・ハスラム監督が『死の影(Bayangan Maut)』でデビューします。この2人が牽引する形で、1990年代に娯楽映画のヒット作がたくさん世に出るのです。
アジズ・M・オスマン監督の作品では、マレーお化け映画の系譜にもつながる『XX光線(XX Ray)』 (1993)シリーズや『ファンタジー(Fantasi)』 (1994)などが人気となりました。
また、現代KLの若者たちをトレンディー・ドラマ風に描いた『夢の娘(Puteri Impian)』 (1997)シリーズもウケました。そのほか、人気グループ5人組シナリオを主人公にした作品『映画版シナリオ(Sinario The Movie)』 (1999)も大ヒット。シナリオの主演作のうち、『追いつ追われつ』 (2001)は2001年のアジアフォーカス・福岡国際映画祭で上映されています。
一方、ユーソフ・ハスラム監督作品では、何と言っても『竹の刀(Sembilu)』 (1994)シリーズが最高! 私も、アウィを巡る美女2人、エラ・ファジラとジアナ・ザインの恋の鞘当てに夢中になった1人です。アウィとジアナ・ザインは当時の人気歌手で、このシリーズは彼らの歌が劇中に挿入されるという一種のミュージカルでもありました。『竹の刀 2(Sembilu 2)』 (1995)もヒットし、その後別の監督で「3」に当たる作品も作られるなど、「スンビル」台風が吹き荒れたのが1990年代の半ばでした。
また、エラ・ファジラとジアナ・ザインを姉妹に仕立てた『マリア・マリアナ(Maria Mariana)』 (1996)もシリーズ化するなど、ユーソフ・ハスラム監督も何本もヒット作を世に送ったのです。
その一方で同じ頃、社会派の監督としては、日本でも『女、妻、そして娼婦』 (1993)(下写真左)、『放火犯』 (1994)、『闘牛師』 (1997)が上映されているウ=ウェイ・ビン・ハジサアリ監督や、『ベールの人生』 (1993)(下写真右)のシュハイミ・ババ監督らが活躍しました。1990年代は製作本数は年20本を超えなかったものの、実り多き年代と言うことができると思います。
なお、『ベールの人生』には、ヤスミン・アフマド映画でお馴染みのシャリファ・アマニが子役で出演していたり、坊主頭のお父さん役ハリス・イスカンダルが出ていたりします。こういう1990年代が、2000年代の多様化とさらなる隆盛を準備した、というのが私の考えです。もちろんそこには、あまりにもブミプトラ(マレー人優遇)政策に忠実すぎた1990年代作品が反面教師ともなった、という位置づけもあるんですけどね。11日はそんなことを考えながら、シンポジウムを聞かせていただこうと思っています。