夢想花

チヨノ助のリアルと妄想の巣箱

久しぶりの更新(お仕事中~)

2016-10-05 15:57:23 | 日記
久しぶりの更新

ほんと・・・
放置してたなぁ

今年は残暑が厳しくて
大変だな
早く台風通り過ぎて涼しくなって欲しいものなんだけど
急に気温がさがって 短い秋になるのも嫌だし
バーゲン早くなるだろうな

愛する君に - The Golden Cups "1968

2014-01-22 00:26:00 | 好きな音楽
http://www.youtube.com/watch?v=KAmwxPVROJU

音楽の盛んな街に育った。
隣の家の兄ちゃんも、中学のクラブの先輩も
プロのミュージシャンに後になっていった。
年上の世代は、それぞれバンドを組んだりしていたらしい。

小学生の頃GSブームの洗礼を受けた。
若かりし日の叔母や、店に勤める住み込みのお姉さま方の部屋には
GSのレコードが沢山あったからかもしれない。

当時からなんとなく、ゴールデンカップスはカッコいいなと思っていた。
後に深く聴きこむ内に、歌謡曲ぽい曲じゃなくて、米軍キャンプ回りしていた頃のリズム&ブルースが原点だと知った。

でも、おませな私には、この曲の歌詞が気に入っていた。
少しずつ、恋の芽生えを覚え始めた頃だったのかもしれないな。。

Bobby Vee - The Night Has A Thousand Eyes (1962)

2014-01-19 22:13:34 | 好きな音楽
幼稚園の年長の頃から、何処で見つけてきたのか
母の勧めで英会話塾に通わされていた。
当時はまだ珍しかったかもしれない。
アメリカ帰りの二世の先生が教えていた。
彼女はハーフだったと思う。生きていれば今90歳くらいかな。
(今も、その英語学院はそのままの建物で存在している。)

初めは中学一年生のクラスに入れられて、そこで1年ほど・・・
その後、3年ほど個人レッスンで英会話を習っていた。
英語の弁論の暗誦をさされていて、TVに出る手前までいった記憶がある。
先生は、生まれ故郷のサン。ディエゴに私を連れて帰りたがっていた。
実は、私の母方の親戚がそこに戦前移民して住んでいたらしい。
もし、行っていたら私は今頃きっと怪しいガイドとなって暗躍していただろう。

さて、ボビー・ビーが日本で紹介された頃とこの時代がほぼ重なる。
先生は授業の始まる前や合間に、アメリカンな自家製のオヤツとともに
当時アメリカで流行っていたPOPSをレコードでかけて聴かせてくれた。

その影響なのか・・・
何故か、この唄が耳についていた。。
思春期になって、カーペンターズのアルバム「NOW&THEN」の中に
この曲がメドレーで入っていた時に、妙に懐かしさを覚えた。

今でも、歌詞を暗誦して唄えるくらいに好きな唄だ。

唄っているボビー・ビーは小柄で、頭でっかちで、当時の私に髪型も顔の感じもよく似ている。
先生も、幼い私に、ボビー・ビーの面影を見ていたのかもしれないかもw


http://www.youtube.com/watch?v=3GQAmTznY2o

モトコンポ

2014-01-17 22:50:45 | 好きな物

バイクは良いね!
アメリカンな風を受けるようなハーレーも良い!



こんな珍品も昔所有していたんだ。
発売されてホンダのウィンドウに飾られたばかりのを見かけて、即衝動買い。
街で一番早く手に入れた。。
というより、発売台数が少なくて、すぐ売切れたようだ。
当時、早速ウィンドウに入れて、ディスプレイの小道具に使ってみたんだ。
女性の服を着せたマネキンを跨がせているのに・・・
ウィンドウの前には男性の人だかりが。。
当時住んでいたマンションのエレベータに乗せて、ハンドルを折りたたんで家の中の廊下に置いていた。夜中に彼女の家からこれに跨って、自動車専用道路のバイパスをノーヘルメットのフルスロットルで走り抜けた思い出。。
俺も若かったなぁ・・・

2014年1月16日店内

2014-01-16 23:44:21 | 日記

寒い日が続く
道を行き交う人の数も少なく
ウィンドウ越しに眺める空は鉛のように重い
そろそろ正月の中仕事に忙しかったり、家事で忙しかった女性達が
息抜きと気分転換にやってくる時期
それを癒す役目が私共にあるのかもしれない。。