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ダンスの授業のこと、つづき。

より建設的な反省点もメモしておこうと思う。

音について。昨日は曲を使うことが前提で、曲に合わせてふりを作ったのですが、すごく中途半端な音の使い方をしてしまった。音をどういうふうに使いたいのか意図をもちたい。BGMとして振りと離れたところで音を使うのか、または振りを音にはめて使うのか。音とどういうふうに身体をからめていくのかをもっと考えたい。昨日のわたしはちぐはぐで、いかん。生理的な身体の動きを、音(曲)にはめることによって、生理的な動きが規則的な動きに、ロボットのような動きになる。そこにはなんらかの不自由さがあるけれど、同時に解放的ななにかもある。

ユーモアについて。ユーモアとは軽さである。私にとって軽さとは演出である。そのへんもっと考えないとだめ。




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ひさしぶりの日記。ダンスの授業のこと。

創作ダンスの授業がありました。

わたしは、人が自分の意思ではなく、完全に他人の意思によって動かされている、まるで人形のように、持ち主が必要なときだけ持ち主の思うように動かされ、必要のなくなったときにぽいっと捨てられてしまうような、そういう様子が好きです。人が、なんらかの大きな力で、歪められたり、無理やり動かされたり、壊されたりしていく様子も好きです。そして、どちらかというと他人よりも自分がそういう状況に置かれるのを好みます。もし自分がそういう状況に置かれたとき(実は常に置かれているのですが)、私に指示をくだす存在の、その命令の受け手として、完璧じゃなくてもいいから、少しでもふさわしい存在でありたいと常に思っています。
舞台に立つときも、今日のようにみんなの前で踊るときも、命令の受け手でありたいと思います。今日は自分でふりを作り、自分で踊ったのですが、すごく難しかった、というか失敗して、みんな何も思ってないというかむしろすでに忘れているだろうけど、未だにわたしは自己嫌悪で死にたい。今回の場合は、自分で自分に命令を与えて、その強制力の元に身体を動かしたかったのですが、イメージが弱く、意識も弱く、なんだかよくわからないままに終わりました。来週も今回の続きをやるらしいので、もっとつめて望みたいです。
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、それにしても、体動かない。わたしの中のわたしの身体は、もっと糸の切れたあやつり人形みたいだったり、仕掛けのこわれた自動人形みたいだったりするのに。もっといえば、その外見もつるつるすべすべの触れたら冷たいんだろうなと思わせる陶器のような表面で、動物性をまったく感じさせない硬質の姿でありたいのに、ここにあるのは、わたし汚い、わたし汚い、わたし汚いってかんじ。
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「他律ノススメ」

お芝居やります。
お時間ありましたらぜひ。

 
  『他律ノススメ』
    いじめたりいじめられたりしながら、みんなで気持ちよくなっちゃう、
    精神的SMちっくなお話です。      作・演出  山本美緒
    
    3/7(金)〜3/9(日)  @早稲田大学学生会館
                
 ●CAST
  江尻雅輝
  兼桝綾
  菅原さくら
  中館淳一郎(劇団てあとろ50)
  米澤藍
  善積元

 ●STAFF  
  作・演出      山本美緒
  舞台監督     八重樫慶
  舞台監督補佐  高木健
  舞台美術     垣本朋絵
  舞台美術アドバイザー  酒井さん
  照明        早稲田大学舞台美術研究会
  音響        吉水りふ
  音響操作     松澤孝彦(サイバー・サイコロジック)
  衣装        石澤彩美
  小道具       渡辺智美
  映像        大川賢
  演出助手     さいとう篤史
  宣伝美術     だり子
  制作        山田一彰
  制作補佐     本山歩、吉田元海
  プロデュース   幸福デジャブ+早稲田大学演劇倶楽部

 ●公演日程
  3/7(金)   19:30
  3/8(土)   14:00   19:30
  3/9(日)   14:00   18:00

 ●予約
  tel     080−1156−7159(制作)
  mail    taritsu@excite.co.jp
   お名前、ご希望の観劇日時、人数、連絡先をお伝えください。

 ●会場
  早稲田大学学生会館B202
 (東西線早稲田駅2・3A出口より徒歩7分
  都営バス馬場下町停留所より徒歩5分)
 http://taritsu.exblog.jp/
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頭がぐるぐるまわる。
苦しい。
息が吸えない。
誰か首絞めて。

