エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

  塩辛トンボと運転と大文字

2017年07月05日 | 雑感

2017年5月3日

                                            

 家内と生協に出かけようとしたら、塩辛トンボが地面を 這っていた。4枚の羽のうち、一枚の羽が半分切れていてうまく飛べないらしい。そっと椿の葉の上に乗せた。

 さて、家内が「あなたこのごろ いっときより運転が上手になったんじゃない?昔みたいに、安心して乗ってられる」と云った。

たしかにこのところ運転はスムーズだ。バックの車庫入れも、Uターン、車線変更、なにもかも機敏だ。

「大文字のせいかもしれないわね」と家内。

 3年前に肺の手術をしてから宝ヶ池5キロのジョギングを全くやらなくなった。それで体力が落ちて、これでは

だめだと大文字山に週4回ほど登り始めて一月半だ。

私のやりかたはなるべく早く登り、早く降りてくる、仲間からバカにされる“鍛錬法だ。”

 その成果が出て来たのだろう。そこそこの運動をやれば、機敏性が増し、心肺機能、筋力だけでなく頭も

すっきりする。ただし、家内が言うには、「あなたの年齢からくる不注意はなおっていない」。

機敏性がまして、不注意がもとのまま、おまけに歳によるわがままが出たら、エンジン、ハンドルは正常だが

どこに行くかわからない恐ろしい車になる。

 

 このことはTには云わないでおこう。Tと私はながい間、お互い山行など車のいる時は助け合っているが、実際の

ところはお互いの運転技術を信用していない。

いま、Tは眼が少し悪いので私が補佐しているが、こんなことを聞いたら私の車に乗ることを尻込みするだろう。

 庭の塩辛トンボの不具合は命にかかわるものだが、微々たる不具合でも我々には大きく身体の不自由さに影響する。