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タイトルなし

今って奇跡。今って異常。そうだよ、今、わたしがこうしてここにいるっていうのは、異常事態なんだ。ぜんぜん当たり前じゃない。わたしがいる状態の世界は奇形みたいなもんだ。もう、すでに、異常事態なんだから、そんなに怖がらなくても大丈夫、そんなにいろいろ気を使わなくても、もうずっと異常で、正常に戻るのは、私が死んだときだから、生きてるうちは、もう大丈夫。
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昨夜つけられた傷が、今日ずっと、うずうずしてた。

うずうずして、わたしを責めたり、非難したり、引きずり落としたり、なまぬるいぶよぶよしたものに包まれたような気持ちにさせたり、、、

とにかく今日は体もだるくて、

なんか、だめ、なわけじゃないんだけど、不思議な感覚に(嫌いじゃない)ずっとついてまわられた。
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コンタクトインプロ。

木曜の3限はコンタクトインプロヴィゼーションという体育の授業です。
コンタクトインプロとは、パートナーに体重を預けたり、パートナーの力を利用したりして生まれるムーブメントを探していくことだと、私は勝手に解釈してます。上手くいくと、一人で動くのに比べ可動範囲がぐっと広がるので、なんかちょっと超人的な感覚が味わえるし、上手くいかなくて成功しているペアを見ているだけでも、なんだか新しい生物を見ているような気持ちがしてとても楽しいです。
でも私は、人に触れるのが苦手で、すごく遠慮してしまう。触れられるのは好きだし、うれしくなってしまうけれど、その後自分がどういうアクションを返したらいいのかがわからなくて、挙動不審なかんじになります。無意味に笑ったり。コンタクトインプロは人に触れることが大前提なので、触れるどころか乗ったり乗られたりするので、毎回授業後はかなり精神的に狼狽してます。
やっぱり触りやすい人と触りにくい人かいて(合う合わないという相性の前段階の問題として)、触りやすい人は、なんだろう、なんかテンションとか、その時気持ちが向いている方向とかが同じなんだと思う。
触るとは確認することであって、触られるとは確認されることであって、そしてそのやりとりは変化を生む。その変化をお互いが確認しあっていくことが、本質な気がします。
「私は強引に何かをされることは嫌いだが、何かをよろこぶように有無を言わさず変えられてしまうことがとても好きだ。
前者は関係を変えずに行為をいびつに割り込ませるが、後者は行為が自然に生まれるように関係を変える」(二階堂奥歯『八本脚の蝶』)
上記の文章に集約されるようなコンタクトインプロが理想だと思う。






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多くの女の人がそういう傾向にあるように、
私も情緒不安定の性質があり、
友人に
「なんだかばらばらになりそう」
とメールをしたら、
「ボンド」
と一言返ってきて、付き合いの長さを感じた。
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バレエ。

二ヶ月ほど前からバレエを習い始めました。
推定平均年齢40歳のご婦人方にまじって、がんばってます。
バレエってすごいなと思うのは、その動きが、日常的な人間の動作に、完全に反しているところです。機械のように体を折り曲げたり、足を持ち上げたりして、身体を効率よくバレエという規則に適うように改造していくのです。そうです。私は身体改造の一つとしてバレエにとりくんでいるのです。まだまだ先は長いけど、がんばろう。
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卒論が。

私の孤独、存在の不安。
死への恐怖と憧れ、同時に性への恐怖と憧れ。
無秩序な死と性から解放するものとしての労働。
しかし、労働は私たちの根本的な欲望を満たしはしない。
そこに再び、孤独と不安がおそいかかる。
死と性だけが、私たちを連続性の中に導き入れる。
それは、理性の目的が理性を凌駕した瞬間。意識の消滅、そして「私」が不定形に溶け出す瞬間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・あーーー、卒論どうしよう。エロティシズムをめぐるお話にしようと思っているのですが。「マダム・エドワルダ」(バタイユ)「目玉の話」(バタイユ)「責苦の庭」(ミルボー)を連続で読んだら、なんかもうお腹いっぱいな感じです。そしてこれから「充ち足りた死者たち」(マンスール)を読みます・・・。
でも、「目玉の話」は二年ほど前に「眼球譚」の訳のほうで読んでいて、その時はそこに描かれるエロティックな光景に心奪われていましたが、今回は主人公のシモーヌにすごく感情移入して読めた!自らの生を真正面から見つめようとするあまり、激情とその鎮静を繰り返しながらもどんどん昇りつめていく姿が、とてもすてきだ。巻末に後編の草稿がのっていて、続きが存在しないことが残念だ。(でもシモーヌの最後はもうわかってる)
もちろん、シモーヌたちが繰り広げる奇想天外な遊戯の光景もやはり衝撃的だった。闘牛場で闘牛士の目玉が牛の角によってえぐられるのとシモーヌが自らの中に牛の睾丸を飲み込む瞬間が重なる場面や、教会で神父の目玉がシモーヌの股の間から涙を流す場面とか。
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「落下の王国」

