美らごはん(new version)沖縄と宮古島

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外さない

2017-07-15 18:17:08 | 沖縄情報



負の蓄積が魔を生み出すと言う事もありますが
魔を排除しようとする心が強い人は排他的な物が根底にあるようです。

魔の悲しみにも目を向けるべきと言う説もありますが
魔と呼ばれると強力なパワーを感じますが、結局は怒り、憎しみ怨みの現実化ですから
地球スタートにおいては魔という物は
今とは違った意味合いがあったのかもしれません。


だれよりも蓄積されていて浄化が済んでいないと感じられるので
こういった怨念の強い人達から逃れるには
叡智と慈悲の心を持ち日々の生活で
精進すると言う事をゴーダマシッタールは伝えます。
仏教ですが、古典仏教には神様と私と言う教えの中に「私と宇宙」が
組み込まれている気がします。


どちらにしろ人への精神的攻撃は
人を墓場へと導く行為ですから、結局自らが墓場へ人を案内している事になります。
一緒に入ると言う事でしょう。

心に強い恨みを隠している人ほど
自惚れていると言いますが、祈りよりも鎮めが必要な気がします。


呪詛を受けてしまい傷ついた人達にゴーダマシッタールは叡智と慈悲の心での浄化を薦め
多くの人が癒されていったそうです。
ここには排他的な物が生まれません、他者排除がないです。
魔を排除しない。
また、決してこれに対してお祓いの様な物を行ってはならないと弟子達に禁じています。
そしてこういった哀れな事をやってのける人達から逃れるのは
この人たちを受け止める事が必要だとも言いますが
受け止めるのと受け入れるのは違いますから
叡智によってこれらを浄化するように弟子に伝えています。
叡智に触れるには慈悲の心が必要で結局は日常の行いで全てが決まる。


今の時代に通用しないと言う方もいますが
結局は引き寄せの法則で似た者同士で引きあいますから、やはり精進すればこういうステージから
自然に移動してしまい
縁も消滅し日々穏やかに日常を送れる気がします。

古典仏教は非常にシンプルな様な気がしますが
ここには私と宇宙と言う壮大な物語を語るスーリーがいっぱいな様な気がします。

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