chuo1976

心のたねを言の葉として

光芒         藤本トシ

2016-12-24 03:34:13 | 文学

光芒         藤本トシ

 

 三月四日、午前九時を少しまわったころ園内放送がかかってきた。
 「今日は午後一時に障害年金四ヶ月分をお渡ししますから、受けられる方は印をもって分館へおいで下さい」
 瞬間、寮はいつもより静かになった。受けられない友への遠慮めいた思いが口を封じたものらしい。だが、声のないざわめきが満ち潮のようにふくれてくる。かがやく眸の饒舌が感じられる。ハンセン氏病園のうちでも、最も深い谷間にはじめてさしたこぼれ陽である。そのなかで私もまずはほっとした。
 「さあ・・・これあんたの分や、さわってみ。六千円やで」
 暖かくなった午後の道からはずんだ足音が戻ってきて、名ばかりの私の手に紙幣をぽんと載せてくれた。それを探っていると、紙幣を透して抄本がちらちらする。ふじ紫だったという私の戸籍抄本、それが配達されたときと同じ吐息がふいに心をついてでた。
 ふるさとからの音信が絶えて三十年である。その間にあの苛烈な戦争があったので、郷里の人々はすでに私は亡き者と俤(おもかげ)
さえも忘れ果てていたのだろう。私も結局それが気楽と喜んでいたのだったが、こと年金問題となると、その救いの手を、一人で一級障害をいくつも背負う身であるために、入用もかさむことから諦めきれなかったのである。
 抄本を送って貰おう・・・と決心はしたが、しかし私は戦後の家族の住所を知らない。そこでやむなくたった一人の知人に頼んで、家族へ手紙を渡して貰ったのである。
 幽霊からの通信にどんなにみんな驚いたことであろう。だが寝ている子を起こした私も、折りかえしきた甥の返事を読んで貰って、少なからずろうばいしたのである。
 彼は、私が家を出てから十余年後に生まれた次兄の末っ子であるらしい。高校を終えると、一人横浜へ来て遠縁の店で働いているというのである。私の病気などみじんも気付いていないらしい。こんなことが書いてあった。
 「僕は今日久しぶりに新田へ遊びに行きました。ちょうど良かったと言って叔母さんの手紙を渡してくれたのです。
 僕はこのときまで叔母さんがあることをぜんぜん知りませんでした。叔母さんはどうして一人だけそんなに遠くへ行ったのですか。
 父は二十年も前に死んだのですが、叔母さんは御存じなかったのですか。本家の伯父さんも同じ年に亡くなっているのですよ。それから、抄本のことは早速母の方へ申しおくりましたから御安心下さい。(中略)
 それでも僕は叔母さんがいることを知って本当にうれしいのです。近いうちに都合をつけてきっと遊びに行きます。父は僕が歩き始めたころ亡くなりましたので、その顔を少しも憶えていないので、叔母さんに会ったら父の面影が浮かぶだろう・・・と思うといまからでも行きたい気がします。叔母さんにも幾人かの子供さんがあるのでしょう。会っていろいろ話し合うのが楽しみです」
 これは困ったとしょんぼりしている私のそばで、読み手はくすくす笑っていた。その笑いの底で、同病者である手がそっと私の心を撫でた。愁いをほぐしてくれていた。やがて抄本が手にはいると、その晩考えたあげく、
 「私も広ちゃんに会いたい気持ちで一杯です。しかし近日中にここから隣り町へ移ることになっておりますので少しお待ちになって下さい。引越しがすみしだいくわしい住所をお知らせいたします。ではお体を大切に」
 甥に出す礼状の末尾に、私はおずおずこの嘘を添えた。こうしてさりげなく濃霧の中へ這入ってしまった。親も兄弟さえも既にない故里、そのような所へもう二度と出てはならない幽霊なのだ。
 ・・・・・・・・・・・・・
 てのひらの六千円がいま私から離れてがまぐちへ入れられようとしている。その前の道を、これから貰いに行く下駄が急ぎ、ポケットを押えていそいそと盲杖が戻ってくる。どの足音にも柔かくまつわる早春が感じられてうれしい。
 あすこそは新しい魚が、思いに想ったトランジスターが、ナイロンのカッターが、季節に合ったスカートが、彼または彼女のものとなるであろう。
 ・・・・・・・・・・・・・
 その夜みえさんが遊びに来た。火鉢の前へ坐るとすぐに、
 「なあ・・・もう春やから色はピングがいいやろか。それとも赤のほうがうつるやろか・・・」
 いきなり始めたこの問いに、私はちょっととまどったがすぐ意を察して、
 「そうねえ、どっちもいいけれど・・・でもそのうちにいろんな既製品を売りに来るんでしょ。そのとき色にこだわらずに一番可愛らしい感じの服を選べばいいじゃないの」
 と答えた。彼女は、ふるさとに幼い子供を残して来た母親だったのである。希みはまず愛児へのおくりものだったのだ。灯のもとでなおあれもこれもと、やりたい物の胸算用をつづけているみえさん。そのお相手で私の頭もいそがしい。切れた私の絆。生々しく結ばれている友の絆。ふたりは何時しか互いにそれをみつめていた。みおつくしの鐘が鳴るとみえさんは慌てて帰っていった。親としてのせめてもの希いがかなえられる軽やかな足どりで。隣の窓からは、もう静かな寝息が洩れてくる。
 辛うじて得た、ひとすじの光芒の中に浮かぶ喜びの群像。そのひとびとに、今宵の夢はまどかであろう。

1960年(昭和35年)

コメント
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