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心のたねを言の葉として

三国連太郎さん死去 「差別」と闘った名優 東京新聞

2013-04-19 06:18:23 | 映画
三国連太郎さん死去 「差別」と闘った名優(16日付東京新聞第28面)




 14日に亡くなった俳優の三国連太郎さんは生前、被差別部落の出身であることを公言、差別問題と真正面から向き合った人でもあった。被差別民を同朋(どうほう)とし、ともに生きた浄土真宗の開祖、親鸞に魅せられ、自らがその半生をテーマに書き下ろした小説を映画化したのも、自身の出自と無縁ではなかった。(佐藤圭)

 

 三国さんは、桃山学院大名誉教授の沖浦和光さん(八六)との対談本「『芸能と差別』の深層」の中で、出自についてこう語っている。

 「親父(おやじ)は、祖父の後を継いで棺桶(かんおけ)を作っていたようですが、(一九一七年のロシア革命後の内戦に乗じたシベリア出兵から帰ってきてから)電気工事の職人になったようです」

 「親父の田舎は伊豆の松崎の奥にあり、(被差別部落の研究書によると)伊豆半島に十一カ所を記載されている被差別地区の一つだとされている所なんですけど」

 沖浦さんにとっては一昨年、雑誌で対談したのが三国さんとの最後の出会いとなった。

 「夕食も共にしたが、体調が悪そうで心配していた。三国さんは、日本中を放浪する遊芸民(漂泊芸人)、つまり被差別民こそが日本の芸能者の原点であり、その系譜を引いていることを誇りにしていた。ものすごい勉強家で、私の本も隅から隅まで読んでいた」

 三国さんは部落解放同盟の活動にも協力的だった。一九八六年、熊本市で開かれた部落解放同盟の研修会では、「生命・愛・人権」をテーマに講演している。三国さんは「部落差別は間違っている。差別される人も、差別する人も犠牲者だ。これを乗り越えていかなければいけない」と訴えたという。

 部落解放同盟中央本部委員長の組坂繁之さん(七〇)は「露骨な差別を受けたり、聞いたりしてきたと思う。差別について深い問題意識を持っていた」と振り返る。

 三国さんが原作と脚本を書き、監督かつ自らも出演した映画「親鸞 白い道」は、八七年のカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受けた。原作は脱稿までに七年、映画化には構想から十五年の歳月を要した。

 白は、仏教の言う平等観のことだ。厳しい身分制度が当たり前の鎌倉時代、「仏の前ではみな平等」と主張した親鸞は権力者から弾圧された。映画では、若き日の布教の日々を描いている。

 映画はカンヌで賞は取ったものの、名作とは言い難い。映画評論家の佐藤忠男さん(八二)は「三国さんは、差別問題と向き合うからこそ、ものすごい芸術が生まれると考えた。『白い道』は、非常に激しく悩みながら撮った。カンヌでは、三国さんの異様な情熱に打たれた審査員の一部が強く入賞を推薦した。しかし、一般の人には、極端な表現が多すぎて分かりにくかった」と指摘した。

 三国さんは沖浦さんに「『白い道』は失敗作だった。いつか撮り直したい」と語っていたが、ついに果たせなかった。




日本の芸能 大きな損失




 一般に芸能界では、いまもなお被差別部落の問題はタブー視されがちだが、沖浦さんは「三国さんほど『芸能と差別』の問題に深い関心を持った俳優はいないし、今後再び出ることはないのではないか。日本の芸能にとって大きな損失だ」と惜しんだ。

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