電脳筆写『 心超臨界 』

熱意は知識以上の働きをする
( ウィリアム・ヘイズリット )

急流の小石ほど丸い――松原泰道禅師

2016-12-27 | 100-自己・信念・努力
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【 松原泰道、主婦の友社 (2001/05)、p10 】

02 〇(円相(えんそう))
  急流の小石ほど丸い

円は、丸いとか円満、欠けたところのないさまということから、仏教では真如(しんにょ)、仏性(ぶっしょう)、実相(じっそう)、法相(ほうそう)を表すといわれます。禅では、「円悟(えんご)」(完全な悟り)、「円覚」(円満で欠けたところのない悟り)などという言葉がありますが、悟りの境地を表すものとしています。

しかし、この円はコンパスで書いた円ではありません。円は無限の多角形であるといわれますが、まん丸ではありません。いわゆる急流の小石が丸いように、本来角のある多角形が、その角が一つ一つ、修行によって削りとられ、丸くなっていくのです。角をとっての丸さでなければ意味がありません。そうしてはじめて、円悟とか円覚、あるいは円融(えんゆう)、無碍(むげ)という意味が出てくるのです。

人間でもそうです。若いときから円満な人間などというものはいません。若いときは生意気で、突っ張って、あっちにぶつかり、こっちにぶつかって鼻を折られる、そういう苦労をしてはじめて円満になる。ですから、急流の小石ほど丸いという言葉は意味深いのです。さざえも、荒波のさざえは角(つの)が少ないそうです。無碍は、障碍(しょうがい)、差し障(さわ)りがないということですが、その無碍も、少しずつ障碍が取り除かれていって、はじめて無碍になる。そうでなければ、人に対する思いやりが出てきません。

俺は円満だと、おさまってしまってはいけません。急流の小石のように、どこまでも転がっていって、磨きに磨きをかけ、修行を続けていかなければいけない。自分でももう悟ったなんて思ったら、おしまい、よく私に、「おかげさまで悟りを開くことができました」などと言う人がいますが、そういう人ほど悟っていない。円融無碍の人とは、雪だるまのように転がって、角をとりながら、徳を積んでいく人のことです。

浅草の観音堂(浅草寺)の柱に、「仏身円満にして背相(はいそう)無し」という言葉が書かれています。背相なしとは、背中がないということ。円満だから全部正面なのです。またもういっぽうの柱には、「十万来人皆対面す」と書かれています。背中がなくすべて正面だから、十万来人、あらゆる方向から来る人と対面することができる。すなわち、すべての人を救うことができるのです。さらに、観音様の観は観察の観です。釈尊が深い観察をされたということが、「観音」という言葉に象徴されています。観音の「音」は音声ではなく、すべてを声、姿として観(み)るということです。観るときは観、聞くときは聞く。相手と同化して観察する。そういう修行を人格化したのが、観世本菩薩(かんぜおんぼさつ)、すなわち観音様です。世音を観るというのは、この世のすべての人々のうめき声を聞くということです。

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