5月30日(火)
浅草寺の北、言問通りを越えて数百メートルほど行くと浅草警察署がありますが、
その斜め向かいにあるのが
「富士浅間神社」
空襲で消失し、十数年前に
再建された社殿
敷地も広くなく、けっして大きなお社ではありませんが、江戸時代に盛んだった富士信仰、その下町の遥拝所として庶民の厚い信仰を集めてきた神社で、境内には富士登山が叶わぬ人のためのミニ富士山があります。
称して「浅草富士」。
右から登り、左が下山道
夏来たり近くて遠き富士の山 弁人
富士山の山開きの7月1日がお祭りの日で、その前日の6月晦日からお参りの人で賑わっていたのでしょう、明治に入ってから植木市が立つようになり、いつの頃からか5月の末日と6月1日も賑わうようになったのですが、
最近は、5・6月の
最終土日になったようです
祖母が植木好きだったので、下町育ちの私も、子どもの頃何回か人込みに紛れて歩いた思い出があります。
明石暮らしをしていた時、子どもの頃に目にした「朝顔市」や「植木市」「ほおずき市」などの下町の風物が妙に懐かしくなって、朝顔市は亡き母が臥せっていた2012年に出向いたのですが、長いこと5月の末に逗子に帰っている機会に恵まれず、お富士さんの植木市はご無沙汰したままでした。
逗子に戻って「今年は行けるな」と思っていた昨年も、降ってわいた家の新築騒ぎでまたまた明石住まい、それどころではありませんでした。
ところで、花火を見に金曜の夜に逗子にやって来たKAZU君、翌土曜日は東京の下町に住む弟分のKANA君に会いに行くと出かけて行きました。
「それじゃ、おじいちゃんは午後二人に会いに行くから、それまでいっぱい遊んでいてね」と約束して、別行動で浅草へ向かい植木市を歩いてみることにしました。
さて、神社にはお参りしましたが、一週間前に三社祭があって大騒ぎだった反動でしょうか、周辺の通りはあまりお祭りの雰囲気が漂っていません。
鳥居から西に数十メートル、露地二つ分ほど歩いて行くと、露天商のお店がいくつか並んでいましたが、
人であふれるという
賑わいではありません。
西へ向かって少し先、バス停のある「千束通り」まで100メートルちょっと露天のお店が並んでいますが、その途中に観音様の裏のほうへ向かう「柳通り」があって、
その片側に
植木屋さんが並んでいました
植木市といっても、目に入るのは鉢植えや盆栽が多く、植木屋というよりお花屋さんの感じの露店が続き、いろいろな苗木を見たいという期待に応えてはくれませんでした。
私の脳裏に残っているセピア色の影像は、苗木を並べている植木屋が次々と現れ、その前にあふれるように人が歩いている光景だったのですが。
紫陽花やバラを並べるこの店も
お花屋さんの感じ
如雨露手に自慢話も植木市 弁人
植木市に付き物の
「釣り忍」に「江戸風鈴」
江戸下町の情緒を感じますが、これを並べる露店もここだけしかありませんでした。
ハーモニー奏でる数なき江戸風鈴 弁人
テレビの影像には神田祭や三社祭の威勢のいい賑わいが流れていましたし、外国人観光客が多くなったこともあるのか、浅草仲見世なんかは、平日でも歩くのが一苦労になっています。
ところが、その一歩先で行われている伝統行事に昔の面影が消えつつあるようで寂しい限り。子どもの頃の思い出がふくらみ過ぎてしまっているのならいいのですが。
浅草寺の北、言問通りを越えて数百メートルほど行くと浅草警察署がありますが、
その斜め向かいにあるのが
「富士浅間神社」
空襲で消失し、十数年前に
再建された社殿
敷地も広くなく、けっして大きなお社ではありませんが、江戸時代に盛んだった富士信仰、その下町の遥拝所として庶民の厚い信仰を集めてきた神社で、境内には富士登山が叶わぬ人のためのミニ富士山があります。
称して「浅草富士」。
右から登り、左が下山道
夏来たり近くて遠き富士の山 弁人
富士山の山開きの7月1日がお祭りの日で、その前日の6月晦日からお参りの人で賑わっていたのでしょう、明治に入ってから植木市が立つようになり、いつの頃からか5月の末日と6月1日も賑わうようになったのですが、
最近は、5・6月の
最終土日になったようです
祖母が植木好きだったので、下町育ちの私も、子どもの頃何回か人込みに紛れて歩いた思い出があります。
明石暮らしをしていた時、子どもの頃に目にした「朝顔市」や「植木市」「ほおずき市」などの下町の風物が妙に懐かしくなって、朝顔市は亡き母が臥せっていた2012年に出向いたのですが、長いこと5月の末に逗子に帰っている機会に恵まれず、お富士さんの植木市はご無沙汰したままでした。
逗子に戻って「今年は行けるな」と思っていた昨年も、降ってわいた家の新築騒ぎでまたまた明石住まい、それどころではありませんでした。
ところで、花火を見に金曜の夜に逗子にやって来たKAZU君、翌土曜日は東京の下町に住む弟分のKANA君に会いに行くと出かけて行きました。
「それじゃ、おじいちゃんは午後二人に会いに行くから、それまでいっぱい遊んでいてね」と約束して、別行動で浅草へ向かい植木市を歩いてみることにしました。
さて、神社にはお参りしましたが、一週間前に三社祭があって大騒ぎだった反動でしょうか、周辺の通りはあまりお祭りの雰囲気が漂っていません。
鳥居から西に数十メートル、露地二つ分ほど歩いて行くと、露天商のお店がいくつか並んでいましたが、
人であふれるという
賑わいではありません。
西へ向かって少し先、バス停のある「千束通り」まで100メートルちょっと露天のお店が並んでいますが、その途中に観音様の裏のほうへ向かう「柳通り」があって、
その片側に
植木屋さんが並んでいました
植木市といっても、目に入るのは鉢植えや盆栽が多く、植木屋というよりお花屋さんの感じの露店が続き、いろいろな苗木を見たいという期待に応えてはくれませんでした。
私の脳裏に残っているセピア色の影像は、苗木を並べている植木屋が次々と現れ、その前にあふれるように人が歩いている光景だったのですが。
紫陽花やバラを並べるこの店も
お花屋さんの感じ
如雨露手に自慢話も植木市 弁人
植木市に付き物の
「釣り忍」に「江戸風鈴」
江戸下町の情緒を感じますが、これを並べる露店もここだけしかありませんでした。
ハーモニー奏でる数なき江戸風鈴 弁人
テレビの影像には神田祭や三社祭の威勢のいい賑わいが流れていましたし、外国人観光客が多くなったこともあるのか、浅草仲見世なんかは、平日でも歩くのが一苦労になっています。
ところが、その一歩先で行われている伝統行事に昔の面影が消えつつあるようで寂しい限り。子どもの頃の思い出がふくらみ過ぎてしまっているのならいいのですが。