電話をかける。
呼出音、とぎれる、声。
用事はないよ、誰かが出てくれればそれでいいの。

クッキーの生地が型でぬかれるように、私も型をあてがわれてぬかれたい。
かわいらしい形によろしくおねがいします。

ここはほんとにどこなんだろう。

今日はだめだ。今日もだめだ。なんか強めの本を読もう。やっぱり洋服でも買いに行こう。



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昨夜、眠れなくて、散歩をした。
深夜3時、静寂の中をぶらぶらしていると、わたしを世界につなぎとめているのはわたししかいないんだということを、改めて感じた。

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朝、目が覚める。
わたしはゆっくり時間をかけて、ちらばったわたしを回収する。
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コンテンポラリーダンス。

いつも言葉で満たされていること。
どんどん吐き出して、新しい言葉でいっぱいになる。
そしてどんどん遠くにいくこと。
 
機械のような身体をもつこと。
無機質な身体。
完全に閉じていることが、どこまでも解放されていくこと。

今日、ダンスの稽古をしていて、上のようなことを思った。誤解を招かぬように説明すると、私が今やっているダンスというのは、言葉と身体でどんなおもしろいことができるのかということです。3月の最後の土日に早稲田で公演ありますので、よろしかったらいらしてください。
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髪きってもらった。

気分転換に髪を切りにいく、in表参道。
担当の美容師さんがすてきです。
髪を切られるっていうシュチュエーションだけでも、なんかいいのに、さらにかっこいいから、なんか、ほんと、どきどきした。髪もきれいにセットしてもらってうれしいけど、明日になったらいつもどおりなのよね。怠惰だ、私。
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芋虫

「彼女は衛戍病院へ夫に会いに行った時のことを、おそらく一生忘れないであろう。真っ白なシーツの中から、無残に傷ついた夫の顔が、ぼんやりと彼女の方を眺めていた。医員に、難しい述語のまじった言葉で、負傷のために耳が聞こえなくなり、発声機能に妙な故障を生じて、口さえきけなくなっていると聞かされた時、すでに彼女は目を真っ赤にして、しきりに鼻をかんでいた。そのあとに、どんな恐ろしいものが待ち構えているかも知らないで。
 いかめしい医員であったが、さすがに気の毒そうな顔をして「驚いてはいけませんよ」と言いながら、そっと白いシーツをまくって見せてくれた。そこには悪夢の中のお化けみたいに、手のあるべきところに手が、足のあるべきところに足が、まったく見えないで、包帯のために丸くなった胴体ばかりが無気味に横たわっていた。それはまるで生命のない石膏細工の銅像をベッドに横たえた感じであった。(・・・中略・・・)物も言えないし、こちらの言葉も聞こえない、自分では自由に動くことさえできない、この奇しく哀れな一個の道具が、決して木や土でできたものではなく、喜怒哀楽を持った生きものであるという点が、限りなき魅力となった。その上、たったひとつの表情器官であるつぶらな両目が、彼女の飽くなき要求に対して、或る時はさも悲しげに、或る時はさも腹立たしげに物をいう。しかも、いくら悲しくとも、涙を流すはかには、なんのすべもなく、いくら腹立たしくとも、彼女を威嚇する腕力もなく、ついには彼女の圧倒的な誘惑に耐えかねて、彼もまた異常な病的興奮におちいってしまうのだか、このまったく無力な生きものを、相手の意に逆らって責めさいなむことが、彼女にとっては、もうこの上ない愉悦とさえなっていたのである」(「江戸川乱歩傑作選」『芋虫』江戸川乱歩)

このお話は、妻の時子の、不具である夫に対する抗いがたい残虐な感情が、主題として描かれている。もちろんそれも興味深い。けれども、私はそれよりも、この夫のおかれた世界に惹かれる。想像を絶する世界で、夫にはなにが見えていたのだろう。
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二階堂奥歯という物語

今日、文字起こしのバイトをしたのがきっかけで知り合いになった某編集者のYさんとお昼を食べた。正確には、私がYさんを知ったのは「八本脚の蝶」(二階堂奥歯)という本の中だった。Yさんは八本脚の中で、今は亡き二階堂奥歯の「世界で一番わたしを幸せにしてくれた人」として登場する。

