chuo1976

心のたねを言の葉として

「患者看護」  加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P77~P79抜粋

2017-05-15 04:53:47 | 文学

「患者看護」  加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P77~P79抜粋


 その強制労働といわれるのが「患者看護」です。不自由者と重症者の看護、介護が軽症患者の作業になっていました。初めから入所者が要因として見込まれていました。これを「本業」でやる人は最高の賃金「甲」で、一日十銭でした。ところがその人が病気をしたりして欠員が出たときは、軽症患者が召集されました。一週間の臨時作業です。順番が決まっていて、医者の病気証明をもらわない限り拒否できませんから強制労働です。ただし園の考え方では「同病相憐」の助け合い精神の実現ということですが、特に結核病棟はみな嫌がり、調整するのが困難でした。

 さらに「特別看護」制度というものもありました。重病棟では常時、軽症者の付添いが一人ベッドに休んでいますが、危篤状態の人が出たとき、その補助要員を務める仕事でした。夜の八時から翌朝の六時まで、二人ずつ三交代で危篤状態の方に付き添う制度で義務化されていました。夜の十二時に交代しますが、そのときに夜食が出ました。晩飯が四時でしたから皆だれでも夜中にお腹がすきました。

 初めて私が付添いに行ってびっくりしたのは、隣のベッドの人から話しかけられたときです。喉のところから突き出たゴムのパイプで話しかけてきました。聞きとりにくいのですが、慣れたら少しわかりました。「あんた、病気どうしたんだ?」と、見慣れぬ新人だった私に聞いていました。

 その方は、鼻や気管支の粘膜が菌に冒され厚く膨らみ、そのせいで孔が塞がって呼吸ができないため喉に穴を開けているのです。その穴にカニューレという金属のパイプを差し入れ、そのパイプが痰で詰まると抜き出して掃除をしなければなりません。喉に開いた穴で呼吸をしているのを初めて見たときはびっくりしましたが、召集されると、そのカニューレを掃除しなければなりませんでした。

 いつ死ぬかもわからない状態の人に付き添うこともあり、いよいよと見れば当直の医師、看護婦を電話で呼ぶことになっていました。治療室の病棟には手術で切断した足が無造作に置いてありました。ハンセン病は神経が麻痺するので、火傷しても、釘を踏み抜いても痛くありません。痛くないから自分では気付かないのです。

 また、治療しても神経がないと治りにくいものです。化膿して膿が出るようになり、敗血症にもなりやすい病気でした。ですから足の切断も頻繁でした。私は通りすがりに呼び止められて、手術室に入りノコギリで切断する足を支え持たされたことがあります。切断した瞬間、危うく落としそうになりました。人間の足とはこれほど重いものなのかと驚嘆しました。

 夜の交代は十二時と午前三時ですから、真っ暗ななかをそこまで行きます。するとその外の空地に人魂が見えるという噂がたちました。その足の処分作業も託されていて、あれは埋めた足が雨で露出してリンが燃えているんだという人もいましたが、「いや、そうじゃない。人魂だ」と主張する者もいました。本来ならもっと丁重に扱わねばならない作業がすべて無造作で事務的に処理されていました。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 加賀田一さん「いつの日にか... | トップ | 開拓患者   加賀田一さん... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む