平塚市美術館で熊谷守一作品15点見る

近代日本洋画の華-愛知県美術館所蔵品展-

を見に行ってきました。熊谷守一作品15点以外にも、
中村彝、小出楢重、長谷川利行、佐伯祐三、荻須高徳
他色々見ごたえある展示でした。6月21日まで。
熊谷守一作品では、皿の上に卵が乗ってる絵が気に入った。

美術館の近くには図書館と博物館があって、
入館料無料の博物館には、須田町の交通博物館で展示されていた
というミショー式自転車が、寄贈者が平塚の人だったって
ことで里帰りしていました。

博物館の隣の公園には猫がいて、これが携帯カメラを近づけても
全然動じることなく居眠りしている(冒頭の写真)。
後で写真見直したら、平塚市美術館で見た熊谷守一の猫の絵と
似たようなポーズだ。

熊谷 守一【MK ONE】(右側の猫の絵)

帰りに駅の南側にある古書店とバッハマンという洋菓子屋に寄った。
コメント ( 13 ) | Trackback ( 0 )

六郷橋残り一本の親柱の行方

写真は川崎市の稲毛公園にある六郷橋の親柱。
野生の人の住処が近くに……

1月頃、実家に帰るためバスに乗っていてふと窓の外を見たら
巨大な石灯籠のようなものが見えてきた。
以前はブロック塀があったけど更地になって灯篭だけ残って
いるのか、とよく見てみたら「ろくごうばし」という文字が。
何でここに親柱が!と車中でひとりうろたえる。親に聞いたら、
道路関係の役所の研修所か何かで少し前に更地になったそうだ。

じゃあ今度来たときに写真取りに行ってみるね、ということに
なったのだが行きそびれて、4月ごろ電話したとき聞いたら
「あれがねー、なくなっちゃったの」と母。あのとき途中下車
して撮りに行くべきだった、と後悔したがとりあえず色々検索。

親柱のうち2本は川崎の稲毛公園に平成14年に移築されている。
六郷橋の東京都側にある宮本台緑地にも六郷橋の親柱があるらしい。
こっちには橋門もある。写真を見ると親柱が一本しかないから、
私が見たのは公園に移築されていない最後の一本だったようだ。

大田区の公園: 宮本台緑地 - 仲六郷4-30
木に隠れて見えにくいですが、親柱は一本だけ。これは2年前の写真。

「六郷橋 親柱」でしつこく検索していたら、手がかりが!
管内予定地管理その他工事(川上建設のサイト)
「宮本台緑地に旧六郷橋親柱移設を行う為、」おお!

写真に親柱は映ってないけど日付「2009.3.3 」というのも
4月頃には私が見た場所から消えていたことと話は合う。
気になって川崎国道事務所に問い合わせたところ、担当の人は
唐突な質問に驚いたようでしたが、宮本台緑地に残りの一本が
移築されたことを教えてくれました。
それにしても、以前は通勤で毎日のように通っていた場所の
塀の向こうにまさか親柱があるとは思いもしなかった……

宮本台緑地には行ったことありませんが、ぜひ親柱に再会したい!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

半原小学校と大貫松三

写真は半原小学校旧校舎の廊下。
半原小は私が通っていた小学校と同じ明治6年の創立で親しみを感じる。

洋画家の大貫松三はこの半原小学校出身。和田傳の本の装丁した人です。
小学校の講堂に飾ってあったという大貫の絵「絵本を見る」の写真を
平塚美術館の図録で見たけど、かわいらしい絵だった。

神奈川県央の作家といえばとりあえず和田傳らしい。半原のある愛川と厚木は隣。
尾崎一雄や浅見淵を読んでなければずっと素通りであったろう和田傳。

第一小説集『平野の人々』 - 厚木市
和田傳が小説を出したときに大貫に装丁を頼んだ話が出てます。
私は大貫装丁のものより、秦野木綿を使った話のほうに心ひかれる。

和田傳 單行本書目 に大貫装丁の本の写真。

パリの朝市というレストランのオーナーが大貫松三のご子息で、
お店の壁には絵が飾ってあるらしいけどランチで2625円か……
しかもお店は池袋・銀座・新宿と3店舗。

半原小学校は先行き不安ですが、海老名市の旧村役場は移築保存されるようだ。
移転保存へ調査スタート/海老名の郷土資料館「温故館」 : ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

半原小学校の木造校舎

写真は、半原小学校の旧校舎を見学したとき撮影した「旧講堂の照明器具」。
校舎の写真はネット上にたくさんあるので。

神奈川県の愛川町にある郷土資料館が新たにオープンしたらしい。
それまで郷土資料館だった半原小学校の旧校舎はどうなるのだろう。
愛川町郷土資料館がオープン - タウンニュース

この旧校舎は2002年にも一度取り壊されそうになったものの
住民の要望で取り壊しをまぬがれ、郷土資料館になっていたのだった。
asahi.com : MYTOWN : 神奈川(愛川町半原小 旧校舎移築保存へ)

