チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「ハラハラ、ワクワク」の日本シリーズ

2016-10-19 10:23:42 | つぶやき
10月19日(水)

 昨年までとはひと味もふた味も違って、強くてしたたかな2016年の広島カープ。

 いよいよ今週の土曜日からパリーグの覇者日本ハムファイターズとの日本シリーズが始まります。

 ここまではたしかに強いカープ。ファイナルステージのベイスターズ戦の入りの2試合も完勝でした。
 9月10日の優勝決定からクライマックスファイナルステージを迎えるまで一ヶ月余り、最終戦からも10日以上空いていたこともあって、正直なところ、ファーストステージでジャイアンツと好勝負を演じて勝ち上がってきたばかりで勢いのあるベイスターズを相手に勝ち上がるには、かなり苦労するのではと思っていました。しかし、ジャイアンツ三連戦から中一日のベイスターズが、井納・石田の主戦投手を初戦から使えなかったことも幸いして、カープファンの心配を吹き飛ばしてくれました。

 なんといっても、トップバッター田中の12打数10安打5四球という驚異的な活躍。たしかにこれが日本シリーズへ駒を進めることができた原動力だったのは間違いありません。しかし、見逃してならないのは、巨人戦で大活躍した相手主力打者の筒香とロペスをきちんと分析し、それを生かした投球を見せた投手陣です。手の指を骨折している梶谷に油断気味になったのか、痛いところで打たれたのを除けば、第4戦で今村がロペスに投じた一球以外はほとんど失投がなかったのですから。


 そしていよいよ目前に迫って来た日本シリーズ。日ハムといえば大谷君でしょう。はたして彼の160キロを越えるストレートを打てるや否やと想像するだけでハラハラドキドキです。 でも、きっと、目下、分析と対策にチームを挙げて取り組んでいるのはもちろん、彼のストレートと高速変化球の攻略法を見つけ出しているはずで、そうやすやすとバットが空を切ることはないと信じているところです。
 投手陣も主砲の中田・レアード、指名打者の大谷、好打者の西川なんかに痛打を浴びない配球プランができているはずで、チーム一丸となって、まずはエースジョンソンで初戦を取ってくれるにちがいないとワクワク気分でいっぱいです。

 とはいっても、お互いペナントを制したチームどうしで気は抜けません。昨日、男気黒田投手が今シーズン限りでの引退を表明したので、もしかしたら、ジョンソン・野村・黒田のローテンションに変更があるかもしれませんが、安定感のあるジョンソン・野村と最後のマウンドで気合が入るだろう黒田が本領を発揮すれば、白星先行も夢ではありません。
 4戦目以降は、無理のないローテーションを考えれば、おそらく岡田・福井あたりでしのいで、再度広島へ帰ってからもう一度ジョンソン・野村となるのかもしれませんが、そんな先のことは考えずに、もし勝ち星が先行できたら、札幌ドームで一気に日本一を決めてほしいところです。
(これは予想ではなく願望です。今まで、このブログで「こうなるだろう」と予想して当たったことがあまりないので)

 実は、私がこんな願望を抱くのには理由があるのです。

 巷では、カープ25年ぶりの優勝と沸き上げっていますが、日本一となると、32年前の1984年以来です。その後の86年・91年の二回のシリーズでは、黄金期の西武ライオンズに日本一の座を譲っているのですが、実は、1986年の3勝4敗1分という結果に納得が行かないままで、いまだに胸のつかえが取れていないのです。

 このシリーズ、北別府・東尾先発で始まった初戦は延長引き分け。2戦目は大野が工藤に投げ勝って1勝。広島から西武球場に移動し、3、4戦もカープが連勝で3勝1分に。

 問題は、カープが王手をかけた直後の第5戦でした。
 この試合、私、日本一の胴上げを見たいと仕事を休んで、友人と西武球場の三塁側のスタンドに陣取っていたのです。

 両チームとも、第1戦と同様に中4日でエース北別府・東尾の先発。投手戦で8回まで1-1。
 そして、大詰めに近づいた9回の表。カープに日本一への決勝点をもぎ取るチャンスが来たのです。
 先頭の山本浩二ヒット。バントで送った後、衣笠のヒットで一死1・3塁。ここで3塁ランナー山本浩に代走が出て、さらに代打木下。誰が考えたって「ここで決着をつけるぞ」という強い姿勢の現れた選手交代です。監督は阿南準郎でした。
(木下といえば、当時レギュラーだった山崎に変わって時折二番バッターに入ることもあった内野手。顎ひげがトレードマークで「ひげの木下」と言われ、長打力はなかったものの、小技の上手い選手として定評がありました)
 3塁に走塁に巧みな走者を置いて打席にはバントの上手い巧打者。相手バッテリーだってスクイズを警戒するはずなのに、なぜか淡々とした投球が続き、とうとう木下はスクイズをせずに3塁正面のゴロに終わったのです。
 私は、初球からいつスクイズを決めるのだろうと目を凝らしていましたが、2ストライクを取られるまで、それほど難しくなくバントを転がせる球が少なくとも2球はあったと見て、このまま、もしこの試合を落としたら、悔いが残る試合になるのではないかという危惧を抱きました。

 あれは、山本浩二の引退の年でした。あと一つ勝てば日本一。この日負けてもあと三試合。ベンチの中に、地元広島へ帰ってから浩二さんを胴上げしてもいいかという油断が全くなかったのかどうか、そんなことは考えたくもありませんでしたが、最後の詰めの場面で決勝点が取れなかったのは事実。
 結果、二死から達川が三振して延長戦へ。延長12回、なんと救援投手の工藤からサヨナラ打を食らい3勝1敗1分に。勢いを取り戻したライオンズが秋山の大活躍などもあり、敵地広島で三連勝。私がスタンドで隣の友人につぶやいた不安が的中して、カープの日本一はどこかへ消えて行きました。

 勝てる時に勝っておかないと何が起こるかわからない。まさに勝負事の鉄則です。それを実行できなかったのはいったい何なのか、あの時のカープにはどこかにスキがあったのではないか。

 第8戦が終わった後、引退する山本浩二の涙の胴上げがありましたが、あの涙、私の目には、日本一を逃した悔しさの涙ではなく引退の涙としか映らなかったのが残念でした。

 それ以来、一カープファンとして、どこかに大事な忘れ物をして来たままのような気分が残っていて、いまだにスッキリできていないのです。

 5年後の1991年、その山本浩二率いるチームが西武球場へ行った時、あの忘れ物を見つけてくれればと期待しましたが、黄金期の強いライオンズの前にあえなくはね返され、大切な物は25年後の今でも、まだ日本シリーズの舞台に置き忘れたままになっているような気がしているのです。

 とにもかくにも、私の胸に残ったつかえを取り去るチャンスが、ほんとうにやっと、25年ぶりに到来したのは事実です。
 ぜひとも今年こそ、勝利の機を逃すことのないスキのない野球で日本一になり、長年消すことのできなかった胸のつかえを取り去り、溜飲を下げたいと思わずにはいられないのです。


      激流に跳ねて踊るか秋の鯉   弁人


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