エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

 味覚と視覚

2016年11月05日 | 雑感

 

                                 

 

写真は、我が家にある二つの茶碗だ。

右側は母親の実家にころがっていたお薄茶碗で、箱書きも銘も何にもない。他にもお薄茶碗はあるが、わたしはこれが一番好きだ。

 

しっとりとした手触り、すわり具合、形。

この茶器で飲むとき、おうすの黄緑の泡と茶碗の黒さの調和にほれぼれする。

私の美的感覚がすぐれているならこれはすごい逸品、利休の作だと言って家内に笑われている。

 

さて、左側の湯飲み。

私たちは以前毎年のように京都、五条坂の陶器市にかよった。

新進気鋭の陶芸家が自分の作品を出している。

 

あるときこの湯飲みが目についた。ずいぶん昔のはなしだ。

 

この湯飲み、先客が “お茶の色が・・・” と言っているのを、売り手が、“いや、それはこうすれば・・・” と湯飲みを傾けたりして対応していた。

しかし、私はその会話を気にせず、デザインと形が気に入って買い求めた。

 

先客は賢かった。

これは湯飲みだ。

黒い湯飲みに入ったお茶は、茶の色が消えてしまって味までわからなくしてしまう。まずい。

全く失敗だった。

味覚は視覚が大事、という基本的なことに、私はそのとき思い至らなかった。

 

料理の味も盛り付けの器によって感覚的に違ってくるが、これほどひどい例ははじめてだ。

日本酒とか焼酎の水割り用ならまだいいのだが、お茶用にと考えた、こちらが馬鹿だった。

 

 

 

 

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