函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説の村・椴法華。
海辺の露天風呂からのメッセージです。

弱い日本は見たくない

2017年05月15日 10時22分17秒 | えいこう語る

▼満員御礼の札が立つ、大相撲夏場所初日。皇太子殿下御夫妻の御来場に、ひときわ大きな拍手が起きる。それは、次期天皇として、国民の歓迎と祝福の拍手に聞こえる。笑顔にも気品と風格が漂う殿下、和服がお似合いの妃殿下、「万歳」をしたくなるにふさわしい存在だ。これから、我が国の「平和の象徴」として、私たちもこの天皇陛下と共に、歩みたいと心に思う瞬間だ。

▼場所は両国国技館。結びの一番は、第72代東の正横綱稀勢の里。戦後72年にふさわしい、堂々たる風格だ。「日本一」の声が飛び交う。対戦相手は、相撲巧者小結嘉風。懸賞金「54本」に、会場もどよめく。だが、前の取り組みで、横綱鶴竜が小結御嶽海に敗れる。一瞬、長い大関時代の、ここ一番の勝負に弱かった頃の、稀勢の里の姿が脳裏に浮かぶ。

▼だが、今の稀勢の里には、その面影を打ち消すだけの精神力があると私は思う。テレビを観ていた友人が「これは負けるな」といった。だが、私は「がんばれ、稀勢の里」と叫んだ。勝負はあっけなかった。だが勝負後の、横綱としての風格さえ吹き飛んでしまった、意気消沈、戦意喪失の土俵下の雰囲気に、私は「弱い日本」を感じチャンネルを変えたのだ。

▼次期天皇陛下の、御前試合である。第72代横綱として、お祝いの立派な土俵を見せてもらいったかったのだ。そこまで過度に期待するのは、酷ではないかと思われるだろうが、私の大相撲好きな理由は、そこに日本人としての、精神の在り方を追及しているからだ。単なる勝ち負けの世界ではなく、日本人学というか、日本人としての美意識を、そこから学ビ取りたいと考えているからだ。

▼負けるのはいい。だが、そのしょげ返った土俵の光景だ。「日本国敗れたり」という印象が漂ったのだ。「稀勢の里、切腹をせよ」と私は心で叫んだ。

▼私は、60年にも及ぶ大相撲フアンとして、日本人としての自分を考えることがある。もし、あの時代に戦争に行ったなら、真っ先に特攻に志願していたのではないかと。今反戦の意識が強いのは、立憲主義国家で、民主主義の国に生まれたからだと思う。「主権在民」が、戦争のない平和国家を維持するための、国民に与えられた宝物ではないかと、昨日の、稀勢の里の相撲を観て、私は考えさせられた。

▼横綱稀勢の里に言いたい。故横綱北の湖は、負けると急ぐようにして土俵に上がってきた。「土俵にいることが恥ずかしかったから」という、勝負師としての美学を持った横綱だ。そこを見習ってほしい。土俵下で、負けた姿をさらしている横綱なんて、二度と観たくないからだ。

▼「日本一」と声をかけられ続ける、心・技・体を絵に描いた横綱になってほしいと願う。あなたが横綱昇進をかけた一番で勝った時、私は病床で誰はばかることもなく、大きな拍手を送ったからだ
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