チョイさんの沖縄日記

 私は8年前に家族全員で沖縄に移住してきました。このブログは、辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録です。
 

機動隊が暴力でゲートの封鎖を実力解除、けが人が相次ぐ

2012年10月02日 | 沖縄 オスプレイ

  (9月30日(日)メインゲートの封鎖は、機動隊により暴力的に解除されてしまった。野蒿ゲートでも、夕刻になって機動隊が迫り、国会議員らを先頭に座り込んだ(車の後ろにも大勢の人たちがぎっしりと座っている。))

 

 9月30日(日)、普天間基地メインゲート(大山ゲート)で目が覚めた。とうとう一晩中、封鎖を解除させなかった。普天間基地の全てのゲートが県民の実力行使で封鎖されるという素晴らしい事態がまだ続いているのだ。

 途中、市民広場の第4ゲートに機動隊や米兵たちが集まってきたという知らせが入り、何名かで第4ゲートに向かった。スクラムを組んで座り込む。3名の弁護士さんらが来てくれ、警察の責任者に、米軍への提供施設内では、警察権は行使できないと追及したこともあってか、機動隊は実力行使をあきらめて撤退していった。

 しばらくして、また、メインゲートに戻った。

 日曜日ということもあって、ゲート前には大勢の人たちがやってくる。台風もすっかり通りすぎて、さわやかな好天、機動隊の動きもなく、まるでピクニックに来ているようなのどかな雰囲気が続いた。照屋寛徳衆議院議員や、県会議員らも数人やってきた。

 昼過ぎ、どうしても済ますておかなければならない用があったので、しばらくは動きはないだろうと、いったん帰宅した。ところが、家に着いてメールを見ると、なんと私が現場を離れた直後に、機動隊の実力行使が始まったのだ。あわてて、普天間に戻る。

 ゲート前には警察の阻止線がはられ、その向こうでは、機動隊が、座り込み参加者だけでなく、報道関係者も、排除を始めていた。停めていた車は、2台がレッカーで引っ張られ、1台は駐車違反の切符が切られたという。警察は、米軍への提供用地で道路交通法を強引に適用したのだ。

 現場は装甲車が並べられて近づけない。排除された人たちは、横の広場で集会を開き、これからの行動を相談する。明日のオスプレイ配備に向けて、次は、野蒿ゲートの封鎖が解除される恐れがあるということで、皆、すぐに野蒿ゲートに向かった。

 途中、佐真下の第2ゲートの封鎖現場に寄る。ここは、若い人たちが多く、野蒿やメインゲートとはまた違った雰囲気となっている。

 夕刻になって、野蒿ゲートでも機動隊が増強されてきた。皆で座り込む。最前列には、国会議員(糸数慶子参議院議員、玉城デニー衆議院議員)らが座り込む。沖縄の国会議員は、素晴らしい。

 車の間、そして車とフェンスの間にも、大勢の人たちが座り込んだ。

 午後7時頃になって、基地の中に米軍のMPが来た。「座り込みを解いて立ち退いてください。」というマイクの通告を合図に、機動隊の実力行使が始まった。米軍と警察の連携プレーだ。

 座り込む県民らに襲いかかる機動隊員。車の間の狭いところなので、マスコミのカメラが届かないためか、機動隊の暴力は、今まで以上に強烈だった。

 座り込んでいた県民の一人が倒れこんでしまった。「救急車を呼べ!」と何度も要求し、やっとタンカで救出された。

 救急車が行くと同時に、また機動隊の実力行使が再開された。前の人たちが排除されてしまい、私に4人の機動隊員が襲いかかってきた。両腕を強引に掴まれ強烈な力で引っ張られるが、後ろの人が私のベルトを握って抜き出されるのを防いでくれる。すると、機動隊員が、仰向けになった私の胸の上に膝をつき、後ろの人に襲いかかり始めた。両腕や胸が痛い。何分か抵抗を続けたが、後ろの人の手も離され、とうとう6人ほどの機動隊員に両手両足をとられ、引き出されてしまった。

 そのまま、20Mほど運ばれ、皆のところで降ろされる。なんと、車道の一部を大型の装甲車3台で区切り、歩道側のガードレールの後ろに機動隊員がぎっしりと並んだ狭い一角に、強制排除した県民らを閉じ込めているのだ。2人の国会議員や市会議員ら、そして弁護士さんらもみんな収容されている。池宮城弁護士が、「これは監禁ではないか!」と抗議するが、機動隊員らは無視を続ける。

 いつまでたっても解放されない。女性たちが、トイレに行きたい!と訴えても、出そうともしない。暑いし、装甲車の排気ガスが臭いこともあって、気分が悪くなる人たちが出てきた。飲み水も何もない。こんなとんでもない人権蹂躙が何故、許されるのか?

 しばらくして、Mさんが、しゃがみ込んでしまった。気分が悪そうだ。なんとか要求して、救急車を呼ばせる。救急車が来て、Mさんと付添の一人が出ていった。

 しばらく抗議を続けた結果、国会議員らが解放され、さらに1時間以上たって、女性たちが解放された。しかし、男性らの拘束は、3時間ほども続いただろうか。

 監禁罪で告訴しようということになり、我々を閉じ込めている20人ほどの機動隊員の顔写真を撮っておくことになった。順次、機動隊員の顔写真を撮るが、ほぼ全員の機動隊員が俯いてしまったり、横をみたりして、顔の写真を撮られないようにする。やはりこんなひどいことは後ろめたいのだろうか。

 2台の装甲車の間に、腰をおろして横ばいにいくとなんとかすり抜けられる場所を発見、数人で脱出に成功する。その後、しばらくして男性たちもなんとか解放された。

 ゲート前に残った車の上には、数人の県民らが残って頑張っている。もう4時間ほどにもなるので水などを差し入れしようとするが、それに対しても機動隊が阻止線をはり、中に入れようとしない。皆で機動隊の壁にぶつかり、中に入ろうと抗議を続けた。長い抗議の結果、警察の責任者が、差し入れの品だけを預かり、車の上に残っている人たちに渡してくれた。 

 そして、午後11時半。車の上に残っていた数人が下に降り、この日の攻防戦は終わった。

 昨夜は泊まり込み。そして昼過ぎから深夜にかけての機動隊の実力行使。本当に疲れた1日だった。

 

 

 

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