明治憲法の欠陥が統帥権干犯問題を起こし、リーダー不在の「全体戦」に導いた――渡部昇一教授

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【 渡部昇一、ワック (2011/6/3)、p140 】

  1930(昭和5年)
  統帥権干犯問題起こる
  明治憲法の欠陥がリーダー不在の「全体戦(トータルウォー)」に導いた

アメリカの人種差別、ロシア革命、ブロック経済などの難問が日本に押し寄せてきたとき、明治憲法に内在していた欠陥が露(あら)わになった。それが統帥権干犯問題である。

昭和5年、ロンドンで海軍軍縮会議が開かれた。これは列強海軍の保有艦数の制限を目的としたもので、当時の国際世論や英米両国との力関係などから、日本の首脳はこのロンドン条約を締結せざるをえなかった。ところが、これに軍部が厳しく反発した。

海軍の軍備は明治憲法に規定された「統帥権」(軍部の最高指揮権)にかかわることであり、これは天皇の専権事項だから、政府が勝手に軍縮条約に調印することは天皇の統帥権を干犯する(権利を侵(おか)す)憲法違反だと、軍部は激しい政府攻撃を行った。条約締結の責任者とされた濱口雄幸(はまぐちおさち)首相は東京駅構内で右翼の青年にピストルで狙撃され、重傷を負った。

明治憲法には責任内閣の制度がなく、内閣の規定もなければ内閣総理大臣(首相)の規定もないから、内閣が軍隊を指揮するとういう規定もない。また、議会が軍隊を監督するという条文もない。海軍はこの明治憲法の欠陥に気づいたのである。当時の野党政治家はこれを政府の問題にして、マスコミもこれに乗った。日本の悲劇の始まりである。

陸軍も憲法を盾にとって「政府の言うことを聞く必要はない」と言い始め、満洲にいた関東軍は「陸軍中央の言うことも聞く必要はない」とさらに拡大解釈して、昭和6年、本国政府の意向を無視して満洲の諸都市を制圧するという軍事行動を起こした(満洲事変)。陸軍首脳は関東軍の暴走に激怒したが、元を正せば国家全体の指揮系統を乱した彼ら自身の責任なのである。

政府と軍が対立した時は、統帥権を持ち出せば軍が勝った。統帥権干犯問題によって軍は政府からリーダーシップを奪ったが、しかし、陸軍と海軍が対立したら、それをまとめるリーダーはいなかった。つまり、日本は誰もリーダーシップを発揮できない国になったのである。意見の対立を調整・統合するものが制度的に存在しない政府で、何が出来るであろう。戦時になって設置された大本営も、一元機構に見えるものの、その実は名前ばかりであった。

シナ事変から大東亜戦争へと、日本は当時の流行語で従えば「全戦争(トータルウォー)」に突入した。戦場の軍人だけではなく、工員も銃後を守る婦人もみんな戦っているのだということである。だからこそ、政略と軍略を統合する戦争指導が必要なのに、それを行うのは名目上、天皇になっているだけで、実は誰もいなかったのである。

統帥権干犯問題は、あたかもひろがりゆく癌細胞の如く、日本の政治機構を確実に侵し、ついに陸海軍の統帥部そのものまで動かなくしてしまったのである。いわば、国家の統治機関の骨髄になで病巣が及んだのだ。

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