中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。毎日ここで昼飯を食べている中華街探偵が、ランチ情報とおすすめ情報をお伝えしていきます。

「安楽園」の解体工事始まる

2012年02月23日 | 中華街(大通り)

 先日、「安楽園」の前を通ったら、またシャッターが開いていた。我々はそのまま通り過ぎようとしたのだが、なんとなく気になって玄関のガラス戸から内部を覗くと、そこには工事用の黄色いフェンスなどが置かれているのであった。

 《いよいよ準備が始まったんだな…》

 その時は、そう思った。

 同じ日、中山路でこんな工事風景を見た。


 「獅門酒楼」隣のブロック塀が撤去され、今まで見えなかった民家らしい建物が現れていたのである。

 それから数日後、この民家の周囲に白い養生シートが張り巡らされ、なにやら工事が始まり、翌日にはそれが解体され更地になっていた。
 そして、昨日はこんな風に…。





 さらに奥の方の建物も解体されているのであった。


 《そうかっ…!》


 「安楽園」の表玄関と「民家」。
 私はやっと両者の関係に気が付いた。


 《この建物は「安楽園」の一部だったのか!》


 急いで帰宅し、住宅地図(昭和51年版)をめくると…
 
 やっぱり!



 「安楽園」の敷地は奥が深いだけでなく、まるで曲り家のようにL字型になっているのだった。

 解体のための工事用車両は、おそらくこちらから出入りするのだろう。大通りから、というわけにはいかないからね。


 ところで、地図を載せたついでに、過去の町の様子を確認しておこうか。
 民家風建物の右隣は、老舗の焼肉店「京城苑」。これは今でもあるよ。
 左隣にあった婦人洋品の「アーモン堂」と「おばあちゃんの食堂」、ここは現在、「獅門酒楼」になっている。

 道路を挟んだ向かい側には、クラブやスナック・バーなどが軒を連ねている。昭和51年といえば、まだアメリカ兵が大勢いた頃だ。一夜の享楽を求めるヤンキーたちが、この通りを彷徨っていたに違いない。
 
 右下には銭湯が見える。中華街の従業員たちが仕事帰りに一風呂浴びていったという「山元湯」だ。(なんで山元なんだろう…)
 地図が途中で切れているので全部見えていないのだが、「明蘭」という文字が右端中程に確認できるでしょ。これは、先ごろ閉店した「明蘭餐庁」ではなく、「明蘭ホテル」。
 この並びには、洋服店、軽食堂、マージャン店、美容院、お粥店、朝鮮料理店など、なんでもあった。最近は中華料理店ばかりの町になってしまったが、ちょっと前までは中華街に住む人たちの生活関連のお店がたくさん揃っていたのである。
 地図からは外れてしまうが、この1本右側の市場通りには、生鮮三品や日用品を取り扱う商店がぎっしりと並んでいた。

 
 明治時代、この町(今の中華街といわれるエリア)に多かった業種といえば両替商、荒物店などだった。それが次第に三把刀へと移行していき、戦後、米軍が横浜に駐留するようになると歓楽街的な部分も現れてきた。
 そして最近はまるで「食のテーマパーク」のような街に。

  
 街は時代とともに変化していく。100年後はどうなっているのだろうか。


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食べ歩き
キーワード
中華料理店 養生シート ブロック塀
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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
解体材 (ふ゛り)
2012-02-23 09:37:20
このような建築物のパーツをも流用し古民家に組み込んで利用している店舗があります。

戸、窓、棚などいろいろに使えるものがありそうで、もったいないオバケが沢山出そうです。
安楽園 (とむやむ)
2012-02-23 11:29:39
地図の中で、安楽園の屋号と並んで「羅泰宗」とあるのは何でしょうか?
ご存知ですか?
Unknown (くり)
2012-02-23 12:48:55
はじめまして。実は母が車いす利用者で、今度中華街へ伺います。平日なのですが、車いす入店可能(ある程度歩行可能なので階段がなく、テーブルがある程度離れている)で、いろんな種類の料理を手軽な料金で楽しめるお店お勧めございましたらご教示ください。宜しくお願いします。
街の風景 (おで)
2012-02-23 20:33:45
わぁ〜!まるでミステリーをひもとくようなお話で興奮しました
地図は昭和51年、そんなに昔だと思わないのは
自分が年をとっているからですね
今日はちょうど、品川駅前の京浜ホテルが
パチンコ屋さんになってしまった、
ということについて書かれた話を読んで、
残念な気持ちを新たにしていたところでした
日本の街の無節操な様変わりの早さには驚愕します
部材 (管理人)
2012-02-23 21:17:56
>ぶりさん
安楽園の部屋を仕切っていた部材や、
グリーンの入った窓ガラスなど、
どこかで再利用できたらいいのにね。
羅さん (管理人)
2012-02-23 21:26:46
>とむやむさん
ここの創業者・羅孝明氏の息子さんですね。
横浜開港資料館の伊藤泉美さんのレポートによれば、
パン・アメリカン航空に勤めていたのですが、
1970年代後半に家業の安楽園を継いだ、とあります。
バリアフリー対応 (管理人)
2012-02-23 21:40:21
>くりさん
いや〜難しいご質問です。
萬珍楼、状元楼、重慶飯店別館とかでしょうかね。
でも、手軽な料金かどうかはちょっと…。

物理的なバリアフリーとなると、
大きなお店になりますが、
心のバリアフリーが重要です。
多少の段差はあってもお店の方が手を貸してくれる、
そんな所がいいと思います。
それにしたって、ある程度のスペースがないとダメだし、
難しいですねぇ。
誰か教えて〜!
変転 (管理人)
2012-02-23 21:43:51
>おでさん
ホテル跡がパチンコ屋ですか。
よくある話ですね。
街はどんどん変わっていきますからね。
中華街だって10年前と比べると、
様変わりしています。
Unknown (よだれいぬ)
2012-02-24 08:22:48
変化を楽しむくらいの心持が重要なのかもしれませんね。

新華僑が来てから、日本人の味覚のキャパシティーが上がったこともあり、本場に近いものが食べれるようになったということがあると思います(ただしそれが中華街かは別の話で、寧ろ伊勢佐木町だったりするような気もしませすが・・・)。

しかし昔の地図、凄いですね。こうしてみると、昔は街というだけあって、色々な都市機能があったのだなぁと。
地図 (管理人)
2012-02-24 21:47:21
>よだれいぬさん
昔…なんていうほどの昔じゃなくて、
ほんの10年前の地図と比べていると、
本当にすごい変化が起きていることが分かります。
週の頭に (ばんど)
2012-02-25 17:58:10
シャッターが全開していたのでカメラに
収めてきました。
平日の昼間でも そこそこ人通りがある
中華街ですが いい具合に流れが切れた
所を撮れました。
その私の目の前をテレビカメラを肩に
した人を中心とした一団が通り過ぎて行き
ました。相変わらずTV的にはネタに
困らないところのようで。
TV (管理人)
2012-02-25 23:11:48
>ばんどさん
昨日は「とんねるず」の石橋君が来ていました。
美女に囲まれて横浜大飯店に入って行きましたよ。

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