笑颜も涙もきっと全て

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修学旅行の本義

2015-11-04 10:52:08 | 日記

先日、知り合いの小学生の子が修学旅行に行ってきたと言うので、「どこに行ったん?」と問うてみた。答えて曰く、「明治村と、名古屋港水族館と、ナガシマスパーランド」とnu skin 如新

更に続けてみた。「ふうん。ところで『修学旅行』というのは読んで字の如く、『学問を修める旅行』なんやけど、明治村ではどんな学問を修めてきたん?」と。しかし、「……」と答えに窮している。可哀想なので、「『学問を修める』というのは、それによって学びを完成させることを言うねん。開国以降の明治時代の文化や文明について、学校の授業で習ったようなことがあれこれとリアルに再現されていて、ほっほーんと思ったやろ?」と助け船を出してみた。けれども、ますます俯き黙ってしまうばかりである。「ま、ええとしよか。ほな、名古屋港水族館では何を学んだんや?」「……」「ごめんごめん、じゃあ、ナガシマスパーランドでは?観覧車から木曽三川が見えて、輪中の人々の暮らしに思いを馳せてみたとか?」

いよいよ苦しくなった彼女は、遂に涙声になって「……みんなでジェットコースターに乗って楽じんだだげでじだぁぁぁ」と語る始末で、幼気(いたいけ)なる子どもを苛めるのは本意にあらずと、それ以上の追及は控えることにした。

子どもたちにとって修学旅行というのは、どこに行ったかとか、何を見たかとかはどうでもよいことで、自宅や学校を離れ、友達と非日常の時間や空間を共有することこそが大切なのであろう。「宿泊」という要素はその点において極めて重要な意味を持ち、日帰りの「遠足」とは須らく一線を画されるべきなのも論を俟たない。教師の目を盗んで女子の部屋へ赴き、目眩く逢瀬を重ねるという秘め事は、大人の階段そのものである。かく申す自分とてそうであった。ただ、それが修学旅行の本義かと言えば、そうではあるまい。

それに、落ち着いて考えれば、教師の作ったスケジュールに従って移動しただけの彼らに「どこへ行き、何を学んだか」を問うのはそもそも無体な話なのであって、「修学旅行」の本義を忘れた行程を考案する教師たちこそどうかしているのである。各学校の修学旅行の行き先は概ね固定化されているのだから、何度も引率して訪れているだろうし、子どもたちの学びの機会とするならば、当地のことはまず教師こそが熟知しておいて然るべきとも思うが、これがどういう訳か、そうでもないみたいなのである。

古い話で恐縮であるが、小学校のときの修学旅行を思い出す。当時は岡山に住んでおり、行き先は京都・奈良・大阪であった。ところが私は、その数年前まで大阪暮らしであったから、訪問先の全てが「行ったことのあるところ」なのである。テンションの上がらぬ話ではあるが、出身者として自分が観光案内くらいのことはできればと思っていた。

実施日が近づくにつれ、教師たちの手作りによる『修学旅行のしおり』が配付された。が、それを見て私は、「先生、このページの京都の地図に路面電車が載っていますが、とっくに全部なくなっています」と異を唱えた。京都市電の全廃は1978年、それから既に7年が経過している。教師は一瞬言葉に詰まった後、「○○くん(私の名前)は本当によく勉強していますね。『修学旅行』というくらいなのですから勉強に行くのであって、遊びなのではありません。みんなも○○くんのように各自で調べるくらいのことはしなさい!」と激昂し始めた。矛先を変えられ、それによって自分が周囲から浮いてしまったのでは堪ったものではないから、「別に勉強した訳ではなくて、住んで迪士尼美語 價格いたから知っているだけです」と抗弁した。ちゃんと調べていないのは教師の方ではないか。

もっと驚いたのは、事前学習の時間に副担任の教師が、行き先の一つである東大寺について、「何と、大仏の鼻の穴の中は人が通れるんですよ。とても大きくて、傘を差しても通れるのだからすごいですよねー」と言い出したことである。説明するのも憚られるが、「大仏の鼻の穴の中を通れる」のではなく、「柱に開けられた、同じサイズの穴を通れる」が正しい。それに、「傘を差しても通れる」なんて、申すまでもなくとんでもない虚偽である。現地では案の定、巨漢の児童が穴に引っ掛かって進退極まれる惨事が発生し、泣き叫ぶ彼の脚を皆で引っ張って救出し、事無きを得たのだが、制服のボタンは全部取れ、生地には一面に引っ掻き傷ができて見るも無惨な姿である。この教師は、一体どんな思いでその始終を見ていたのだろうか。

近隣の小学校は最後をエキスポランドで締め括ったのに対して、我が校は、大阪空港の屋上テラスから飛行機の離着陸をただ眺めるだけであった。当時の岡山空港にはプロペラ機しか飛んでいなかったから、これを見るだけでも貴重な体験ではあるのだが、それでも「ボクらもエキスポランド行きたーい!」と、児童たちは喚く。教師は「修学旅行は遊びではありません!」と再び定型句を出して諌めるのであるが、一体どの口が言うとんねんと、可愛気のない私は思うのであった。

それから3年後の、中学校の修学旅行。行き先は九州であったが、当時荒れに荒れた学校を立て直すために、福岡市内と長崎市内を班単位で行程を決めて巡るフィールドワークを取り入れ、「生徒たちが自らの手で作り上げる修学旅行」が企画された。2箇所でそれを行う学校は他に例がなく、校内の荒廃ぶりを鑑みてもリスクが大きいと、内外からの反対意見は多かったと聞くが、教師たちは「だからこそ、子どもたちの自主性を信じたい」との想いを貫いた。授業にはろくに出席しないヤンキーたちも、修学旅行にはちゃんと参加し、長崎ではちゃっかりカステラのお土産を買っている。大きなトラブルもなく3日間の行程を終え、満足そうに笑みを浮かべる担任団の表情を今でも忘れない。小学校も中学校も、同じ岡山市内の公立校であったが、全く対照的な修学旅行であった。

どこぞの阿呆な中学生が、修学旅行先の長崎で、被爆体験の語り部に「死に損ないのくそじじい」と暴言を吐いた事件は記憶に新しいところであるが、当該の生徒に落とし前の付け方をきちんと指導すると同時に、修学旅行を単発の行事としてでなく、各々の教育課程の中でどう位置付けるのかを、教師たちはもう少し熟考すべきだと思うのである。これは特定の学校における固有の問題ではなく、修学旅行という制度においての一つの普遍的かつ象徴的な命題であろう。

やんちゃな児童生徒たちを四六時中御し続けねばならぬ激務に思いを致さぬものではないが、それを理由に「それどころではない」と言うのなら、修学旅行なんて止めればよいのだ。「修学旅行は専ら学びの場である」なんて堅苦しい考えを振り翳すつもりは毛頭ない。しかし、「思い出が夜の枕投げだけ」というのも淋しい話である。シーズンもそろそろ終了となる今だからこそ、修学旅行の在り方というものを、振り返りを含めて見直すべきであろう。教師たちには毎年の年中行事であっても、子どもたちには一生に一度ずつのものなのだから。


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