函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説の村・椴法華。
海辺の露天風呂からのメッセージです。

もう一歩踏み込む勇気

2017年07月17日 09時55分13秒 | えいこう語る

▼北海道新聞の記者が自社の新聞に、自分の思いを吐露する「やまがら日記」なる小コーナーがある。女性記者が役所の担当になり、保健福祉分野での介護や認知症の取材で、人権問題がネックになり、もう一歩踏み出せないことに、自問自答している自分がいるという内容に注目した。

▼その記者は、取材する方が抽象的な言葉で、まとめて分かった気になることを、注意しなければならないとし、そんなことはわかっているといわれるその先を、どこまで踏み込んでいけるかが課題だという内容だ。

▼私も、函館市町会連合会の保健福祉部の担当になっている。介護問題についての研修会なども企画することもあるが、制度や理念の説明に終わり、どこか充実感に欠ける気分に襲われる。微妙な人権問題があるのはわかるが、そこには、個人情報保護法などという法律に縛られ、気軽に近所に声をかけられなくなっているという社会状況もある。

▼少子高齢化による過疎問題は、地域コミュニティーの崩壊を生んでいるのは確かだ。国の地域政策もさまざまあるが、制度だけが先行し、内容がついていけないというのも事実だ。制度を熟知し、それを咀嚼し地域にあう対策を選別できる能力が、人口減が進む地域に欠けているという現実もある。

▼過疎化に歯止をかけるには、まずは人材の確保だ。教育とは、健全な地域社会と、健全な人間をつくるためにある、とも言われる。もっともそうだとまとめてしまえば、前述した女性記者の苦悩止まりとなるのだろう。私は、ある地方自治体の首長の言葉が、心に残っている。

▼「過疎とは、必要な人間が出て行って、必要でない人間ばかりが残っていることだ」。この言葉「失礼ではないか」と感じるか「そのとうりかもしれない」と感じるかで、問題の真相と解決策が見えてくるに違いない。

▼「本音で話しあおう」「自己批判も恐れずに」という言い尽くされた言葉が、今、最も必要な時代に入っているのではないか。そう感じるのも、我が国の国会では「嘘をつく」「自己批判など決してしない」という、現状が蔓延しているからだ。

▼会議や研修会で、体制をつくろうだけの、なんとも後味の悪いものが多いような気がする。「そんなことはわかっている」という先にどう踏み込むかが、日本人魂の取戻しにつながるのではないかと、17日の「やまがら日記」は、私にこんな考えを想起させたが。
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