美らごはん(new version)沖縄と宮古島

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思い込みの巻き込みと恐れ

2017-06-20 09:05:14 | 沖縄情報



太陽活動が弱くなっているのは海外版のブログなどで見かける事が多いですが
活動が弱くなればエネルギーが強化されると思われるので
想像もつかないことが起きると言う説も
ありますが、これは宇宙線と関係があると記事にした記憶があります。
作用と反作用でしょうか。
地球への影響は大きいと思われこれは不可視の世界での出来事でしょうか。
太陽は人間の精神と関係があると言う見方をする古代神話もありますから、人類の集合意識と
シンクロしながらこれに合わせていると言う事も考えられます。
今の世界を見れば、最初の振り出しに戻したい人も大勢いると思われます。







さて神様は神罰など与えないと私は個人的に考えています。

思考と行動に歪みが出れば、自動的に魂自体が正常に戻す為のハタラキの過程はあると思う。
ただ神罰はあると思い込んでいる人にはあると思われます。
私達が暮らす惑星地球は創造性の星でこれが本来の姿なのですから。
日常の歪みに対し魂からのハタラキが起きた場合
これを神罰とした場合、人の精神的進化は止まったままだと思われる。
やはり自分の行動を神様とは別に振り返る事が必要だと思われます。

神罰を受けたと考え日常を振り返るとすれば神罰の恐怖が常に付きまといます。



聖地でも神社でも精神がプラスに傾いた人が
参拝すればゼロに戻すちからを保持する聖地であれば
ゼロに戻す為のスイッチが入る場所もあるでしょうから
色々な事が起きるのは事実でしょう。

宮古島には営利に傾ぎ過ぎ相手をつぶしてしまうほどの商魂逞しい商売人を
嫌っているのでは、としか思えない聖地もあります。
ゼロポイントに戻す作用が早いのかもしれません。
要はこの辺りの聖地でやり過ぎてしまった本土企業の顛末を周辺の人は知っている様で
この話がずっと囁かれています。


プラスに傾き過ぎた人にはなかなか厳しい場所なのかもしれません。
この辺りは場所的に何か営利に関係するものを作るとほとんど閉鎖で
オーナーを変えても、何をやっても上手く行かないと言います。
と言う事は
この場所は人の精神に取ってもそうであると言う事だと思われます。


営利だけでなく保身に目が眩み人を踏みつけプラスに傾きすぎた人が
参拝すれば
不可視で何かが起きているのかも知れませんね。
ある側面ではありがたいのですが、強制変換だとすれば本人は大変かもしれません。

聖地と言うのはどこでも両面のハタラキがあるのは事実ですから
この聖地が特別と言う事ではなくて
ゼロに戻す力が大きいと言う事になりますね。
ここは龍脈の上だと聞いています。
ここは島人も良く行きますし移住者も観光客も行きます。


この聖地はプラスに傾きすぎなければ素晴らしい創造性のヒントを与えてくれ
日常での行いがこの神様とシンクロすれば日々が楽しくなるような気がします。
何処の聖地でも本来は人の味方になる様になっていると思われますが。


昔から沖縄の島々では、聖地は何処でも簡単に入るものではないと言う事はこれらも一部として
あるのかもしれません。
祖母の言ったように「聖地は判断神」と言うのはある部分では正論なのでしょう。
判断は日常の行動においてのプラマイ偏りからゼロポイントへ戻す
作業の事を言っているのだと思われます。

判断があり癒しが起きるのか?癒しが起きて判断があるのか?
私は同時だと思います。
こういう場所では誰であれ他者に舵取りの先導まかせはよく考えた方が良いかもしれません。
これも人それぞれで自由ですが。
先導役の日常がどうであるか知っていれば大丈夫かもしれません。


昨夜と今朝にシンクロして友人から似た様なメールがありました。
沖縄本島の小さな集落の神屋から立ち入り禁止を言われた友人達なのですが
要は集落お抱えの神人以外から教えてもらった他の神人のやり方で水に関する感謝の神事を行い
これが集落お抱えの逆鱗に触れた様です。
お抱え神人に取っては死活問題です。

山を流れて来る自然川から海に流れる水路に日々の感謝をしただけで立ち入り禁止にする思想は
やはり死活問題にかかわるのでしょう。

ここにもユダヤの選民意識である「私は特別で私だけが神様と交信できる」と言う
タルムードの選民思想があります。



まずは自分で考える、そして自分の周囲で起きる事はもしかしたら進化への一歩かも
知れないと考え、それでも手に負えない場合は多くの経験を積んだ人に聞いてみるのも
いいかもしれません。







下記はモーゼから。


ウィキから
タナフ(ヘブライ聖書)によれば、選民としてのイスラエルの性格は、神のミツワー 「命令」と訳すべきところだが
「戒め、おきて」などとも訳された)への服従、従順によって特徴づけられる。
"今、もしあなたがたが、本当に私の声に聞き従い、私の契約を守るなら、あなたがたは全ての国々の民の中にあって、私の宝となる。
全世界は私のものだから。
あなたは私にとって祭司の王国、聖なる国民となる"(出エジプト記 19章5, 6節)。 "主があなたがたを恋い慕って
あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも多かったからではない。
事実、あなたがたは、全ての国の民のうちで最も数が少なかった。
しかし、主はあなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖達に誓われた誓いを守られたから"(申命記 7章7, 8節)



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