函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説の村・椴法華。
海辺の露天風呂からのメッセージです。

日本が変わってきた

2017年06月18日 14時37分56秒 | えいこう語る

▼アベ内閣になってから、日本語の意味が大きく混乱しているのを感じる。普段私たちは、言葉は意志を伝える重要な手段なので、なるべく正確な日本語を使うように努力している。だが、言葉も時代背景により、意味が微妙に変化してくるようだ。

▼憲法とは、国民が全員守らなければならないきまりなので、国柄や国民性を形成する重要な要素だ。現憲法になってから、我が国は軍事力を放棄し、戦争をしない国だという自覚を持っていたので、戦争をしないという前提の下で会話するのが、正常な日本人だったはずだ。

▼だが、アベ政権下で、戦争ができる国へと憲法を改正する機運が起きてくると、今まで正しかったことが、正しくないことになってしまうことになるのだ。現常識から別の常識に移行しそうな今の状態が、曖昧さを生むのだ。こうなると、アベ内閣での国会答弁は、まさしく、その曖昧さが前面に出た国会運営なのだ。

▼つまり憲法改正とは、憲法が古くなったから改正しようということではなく、日本という国家が変わると同時に、日本人そのものまで変わってしまうということを、理解しておかなければならないのだ。その変わり目が、顕著に表れているのが、今の国会での討論なのだ。

▼現憲法を根こそぎ改正しようとするために、特別秘密保護法、安保関連法、さらに共謀罪の法整備をしているのだ。改正に前向きな与党は、野党の追及など歯牙にもかけない。現時点では、野党の方が正常だと国民は思っているが、間もなく憲法が改正されれば、野党は国家を混乱する象徴としての、烙印を押されてしまうのだ。

▼つまり戦争ができる国に法律が改正されれば、戦争に反対する者は、国家転覆予備軍で共謀罪が適用ができるからだ。森友学園や加計学園問題などの与野党の攻防をみていると、内閣不信任の提出で解散ということになるのだが、数で多数を占める与党に恐れと迷いはない。与党の幹部たちは、ほとんどアベ総理の「アベコベ討論」で、野党をあざけ笑っているのだ。

▼先日、アベ総理の答弁が国民まで浸透してきたのではと思われる出来事に遭遇した。あるホテルのレストランで、私と一緒にいた方が、水をこぼしたのだ。ホールの係を呼び、こぼしたことを告げると「そのままにしておいてください」と言いい、ほかに行ってしまったのだ。

▼私たちはあっけに取られてしまった。拭いてほしいといっているのに、そのままでいいというのは、アベ総理のまねかと思ったからだ。総理の指示があったというのに、なかったという自分流の判断なのだ。なんだか改憲を叫ぶ総理の力が大きくなれば、日本も変わってくるのだという、ある種の恐怖を感じた出来事だった。

▼憲法改正とは、日本人の常識や国柄まで変わるということを、私たちは肝に銘じなければならない。戦争できる日本とは「美しい国」ではなく「狂気の国」のような気がするが。
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