美らごはん(new version)沖縄と宮古島

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景色

2017-01-25 18:04:17 | 沖縄情報


(自慢ではないですが)シリーズです(笑)

子供の頃、母親と手を繋いだり側にいるのが苦痛な時がありました。

母と手を繋いで歩くと
電気が走る様に映像が浮かぶ時がありました。
今思えば、母の霊的に感じている何かをビジョンとして見ていたのだと思います。
余り気持ちの良いものではなかった。
御獄の映像とか。
特に神事に出かけた後が多かった記憶があります。


子供の頃、聖地は異次元だと認識していたので
子供に取って心地よい場所というのは
少なく感じていましたので、見た事もない聖地の映像が苦痛。

そういう事で
母が神事から帰宅すると嫌な感じがする時があり
側に近寄らない工夫で、気を使い子供なのに気疲れしました。
神事が終り、本人は自己満足で機嫌が良いですが
目には見えない体に張り付いている何かがありました。
神事に出かける前とは違うものが憑依していたのだと思う。
自分では平気らしいですが周囲は大変。


或る時、気が付いた事がありました。
母と同じ景色を見ていなければ
これらの干渉から解放されるという発見があり、この苦痛から解放されました。
母が掃除を始めると、妹の面倒を見る。
母が食事の支度を始めると宿題とか。
同じ事をして同じ景色を見ない。
これは日常で有効的で人の不可視の支配的空間からの脱出も可能です。


これは家族間に限らず、会社の人間関係、友人関係でも有効だと私は思っています。
同じ景色を見ると、必ず人間は同じ周波数で繋がります。

会社にいれば可視空間の景色は同じでも、
視点を変えれば景色も違います。
私が言っているのは思考の事なのですが。

こういった激変の時代は
霊世界も同じですから、地上で変化が起きるのだと思います。
思考で見る世界を変化させれば、周囲のゴタゴタの葛藤から創造される次元まで堕ちることなく
見る景色が違ってくるのだと思いますが。

こうなると、自分のいる世界を変化させる必要があるのですが
これが個が独立した世界観。
独立した個の世界とそして全体。
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