美らごはん(new version)沖縄と宮古島

   ブログの無断転載をお断りします。
   

閑話休題

2016-10-08 19:10:03 | 沖縄情報



阿蘇が噴火しましたが
午前10時少し前だったと思います。
お昼前に関東は曇りの空が突然ひんやりしてきて
大粒の雨がふりだしました。
出かける用があるので、雨の中を出かけほんの数分屋内にはいり
外を見たら太陽が照り付けていました。
噴火と関係があるのかもしれません。










さて現在の満州地域に高句麗はあったと言いますが
高句麗はフビライに降伏します、そして崩壊直前に多くの難民が鴨緑江を超えたと説があります。
満州あたりに高句麗があるのであれば
現在、中国と北朝鮮が領土で揉めている場所には
もともとの満州あたりの人達が住んでいるという事にもなりますが。
高句麗人を追い出したという事になりますが

鴨緑江は中国北部と北朝鮮の国教となっている川で
白頭山が水源になっています。
ある種の聖地で二つに分けていますね。

高句麗は崩壊直前、ルートを分け逃避行を続け
将軍クラスが沖縄まで逃げた説があり、これが高句麗瓦と遺物として残されていた記録があります。
高句麗は韓国あたりだと思ってしまいますが
歴史認識というのは歴史をそのまま信じると目が見えなくなります。
広開土大王のモニュメントもにありますが、これらも良く分からないところです。

北の在り方を見ていると
追い詰められ難民として苦しい立場にいた
遥か古代の高句麗の民の集合霊を
上手く使って抑え込んでいる気がします。
これらの集合霊たちが浮上すると、いろいろな大変化が起きる様な気がしますが
現在は、温存しているのでしょう。
日本の高句麗関係の神社が埼玉にあるのですが
興味深いのが日高にあるのですね。
日高見ですから縄文の地に高句麗の王が奉られているのが不思議です。

沖縄の琉球王朝発足どき
この高句麗の末裔の立ち位置がどのあたりであったのか非常に気になるところです。



高麗神社のホームページから
高麗神社の主祭神は、かつて朝鮮半島北部に栄えた高句麗からの渡来人高麗王若光(こまのこきしじゃっこう・「王」は 他に「こしき」「こにしき」「こにきし」などとも読む)です。
最盛期は5世紀の「広開土王(こうかいどおう)」、「長寿王(ちょうじゅおう)」治世の100年間で、中華人民共和国吉林省集安県にある「広開土王碑」から、そのころの高句麗の強勢ぶりをうかがうことができます。

若光が渡来した年代についての社伝はありませんが『日本書紀』天智天皇称制5年(666年)10月高句麗から派遣された使節の中に「若光」の名があります。

『続日本紀』文武天皇大宝3年(703年)に「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」と記されており、高句麗が668年に唐と新羅によって滅ぼされてしまったことを考えると、『日本書紀』にある「若光」と当社の御祭神である「高麗王若光」は同一人物と思われます。




-
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 浄化 | トップ | 古代 »

コメントを投稿

沖縄情報」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。