緊張した。Yさんとお会いするのは3度目だけど、やっぱりなんだか違和感。携帯が鳴って、ディスプレイに表示されたYさんの名前を見た瞬間、思考がとまる。あれ?みたいな。だってお話の中のキャラクターがこっち側に飛び出してきたんだから。まぁ、だいぶ一致してきたけど。

遺品や写真を見せて頂いた。私なんかが見ていいのだろうか、と思いながら見た。私はその遺品や写真の語りかけてくることを、しっかりと受け止めることができない、と思いながら見た。神経とぎすませて、かといって力が入り過ぎないように気をつけながら見た。その語りかけてくることの膨大さに驚いた。Yさんはアルバムを見ながらいろいろなことを話してくれた。最後のときのことも話してくれた。お葬式の写真も見せてくれた。飛び降りだったのに顔はきれいなままで(途中柵にぶつかり体が反転したためらしい)お化粧を施されて眠る彼女は、ほんとにほんとにほんとうにきれいだった。(彼女はきれいなまま燃やされて骨になったんだ。硬くて冷たい骨。生きるものの根本にして、同時に死を表象する骨。二階堂さんは二階堂さんが停止した後も彼女の愛した人々や彼女の愛した世界によって、適切な物語に編まれ、適切な場所に運ばれたと思う)

私は当事者ではないから、どうしたって彼女のことを「お話」としてしか知ることができない。生前の彼女と親しい関係にあったYさんにとっては、彼女は現実でお話ではないのだろうけど。
でも、「お話」が「誰かの意図によって編集されたもの」であるなら、私が私以外の人のことを現実として知ることはできない。今日見せて頂いた遺品の中の手帳に「存在することが不可能である他者」という言葉があって、あぁ、と思った。(私は私のことも編集したいと思うのだけど、なぜかそれはすることができない。できるのかもしれないけど、その方法がわからん)私が誰かと知り合う時、私はその人を読み、同時にその人を編み出してる。(あ、他者の問題?否、それはまた別の話)八本脚の中に「読み手としてのあなたの限界が、書物としてのわたしの限界です」という言葉があり、私のめっちゃ低い限界が、彼女の物語を稚拙なものにしてしまいそうで、それが本当にこわい。二年前に八本脚を知って、衝撃を受け、その衝撃さえ消化しきれていないのに、また別の視点からの彼女を知って、それもやっぱり衝撃的で、うわーーって感じ。影響されやすく、論理的思考に欠ける私は、すぐ、うわーーー状態になる。彼女のお話は、本当に魅力的で圧倒的だった。(こういう表現は、彼女のご家族や親しかった人に対して、無神経な態度だと思う。でも私にとってはどうしてもそうあってしまう。)こんなにすごいお話を知ってしまうと、自分が脚本を書いているのが、なんだかよくわからなくなったりして。でも書きます。明日になったら書きたくなります。

二週間ほど前、彼女と親しくしていた人の集いみたいなのがあって、あ、でも6人+子供2人みたいな内輪な感じのあれだったのですが、Yさんに誘われ私も参加させてもらった。途中から彼女の追悼会みたいになって、各々が各々の彼女とのあれこれを話し出し、彼女をめぐるお話が幾重にも錯綜して、スロウライダーの「アダム・スキー」を彷彿とした。もし、私の大切な人が死んで、その人と交流のあった人たちが、その人について語り合っているのを見たとき、私はどう思うだろう。私も加わって私のその人を語るのでしょうか。きっとその人の情報を集めると思う。少しでもその人というお話を詳細で鮮明なものにしたいと願うと思う。

それにしてもいくつかの偶然が重なって、今日私はYさんとランチなんていう、2年前の私に言ったら驚愕するようなシュチュエーションを体験することができたけど、不思議だ。今、こうでない私(あの時あれをしなかった私)は不可能で、私は次の瞬間の私について何も選んでいないのならば、偶然ってほんとに不思議。

長くなってしまった。ねむいし。ねます。おやすみなさい。
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初稽古

今日は初稽古だった。
すごい疲れた。
寝る。おやすみなさい・

「他律ノススメ」http://taritsu.exblog.jp/
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