美らごはん(new version)沖縄と宮古島

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カタチ

2017-07-01 09:00:04 | 沖縄情報




これまで本に書かれている世界で語られる
そして古代から語り継がれる神様という物。
私の体験とは想像しているものと全く違いましたが、神様と言うことを文章には書きますが
どんなものでも最初は空間に精神の最初のカタチが生まれます。
スタートは全て同じで人の意識でカタチが決まる。



世界の宗教は商社ビジネスからくる営業の展開の様な物で発展しましたが
神道の場合は
自然を畏れ畏怖し先祖信仰にある祖神を神とする
地域の宗教観をひとまとめにしたものの様です。
内容的に人が作った神様を巡り、戦いが生まれにくいものでですが
心を支配するには巧妙で穏やかな方法で、この時代から人の上に立ちたい人はいたのですね。
これらの仕組みで心穏やかに暮らせた時代もあったようです。

考えればわかりやすいですが
バラバラでしたが穏やかであった氏神信仰を神社にまとめた勢力がいることになります。
それでも時代霊の流れの中だと言えばそうなのでしょう。



神道も裏表の信仰体系がありますが
仏教系が分かりやすくて、聖徳太子の残された像は実は敵方が呪詛を掛けるために
作られたと言う説もあり、また国宝級の木工仏像もそうである可能性が高いものもあるようです。

沖縄全体でもそうですが表は自然の御獄とされ多くの人が訪れる聖地が
実は裏の神は密教であると言う場所もあります。
怖い思いをした集落で伝わる伝承は消えない。
こういう場所は決して閉鎖的でなく鳥居があったりして御獄になっていたりしますが。
支配するものとされるものの
談合がはるか昔にあったんですね。
与える力と受け取る力はここではバランスが取れていたのかもしれませんが現在はどうでしょう?
談合を星で結界を張る話は多いですが似た様な物でしょう。
シンボルとして鳥居が必要であったのでしょうか。


いわゆるスピリチュアルビジネスで語られる受け取りですが
根底にバランスを求めていますが私から見ると非常に狭い世界です。
対価と代価の常にバランスを求めている。

なんらかの力を与えたと思っている人が、実は日常で誰かから金銭に代えられない力を
受け取っているので日常が回っているのだと思う。
対価と代価に拘る人はある意味で商魂がたくましく、常に自分が得する事ばかり考えて
人を余り信じないようです。



人に与え過ぎたかなと思う力も
現実ではプラスになり知らず知らず誰かに助けられて健全にバランスが取れるようになっています。

結局は分離した世界観です。
排他的な物は隙が大きいので悪霊に簡単に取り憑かれてしまうと感じています。
排他的な人がある日に宗教団体の広告塔になっている事もありますし。

古代の日本では神道がここまで大きくなったのは
結局は排他的な集団を買収や神様の偽の力など、例えば(明日の朝どこどこに水が滲み出る場所を他の信仰系が予言)
そして夜のうちにこの場所に水を撒いて翌朝サクラが発見して大騒ぎ。
こういうことに純粋に人達が簡単に騙された時代があったのです。
これは今のビジネスに大いに発揮されている手法。

偏ったバランス感覚でバランスが取れていると思ってしまいがちな
現代文化ですが全てが日常で決まるのだと思います。












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