美らごはん(new version)沖縄と宮古島

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遠い世界

2017-07-15 00:27:37 | 沖縄情報







個人的な体験からですが
不可視の世界の捉え方に少々思い違いがあったと数年前に気が付いてから
隠されていた真実が一瞬だけ垣間見えこれの探究がずっと続いています。

そしてそれに気がつかされた時、人のプライドや慢心という物が文化を墜としていると直観し
また人の思いで創造されているはずの空間が人の慢心した意識の垂れ流しで
これを一般が疑いなしに
そのまま受け入れていると言う事にも気が付かされました。

この時から今の宇宙への視点、宗教全体、たとえ自然信仰であれスピリチュアルであれ
私が感じた、たとえほんの一瞬であれ感じた世界に達するツールはないと言う事に気が付きました。

自分を放棄してもたどり着けない、これは例え瞑想であっても辿り着けない。
巷にあるスピワークでも難しい世界で、ここにいる限り見えない世界では?
ここに気づかせないための宗教や精神世界探索
スピリチュアルやヒーリングツールが開発されたのだと思います。
キリスト教にデザインされている登場人物たちの物語は、思っている以上に様々な物から
遠ざけてしまうようですが、真贋を探求するには世界でも第一級の素晴らしい物語。
空海もそうだと思っています。
ただ個人的に空海グループが残した空海曼荼羅には
古の時代から続いている多くの叡智が奥に隠されている気もします。


それから益々「私と宇宙」と言う生き方を日々、洞察しながら日常を送っています。
単純にこれは私が見て感じた点の世界で
創造領域において宇宙の仕組みに自然に立体的に構造化されるか否かをまず考える。

何かに向かう焦点があると言う訳ではないですが
まず空間を認識する事の重要性。
そうはいっていますがこれがなかなか難しい。
反転した世界はそう簡単には姿を現してはくれないようです。

どちらにしろ各個人の思考の垂れ流しが暴力、言葉の暴力、嘘、慢心等々が
この世界を思っている以上に貶めて蝕んでいる様な気がします。
脱出方法は色々と個人の気付きで進むような気がしますが、自らに起きて来る事を食い止める手段を
講じない気がします。

大自然を見ていると、特に長野の山の奥深い森を山の家から見ていると
雨が降れば開拓されていない奥深い場所は
この雨と言うエネルギーを空間に非常に優れたアーティストが存在するかの様に
良き方向へ転じようとするハタラキが最優先されている気がします。
良き方向へ流れる水が不自然な物を、まず洗い流す作業が繰り返され、ここから始まる何かがある。
人の手が入った場所はそうは行かないようで山が流される斜面もある。
宇宙の転写が地上なのですから常に開放する方向性がある。
巻き込みだけはない。
これが伏せられています。


人の世界は他の人の力を巻き込んだまま多くのモノを犠牲にするシステムがデザインとして
あります。


巻き込みの解放がお金に換金される世界で、これを罪悪感なしにやってのける人間が多く
生まれています。
結局、宇宙にはドン底と言う物はないですから人間世界で創造されたもの。
ドン底が嫌で他の情報にすがりつく。
ここから見ても宇宙から遠く離れた人間世界。





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