鬼平や竹鶴~私のお気に入り~

50代後半の中年オヤジがお気に入りを書いています。

お気に入りその1324~やなせたかし

2017-02-13 12:07:18 | 鬼平・竹鶴以外のお気に入り
今回のお気に入りは、やなせたかしです。

やなせたかしの「アンパンマンの遺言」を読みました。
本書の初版は1995年(著者76歳)、妻が亡くなったことを機に、自身もそろそろかなとの思いから、人生を総決算するために書かれました。
いつも元気で何でも器用にこなす妻は、当然、病弱な自分より長生きすると思っていたので、体調の変化に気づいてあげられなかったことを随分後悔していました。
ところが著者は、病弱ながらも、それから20年近く活躍し続けます。
本書は2013年(著者94歳)のときに、「94歳のあいさつ」を追加して復刊されました。
著者は復刊が発行される2か月前に亡くなっていますが、追悼企画ではなく、ご本人による本当の意味での総決算となりました。

AMAZONの内容紹介を引用します。
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「手のひらを太陽に」の作詞者でもある戦中派の作者が、自身の風変わりなホップ・ステップ人生を語る。
銀座モダンボーイの修業時代、焼け跡からの出発、長かった無名時代、そしてついに登場するアンパンマン――。
手塚治虫、永六輔、いずみたく、宮城まり子ら多彩な人びととの交流を横糸に、味わい深い人生模様が織り上げられていく。
図版多数収録。
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また初版時の内容紹介も引用します。
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やさしいヒーローを生んだ、やわらかな生き方。
アンパンマンは、人の心の一番やわらかい片隅から飛び立つ。
アンチ・スーパーマンを育んだ、しなやかな人生70年。
アンパンの顔に隠されたもう一つの戦後漫画史。
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幼少時の家庭環境は複雑でした。
父の死後、生まれたばかりの弟は叔父に引取られます。
自身は母と暮らしますが、母の再婚を機に、自身も叔父に引取られます。
ただし養子縁組をしたのは弟だけで、著者は同居していただけだったそう。
それでも叔父夫婦を、おとうさん、おかあさんと呼び、高知から東京の大学に進学させてくれました。
復員時には泣いて迎えてくれたそう。
実の親でない人たちから、親以上の愛情を受けて育ったことを知りました。
だからこそ、愛情深い作品を描くことができたのだと、納得しました。

兵役時は重火器部隊に所属していました。
台湾を経由して陸路上海を目指しますが、重火器は海上輸送のため手ぶらで移動しました。
移動中の戦闘には関わらず、目的地に到着する前に終戦を迎えます。
教練が厳しかっただけの戦争体験は、不幸中の幸いでした。
反面、弟は南方で亡くなっています。
戦争を断固否定する気持ちは、自身の戦争体験よりも弟を思う気持ちによるものかもしれません。

面白かったのは、兵役時の食事についての思い出。
移動中は薄い粥ばかりだったそうですが、終戦を知ったあとは、取り上げられる前に食べてしまえ!と、毎日豪勢な食事が続いたそうです。
お腹を減らすために走り回ることまであったそう。
食糧事情の悪い当時としては驚きのエピソードです。

三越時代に現在の包装紙の文字をレタリングした話。
高知新聞で同僚だった女性と結婚した話。
何でも屋の会社がサンリオになり、そこで「詩とメルヘン」を創刊した話。
などなど、とにかく面白いエピソードが満載。
その中でも、漫画家として大成したかったにもかかわらず、なぜか交流のない人からやったことがない仕事を頼まれることが多かったという話が面白かったです。
舞台美術に始まり、放送作家や果てはアニメ映画のキャラクターデザインまで、多種多様な仕事。
それも手塚治虫や宮城まり子、永六輔、いずみたくなど、そうそうたる顔ぶれからの依頼です。
本人も不思議がっていますが、読んでいるこちらも不思議でした。
ただ、先ほどwikiを読んで納得しました。
そこには、こう書かれていました。
業界内では「困ったときのやなせさん」とも言われていた、と。
とかく「俺が、俺が」という人が多い世界だからこそ、人柄の良さと溢れる才能を買われたのだと思います。
いかにも著者らしい、素敵なエピソードでした。

そしていよいよアンパンマンがヒットした時のお話。
出版社や父兄からは嫌われたが、3~4歳の幼児から支持されて人気に火が付いた話。
2%の視聴率しかとれない時間帯だから期待しないで下さい、とテレビ局から慰めを言われつつスタートしたアニメが、大ヒットした話。
こうして70歳の老・新人がようやく誕生したのです。
信じられないほどの遅咲きです。
例え才能に恵まれていても、その道で成功するとは限らないのが世の常。
著者が夢を追い続けることができたのは、その人柄が自然と引き寄せた「会ったことがない人々」のおかげでした。
彼らがもたらした「やったことのない仕事」で、生活が安定していたから、夢を追い続けることができたのです。
まさに「情けは人のためならず」。
人への情けが、まわりまわって自分を助けました。
まさにそれを立証した人生でした。
自分自身の「人柄」を磨くことが、いかに大切なことであるかを学びました。

そしておまけは復刊に際して追加された「94歳のあいさつ」。
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こんなに長く生きるとは思ってもいなかった。
この2年間で12回入院した。
手術もいっぱいした。
目はかすみ、身体はガタガタ。
それでも仕事は次から次へと舞い込んでくる。
あれもこれもと今後の計画は目白押し。
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最期まで忙しかったようです。
遅咲きでしたが大輪の花を咲かせて、著者は幸せだったことでしょう。

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