函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

ヴァレンタインデーの記憶

2011年02月13日 14時49分05秒 | えいこう語る
還暦を過ぎると、記憶もひどく曖昧になってくる。
ありもしなかったことを、あったがごとく自分で創作し、インプットしてしまうということも多々ある。
高校の修学旅行時に、東京で「五月みどりショー」を観たという、私の記憶では映像のように鮮明に残っているのがある。
それは同級生の誰に聞いても、そんな事実がなかったという、私だけの虚構の記憶というものだった。
なぜそうなったのかは、いまだに解明出来ていない。
昨夜、函館市内のホテルで、高校時代の同期会があった。
昭和42年の卒業である。出席者全員の記憶も「曖昧な日本の曖昧な私」というような、感じである。
そんな状況を危惧したのか、幹事の発案で「思い出のクイズ」というのがあった。
当時の生徒会長は?校内マラソンでの優勝者は?学園祭のテーマは?などというものである。
もちろん記憶にはないが、幹事が説明を加え話を進めていくうちに、だんだん時代がよみがえってくる。なかなかの好企画である。
※函館は明治以降は大火の連続だった。東本願寺別院。耐火建築だ。
当時、コンクリートで寺を造るのかと批判されたらしい。


ヴァレンタインデーも近いというので、昔の女学生から、昔の男子生徒にチョコをプレゼントという、粋な企画もあった。
私もいただき、珍しく心がときめいた感じがした。
ところがバレンタインデーにまつわる、私のいやな記憶が蘇ってきたのだ。
参加していなかったが、私の友人にK君がいた。
彼は甘いマスクで、こころの優しい男だった。バスケットの選手で、その実績で大学に推薦されたという記憶がある。これも不確かだが。
彼が、後輩の女子からチョコレートを独り占めにしていた。そこで私は、甘い日なのに、苦い思いをした記憶だ。
社会に出てからもそれは持続していた。
いただくのは、職場を訪れる生命保険会社のオバサからだけだった。
その思い出を女性たちに話すと、自分たちの高校時代には、ヴァレンタインデーなんてなかったと、一同口をそろえる。
また私の記憶違いかと思ったが、隣の席に電子機器の社長がいた。彼が今流行の「I・フォーン」なる、グットアイテムを持っていたのだ。
それで調べてもらうと、日本でヴァレンタインデーが始まったのは、昭和36年らしい。私たちが高校に入学したのは昭和39年である。
当時は、東京で流行したものが函館に上陸するのは、2~3年はかかったので、私の記憶が間違っていなかったのを、文明の利器が証明してくれたのだ。
今回は私の記憶が、みんなを勝ったのだ。私は気分爽快になった。
でも、考えてみれば、私たち昭和42年の卒業組はとても仲がよく、団結力の学年と、同窓生からも言われているくらいなのである。
特定の誰かにチョコを渡すなんていうのはなかったくらい、兄姉のような仲のよさだったのである。私たちの同期には、そのような習慣は無縁だったに違いない。
二次会にも参加し、グループサウンズ時代の歌で盛り上がった。
帰りは妻が運転手を務めてくれ、帰宅は午前零時を回っていたという。
車中、もちろん妻に、自分の記憶が勝ったというのを、自慢したに違いない。
二次会の後は午前9時に目覚めた。ただそれだけの私の記憶である。


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4 コメント

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Unknown (深山あかね)
2011-02-13 21:07:36
 この一週間、私も高校時代のことをずっと考えていました。私の得意技は忘れることだということを改めて感じています。
 考えていまたのは例えば、「誰の下宿を訪ねたことがあるか・誰が私の下宿を訪ねてきたか」ということ。
 光源氏とあだなされてた三木助に似た古文の先生で私のソフトクラブ顧問の先生の下宿に行ったときのことがまったく思い出せません。野球部顧問の先生がよくかわいがってくださって、野球部がバス1台借りて遠征するとき、連れて行っていただいたことが何度かあるのですがその先生の顔がまったく思い出せません。同じクラスに野球部で渡辺貞夫に似た洋服屋のs君がいて学生服の裏生地におしゃれな生地が使ってあるのをそっと見せてくれて友達になりs君の友達とd君と3人でなにげなく休憩時間などすごしていたことも思い出します。ある日同じクラスの女の子がソフト部に入りたいと言ってきて、仲間に入りました。彼女はきれいな声をしていて太平洋のように明るく聡明で、でもまるでスポーツのセンスのない人でしたが、D君が大好き(後に二人は結婚したそうですが。)ということで優柔不断な3人が彼女にまとめられてあとはずっと4人で過ごしていたのかもしれません。
 でも文科系のクラスメートによると私はよく一人で居なくなって男の子が捜させられたというのですが、私はどこで何をしていたのでしょう。ふしぎです。
 きっと誰の過去も今となってはふしぎな思い出なのでしょうね。
 一週間も考えたことをコメントしました。読了ありがとうございました。
Unknown (うたのすけ)
2011-02-14 11:08:56
今日は。
小生、高卒年次は昭和26年です。
それはともかくバレンタインデーにはとんと縁がありません。強いていえば飲み歩いていた頃、スナックのねえちゃんから頂くくらいでした。
Unknown (■かわぐち えいこう)
2011-02-14 13:37:42
あかねさんへ。「記憶」という心理小説が書けそうな勢いですね。登場人物もシャレています。落語家に似たものやJAZZメンに似た者などです。そして、自分が何者かもわからないというものです。戦後の急速な文明社会の中で、過去を徘徊する、現在人の深層心理。書上げれば直木賞ものです。
Unknown (■かわぐち えいこう)
2011-02-14 13:44:50
うたさんへ。スナックのねえちゃん、いい響きです。戦後の闇市無頼派を連想させます。以前書いていた食堂の物語を思い出しました。カウンターでウイスキーを立ち飲みし、チョコをかじってるうたさんが浮かんできます。流れる曲は「上海がえりのりル」なんてところでしょうか。

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