美らごはん(new version)沖縄と宮古島

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道なき道

2017-05-20 10:03:11 | 沖縄情報






人は自然界に存在する様々な物を不可視の世界の創造領域において
架空の動物を神々として創造しこれを神の依り代とした時代がありました。
これらは超古代から見られます。
天を飛ぶもの、地を走るもの、大地を這うもの。
アジアにおいて、架空の聖なる動物のトップに位置するのは間違いなく龍でしょう。
地上のモデルは蛇でしょうから、昇華の力を見たのかもしれません。
聖地などで行われるお祈りで龍が見えると言うのは
先人の作り上げた次元にアクセスしていると私が言うのはこれ。


宇宙の創造の力を昇華する力として人間側に反映した創造された空想上の神。
人が作ったのですからマトリックスを生み出す上では必要な力はあるのでしょう。
その場所に悠久から住む龍ではなくて、人の想像で創造された昇華の力なのだと思う。


自我にも輪郭があると思うのですが
無音の聖地(遺跡)にガサッガサッと大地を踏みながら入っていくと
もう一つの自分の輪郭が現れて来るのが感じられる時があります。
これは大地に自らを溶かしこんだ状態の時に立ち上がる感覚。
元素に溶け込む感覚。
こういう場所で信じられるのは自分の身体のセンサーだけですか
これには鍛錬がいります。
昨日今日、聖地に入り感じられるものではなくて、スポーツ選手が筋肉を育てて強くなっていくのと同じ。
鍛えて育てる力が必要で、またクリエイティブな思考も必要とします。

聖地に行けば光になれるという思考も通用しませんし逆にリアルな世界です。
見えない世界から贈り物も届く世界ではないですが、誰でも常に光であるこ事を知らしめ感じさせる場所。
その時の状態は様々ですが
生成の世界の相の中に渦巻木が生まれこれになだれ込んでいく。
一人の私が現実でリアルを体験していて、もう一人の私はこれを共有している不思議。
これはいつも日常で行われている事でしょうがこれらがリアルになる。
ここに霊ビジネスの人がいると少しおかしな事になってきます。
注意が必要。





沖縄の場合、ほとんど放置されたソテツ群の下の
生い茂ったハゲ丘に見える場合でも
シリウス聖方位のアンクが埋もれている事もあるので、崩れた石垣で伏せられた感がありますが
人が入るとイキイキとしてくる感じがあり、人の見ると言う視点が実は高次元に属しているで
事が理解出来ます。
視線の光から新たな光の活性化が生まれる。

社会で起きる無視と言う物が霊界を省いた虚無の落ちた人達の存在を表しており
愛情のひとかけらもないと言う事が認識できます。

昨今、これはネット社会にも生まれて個人の力量が試されている気がします。
メールって人の心を表すと私は思っているのですが、内容に心という物が入っておらず自分の思い込みの
物語にはまり込んだものも多く見られます。
宇宙へ飛ぶ思想は素晴らしいにしても、心が幼稚で育たず放置され牢獄に閉じ込められているのではと
思われるものもあります。
体温が感じられない。



過去に縄文であろうと思われる聖地跡に出かけた時
深い悲しみを感じたのですが、悲しみは感じられてもここには貧しさがありませんでした。
ここに暮らしていた人達に心の貧しさがなかったのか?
人間世界だけにある心の貧しさ。
一円でも儲けたい心に生まれる心の貧しさ。
誰よりも優位に立ちたい戦いの心の貧しさ。
どれだけビジネスで成功していても、心が貧弱な経営者が神仏スピリチュアルにすがりつくのは
心の弱さから来るのだと思います。







今年に入ってから
一人で歩いている時でも本を読んでいる時でも
フツフツと湧いて来る幸福感に近い感情がありますが
これを感じている人が増えてきているような気がします。
これはある種の極限を体験した人だけかも知れないと言う直観があります。
私の場合、入院での死寸前の体験。
身体で死の体験寸前をすると人は、安らぎの中にいても極限の体験は意識に残っていますから
多くのモノに目が開くのは当然だと思う。
極と極の狭間にいますから。
若くして死を目前にする絶望の中の希望と言うのは体験した人にしかわかりませんから。
死からの生への希望は体験している人しか創造が出来ない。



これは現実的に手応え感がありますから
体中に浸透していく気がしますが、自らを大きく肯定する力になります。
魂に閉じ込められた身体が少しづつ解放されているのだと私は思っていますが。

これは私の独自の考察ですが
フツフツとわいてくる幸福感は精神的な極限も体験し
正直に生きる事を選択し
これが完全でなくてもこれらを実践している人だけに与えられている恩寵ではないかと
感じています。
罪悪感と一緒に一円でも人から多く取ろうとする心根には生まれない感情だと感じています。


虚無を生み出したのは個人それぞれだと思うのですが
スピ、精神世界、宗教、金融、要はこの世界が生み出した虚無に向き合わざる得ない状況が
来ると言われていますが
既に虚無と向き合わされている人は多いと感じています。
名前を忘れたのですが瞑想の達人が原因不明のガス爆発で命を落とした話を聞いた時
自分の作り出した虚無と向き合わされたのではと言う思いがありました。

虚無には私達が住む空間と違い、元素の神々のハタラキがありませんから
無神の状態と向き合わされるのかもしれません。
魔界の方がまた希望があると言う方がいましたが。
まさに虚無。






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