園長だより

学園の様子と、園長の日々想うこと、日々の学びを、つれづれに書きしるすブログです

無知と気づき

2017年05月19日 05時35分57秒 | Weblog

昨日は、学園でケースカンファレンスを行いました。

学園全体ではないですが、リーダー層が集まって、一人の子どものカンファレンスを行いました。

それもリーダー層による自主的な取り組みです。

カンファレンスがとても大事だということは、児童養護施設では定着しています。

一人の子どもに対する理解が深まっていないと、よい支援ができないからです。

無理解は、誤った支援につながり、誤った支援は、子どもとの関係構築ができなくなります。

 

よく言われる言葉があります。

この言葉は、本を読んでいると何度か出会う言葉です。

無知ほど残酷なものはない、という言葉です。

例えば、あることをいけないことをいうことを知っていて、故意にいけないことをすることがあります。

その時、それをする側の人は、自分がいけないことをしている自覚があるため、それほど、残酷なことはしません。

しかし、無知の中にいる人たちは、それがいけないことだと知らないので、残酷なことを平気で酷く行ってしまいます。

そして酷いことをしたことを自覚していません。

むしろ正しいことをしてやったと思っています。

これは、歴史が物語っています。

数々の戦争も正義の名の下で行われ、魔女狩りも正義のもとに行われ、

現代社会においても、まだ正義の名のもとで、酷いことが行われています。

親切心や正義を振りかざして行うことほど酷いものはない、ということは歴史を学んでいる人にはよくわかっています。

そこには、決定的に「無知」があります。

「無知の知」があれば、酷いことは行われませんが、自分自身の「無知」さえも気づかないのであれば、酷いことは平気で行われ、そして気づきがありません。

学ことがいかに大事かは、上記の内容が教えてくれるところです。

そして、常に学び磨いていないと、そのことにすらも気づきません。

 

一人の子どもを理解するということは、上記の内容に近いものがあると思っています。

いろいろなことを貪欲に学んでいる援助者と、学ばない援助者では、支援の内容に大きな差が出て来てしまいます。

子どもが施設や大人を選べない以上、大人側が常に自分自身の「無知に気づき」「学び続ける」ことが大事になってきます。

「学ばない援助者は致命的になる」ということです。

 

昨日のカンファレンスは援助者同士の苦労を共有しなら、共感や労いがあり、しかも本音を出せる雰囲気もあり、

よい内容のカンファレンスでした。

よいカンファレンスができると、子どもは育ちます。

そのことを強く体験しています。

無知と気づきの関係をしっかりと自覚しながら、学び続けていきたいと思います。

 

 

最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 手応え | トップ | GRIT やり抜く力 »
最近の画像もっと見る

あわせて読む