新宿武蔵館で、レイトショーを見た。
「ザ・セル」を撮ったターセル監督新作の「落下の王国」
ものすごくよかった。
主人公が語る物語と映画の中の現実が次第に錯綜していって、それは一つの新しい物語になる。
映画がクライマックスに向かっていって、あぁもう終わってしまうという絶望的な思いの中で、少しでもその物語に包まれていたくて、必死にその尾をつかもうとするけれど、スクリーンは暗転。わずかな静寂の後、淡々とながれるエンドロール。
なんだかよくわからないけど、号泣。なんかもう切なくて。終わってしまったことが。こっち側に突き帰されてしまったことが。
また映画館に足を運べば、映画を見ることはできるけれど、でもやっぱり「この」お話はもう二度と見れない。







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秋服買った。

・ブラウス(古着)
・ワンピース(HaNjiRo)
・ロングパーカー(HaNjiRo)
・ロングTシャツ(HaNjiRo)
・プリーツスカート(古着)
・ブーティ(Oriental Trafic)
・ワンピース(Romeo Y JuLieta)

今日でとりあえず秋服は買いおさめ。あー、いっぱい買っちゃなー。ほんとバイトしないと。でも好きな服が着れるってしあわせ。去年はそれどころじゃなかったもんね。

「一ヵ月半ぶりにまともに外にでた。
ガラス工芸品の販売、展示をしている信州安曇野のアートヒルズに行った。
硬くて、冷たくて、繊細で、ガラスってなんてすてきなんでしょ。
作品製作の体験ができるとのことで、子供づれの家族にまじり蜻蛉玉作りを体験。
むずかしー。加減がぜんぜんわからんかった。
教えてくれるお姉さんにほとんどやってもらい、私はガラスの棒がとろーーんって溶けていく様をぽかんと見てました。
出来上がった蜻蛉玉は本当にきれいで(ちょっと割れちゃったけど)、携帯のストラップにつけて暇なときにさわったり眺めたりしてます。本当はネックレスにしたかったけど、私の首は炎症でひび割れており、とてもアクセサリーなどつけられないので」(2007年11月5日の日記)
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読書した。

小川洋子「密やかな結晶」読了。
本を読むときは、そのお話の中に、できる限り深く沈みこめるように努力して読みます。わたしは読書経験が乏しく本を読むのが下手なので、満足な読書がなかなかできないのですが、この本は圧倒的な力で、ぐいぐいとわたしをお話の中に引きずり込んでくれました。小川洋子の小説は割りと好きで、以前にも何冊か読んでいるのですが、一番好きかもしれない。あ、うそ。「薬指の標本」と並ぶくらい好きです。小川洋子というと映画化された「博士の愛した数式」が有名ですが、「博士の愛した数式」もすてきなお話だけど、でもあれじゃものたりない!「蜘蛛の巣にかかった蝶が、蜘蛛の毒針に刺され、うっとりしびれていくような」お話において、小川洋子の本領は発揮されると思います。倒錯の入り混じった官能的なお話を書く作家さんはたくさんいるし、たくさん読んできましたが、些細な事柄(紅茶を飲むであったり、ベッドを運ぶであったり、マフラーをポケットに押し込むであったり)を、決しておろそかにせず、おろそかにしないどころか、フェティッシュさえ感じられるような、視線の執着でもって描く彼女の小説は、別格だと思います。
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人形。

清水真理個展「聖書と木馬」を見に、銀座の青木画廊へ。清水真理さんは人形作家です。球体間接人形にはけっこう前から興味があって、見たい見たいと思っていたので、念願がかなってうれしいです。人形はどれも本当にすてきで、あーどうしてわたしは人形じゃないんだろうとかって、くだらないことを思ったりしました。あどけない表情でその手を無防備に投げ出した彼女たちは、その外見に反して、決して私たちを受け入れはしない。彼女たちの世界は完全に閉じられている。「わたしはあなたを見ないし、あなたに向かって話さないし、あなたを抱きしめないし、あなたの声を聞かないし、あなたを私の中に入れはしない。そう、決して」でも、完全に閉じられていることが、解放的な雰囲気を生じさせることがあり、わたしはそういうことがやりたいと思っている。
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