chuo1976

心のたねを言の葉として

加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P73~P75抜粋

2017-05-14 05:26:29 | 文学

加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P73~P75抜粋


「あめんぼ通信」http://terayama2009.blog79.fc2.com/

 



 収容所は広い床張りの部屋でベッドが13台並べられていました。翌朝、目が覚めてみたら、みんな包帯を巻いてすごい悪臭です。その真ん中のベッドに私は寝かされていました。大阪で聞かされて思い描いていた情景とはまったく違う。咄嗟に思ったのは、「これはえらいところに来た、どうやったら逃げて帰れるだろうか」ということでした。

 そして食事ですが、これが口に入らない。プーンと臭ってとても食べられるようなものではありません。刑務所の「くさいメシ」というのは、これかと実感しました。
 
 朝食が終わると、入所者の付添人に分館に連れて行かれました。ここでは患者地域と職員地域が画然と分かれており、鉄条網こそありませんが、「ここから立ち入り禁止」の看板の先へ入所者は行けませんでした。医師や看護婦を含め、職員がこちら側に入るときは所定の消毒帽、マスク、白衣、長靴を身に着けます。出るときも消毒その他の念入りな規則を守らなければ向こうへ帰れません。分館というのは患者区域にあって、入所者が園当局とやり取りするための事務窓口でした。

 私はここで1507番の入所番号をつけられました。私は愛生園の1507番目の入所者というわけで、この数字で書類からなにから一目で分かるのです。いわゆる背番号で、管理には合理的だったのでしょう。

 最後の入所者は1970年代に入った方だったと思いますが、高知から来た人で6908番でした。つまり開所以来の愛生園入所者は6908人ということになります。

 私は職員から「あんたは偽名を使ってもいいんですよ」と言われましたが、「私は犯罪を犯したわけじゃないから、偽名は使いません」と突っぱねました。しかし、のちに「そうか、母がこの病気のことは二人の秘密だと言った。でも、手紙はここからは一切出さんと言ったのだから」と煩悶したり、「ああ、発病の事実を言わずに来たほうがよかった。母親に苦しみを与えてしまって」と反省したりしたときには偽名にしようかと何度か思いました。しかし、犯罪を犯したわけでもなく、せっかく親がつけてくれた名前だからという思いが強く、とうとう偽名にはしませんでした。

 それでも、病気でもう死ぬかと思ったときに、十年振りに母親へ手紙を出したのですが、やはり本名は書けませんでした。また患者運動をするようになって、時々マスコミへも出るようになりましたが、そのときは「偽名」として、「梶」というようないい加減な名前をつけたりしました。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« つくしが出たなと摘んでゐれ... | トップ | 「患者看護」  加賀田一さ... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む