エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

京都大まわり散歩(1)山菜茶屋“橋本”

2016年10月10日 | 雑感

                                                              2016年10月10日

 

2014年7月31日記

先日、車で京都の北方面への大廻り散歩をした。

本当の京都府の北大廻りといえば、市内から比良山系の西の鯖街道を通り、日本海の小浜へ、そして舞鶴、丹後半島の根本の天橋立を通って市内に帰ってくるという道筋だが、いま云う大廻りはもっと小型だ。

 出発点の京都市内から、鞍馬、花背、”山菜茶屋橋本”、そこから脇道にそれて大悲山峰定寺(ぶじょうじ)と広河原、ここまでが私の感覚での京都半周だ。

 この前半の行程には私たちが長らく親近感を込めて“おばさん”とよぶ人が居る。

 ある楽しい夫婦との一期一会の思い出もあった。あとで述べる。

 

残り半周は“茶屋橋本”から広河原、美山町の茅葺家の群、常照皇寺、周山(北山杉)、高雄、そして京都市内だ。

 つまり、京都市街の北を出発点として、北の田舎を大きく左回りに一周する。

 今ではたかだか車で130キロの距離だが、私が高校生だった頃には仲間と京都バスと国鉄バスの助けをかりてテントでの野宿も含んで苦労してうろついた山道だ。

 

車での行程は、

京都から鞍馬街道を上っていくと、左手に貴船に入る道と右への鞍馬への道が分かれる。

                                 

貴船は川床で有名だ。(最初の写真)。貴船の料理は川床に入ると料金が高く、山側の店は安い。ただし、川床は涼しいのは確かだが、夕方から夜になると涼しさを通り越して震え上がることになる。

右手に道をとるとすぐに鞍馬寺の山門にでる。

                                

                                     

ここの木の芽炊はおいしい。山椒の実と細かく切った昆布を醤油で炊き上げたものだが、店によってそれぞれ微妙に味が違う。この山門前を右にまがって花背峠を越して花背の村をずんずん進んでゆく。

                                    

 40分ほど走ると第一番目の目的地、蕎麦山菜どころ“橋本茶屋”に到着する。ここを右手に行けば、大悲山峰定寺に至る。

 この“橋本”は我々の仲間がよく来るところだ。

山菜のてんぷらとそば、小鉢に盛られた五品ほどの山菜のお浸し。どれもみなおいしい。

「ここは○○荘と変わらない、材料はまったく同じ、違うのは器だけ」、と橋本のオバサンは言う。半分本気、半分冗談だ。

 私はざるそば、家内はそば。これに山菜のてんぷらと小鉢がつく。

左下の小鉢から反時計まわりに、ふき味噌、やまくらげ、いたどり、わらび、焼きエリンゲ。てんぷらは、赤シソ、ヨモギ、やまうど新芽、きのめ、山芋、みょうが、まいたけ。蕎麦のだしには摺った山の芋を入れる。

                                   

時には鯉こくをふるまってくれたりする。

最後は必ずコーヒー。これで、1000円くらい。おいしいが、量が多いので、完食するのに苦労する。

                                        

店の前には清流が流れている。

ここは蛍の名所だ。

 このあたりには私が小学校のときに目にした尺級(30センチ)のウグイがまだいる。普段昼間には目につかない。

  10年ほど前のことだか、ウエットスーツで近くの洞穴を潜ったときに、彼らが暗い洞窟で群れをなして生きながらえていることを見て感動した。

 

食事を終え、大悲山峰定寺に向かう。

 その手前に高級料亭“美山荘”があるが、ここはわれわれ庶民には無縁の場所だから門前だけを表敬訪問するにとどめる。

                                    

峰定寺は本山修験宗の山岳寺院で平安時代末期に建立されたという。山門から入ると急な登りになり、その最後に、小形の清水の舞台のようなお堂がある。

                      

 

さて、もと来た道を引き返し、“橋本”を通りこし、広河原をすぎて美山に向かう。

佐々里峠のお地蔵さんの小屋を写真に収める。

                      

60年近く前、仲間7名と京大芦生の演習林に1週間ほどキャンプした。そして最終広河原に出るべく、1日中道を探し、迷い、迷って、やっとこの地蔵小屋にたどり着いて野宿、翌朝早く広河原におりた。

これはその時の写真だ。茅葺の民家の屋根が見える。                                       

地蔵小屋はあったが広河原と美山を結ぶ道路などついていなかった。

 

広河原では小熊が檻の中にとらわれていた。その後仲間の一人Mが比良山系でクマに襲われて大けがをして新聞のニュースになった。(20年ほど前か)そのころでもまだ熊は珍しく、Mの武勇伝だった。しかし、今では珍しくもなんともない。

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