園長だより

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2017年07月15日 08時42分01秒 | Weblog

昨日、若い頃、児童養護施設に関係する研究会で勉強していた頃のことを思い出していました。

その時にお世話になった恩師に、「受容と共感」について教わりました。

子ども一人ひとりに対する受容と共感の大切さについてです。

そのことを学んで20数年あまりが過ぎました。

その後に出会った恩師からは「必然の理解」ということを教わりました。

「受容と共感」と「必然の理解」ということの意味は、深い他者理解をするために必要なことです。

この内容は間違って解釈すると、何をしても許容するというように捉えることもありますが、そうではありません。

子どもたちの今、とっている行動に対して、善悪を伝えるだけではなく、「なぜそういう言動をとるのか?」その子どものことを深く考えることが大事だということです。

これは、ある意味、子どもだけでなく、大人でもそうですが、一見同じ世界で生きているように普段見えますが、

人は全く違う環境で育ち、それぞれの世界があり、コミュニケーションを図っても、必ず微妙なズレが生じ、

うまく噛み合ない相手だと、大きなズレが生じています。

そのズレはどうして起こるのか、そのことをしっかりと考えることが「受容と共感」や「必然の理解」となってきます。

これは、親子の血の繋がった人間関係においても起きることですし、お互い選択しあった関係である恋人同士や夫婦関係でもよく起きることで、ボタンの掛け違いみたいなことがよくあります。

ただ児童養護施設の職員は、血の繋がらない人生の途中で突然出会った他者である子どもに対して、プロフェショナルという立場で、「受容と共感」や「必然の理解」を行う必要があります。

わたしが若い頃出会った恩師たちが共通して教えてくれたのは、そのことです。

子どもたちは、施設も職員も選べません。

ある日、なんらかしらの事情で、施設に入所してきます。

その際、一人ひとりの子ども(人間)には、その一人ひとりにとっての真実があります。

それまで育ってきた環境から形成してきた考え方、生き方があります。

届かない思い、伝わらない思いがある時に、「共感と受容」「必然の理解」という深く多角的な視点をもってその人を見つめることが、対人援助職としてとても重要であることを、最近も再び再確認しました。

そういうことを「愛はすべてではない」という児童心理臨床において有名な本を書いたブルーノ・ベッテルハイムという人が言いたかったのだと思います。

ベッテルハイムさんは、ナチスの強制収容所での体験を基に、シカゴ大学で児童心理治療施設で子どもたちの心理治療に一生を捧げ取り組んだ方です。

この本も若い頃、出会った方々より教えていただいて絶版になっている本のコピーを取らせていただき、勉強しました。

この本こそ「共感と受容」「必然の理解」をしっかりと教えてくれる本です。

過去に学んだことをしっかりと思い返し、子どもたちの支援をしていきたいと思います。

 

 

最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

 

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