役場に問い合わせてみたところ、校舎が今後どうなるかは未定とのこと。
まだ壊されてはないようだけど、耐震性を理由に壊されそうで心配だ。
展示物は新しい資料館に移したとの話だったけど
「以前の郷土資料館の天井にあった旧講堂の照明器具はどうですか?」
と聞いたら、旧校舎にそのままとの答え。学芸員……いいのかそれで。

神奈川県央~県西の古い小学校は二宮金次郎像がいる確率が高い、と思う。
まあ一応金次郎の本場(?)だし。最近は気安く小学校内に入れないので
外側から遠く眺めるだけなのが残念。半原小学校にも金次郎はいた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

山北町の共和小学校門柱

新たにカテゴリ作成しました。
神奈川県(横浜以外)の古い建物や建造物はこのカテゴリで。

先日ハイキング途中で通りかかった山北町の共和小学校門柱。
校舎は新しかったけど門柱だけ古かった。

ハイキングは御殿場線の谷峨駅下車だったんだけど、
尾崎一雄が妻と一緒に緑茶を買いに行くとき下車した駅だ。
現在の駅舎は平成になってから新しくなったもので、
昔の駅舎の写真は↓に。
ごてんばせんネット|谷峨駅

お茶を買いに行っていたという神奈川県農協茶業センター
谷峨駅から徒歩10分くらい。

お茶を買いに行く話はどの本に書いてあったか忘れてしまった。


神奈川県西の近代建築といえば、小田原少年院が移転だそうで、
震災後に建築された庁舎が取り壊しになっていた。
小田急線から二階部分と屋根が以前は見えたので通るたびに
眺めていたのですが。
小田原少年院が移転 - タウンニュース

それから秦野市の洋館は、取り壊されたものの
部材を一部保存してあって再建を目指すらしい。
最古の洋館再建へ/秦野で市民が25日に呼び掛け人の会 : ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

明誠書房の思い出と溝の口の古本屋

古本屋ツアー・イン・ジャパン: 4/24神奈川・溝の口 明誠書房 溝の口店
で溝の口が取り上げられてたので溝の口の他の古本屋と思い出話。

コメント欄で言及されていた「ももや書房」は残念ながら知らず。
岡崎さんの言う「入口は狭いけど棚が迷路のよう」は心当たりがない。
西口商店街にもう1軒古本屋があったけどそれは短期間でなくなった。
私が学生の頃は十字屋入り口の信号の前にも1軒、島崎商店から高津
方面に進んだところにも1軒あったけど、棚はどうだったか忘れた。
ノクティの裏側、武蔵新城寄りの線路沿いにある「溝ノ口駅前ストアー」
(商店街ではないけどこれも闇市の名残?)にも確か1軒あって
そこはまだ営業してたはず。店名は覚えてない。

隣駅、高津駅から徒歩数分のところにも1軒ある。
検索してたらまちBBSのログにその店のことが出ていた。
文芸書や古い本が結構あった気がするが、これも店名覚えてない。

梶が谷駅近くの旧大山街道にも1軒。(改札出て左→突き当たり左)
昔からあった店でもなく、古本というよりも「中古本」的な
品揃えでした。検索したら「古本グリーンブック」らしい。

そして明誠書房。
以前川崎市に住んでたので明誠書房にはよく行っていた。
初めて旺文社文庫の古本、『百鬼園随筆』とか買ったのもこの店。
週に何度か会社帰りに溝の口のスポーツクラブに寄るときは、
西口商店街のこの店の前を通って均一と店内を見ていました。

小池さん風のお店の人とはたまに話す程度だったけど、夜行くと
コップ酒飲んでほろ酔いだったり(隣は立ち飲み屋)「値札はダイソーの
シールはがしで取るといいよー」と気前よく教えてくれたりしました。
文芸書は売れないんだよねーとも言ってました。『野溝七生子というひと』
800円が長いこと売れ残ってたり、値段も全般的に安いです。
最初に一箱古本市出たときの出品本はここの本が結構ありました。

散歩の達人の「二子玉川・溝の口特集」で明誠書房が取材されてて
小池さん風のお店の人の写真も出てます。
古本屋ツアー・イン・ジャパンは昼間の探訪ですが、
お隣は「かとりや」という居酒屋&立ち飲みなので、もし行くなら
夕方が絶対おすすめ~。すぐ隣でおじさん達が飲みながらわいわいやって
その後ろをごごーっと南武線が通る中、均一本を眺めるのが楽しい。

「かとりや」は小学校時代の友達と「あの店気になるよね」と一度行った
ことがあります。立ち飲みじゃなくて居酒屋のほう。立ち飲みは流石に……
八百屋の横にもう1軒立ち飲み屋があります。どっちも建物の中で立ち飲み
じゃなくて、商店街の通路で飲むのです。

この商店街には本屋がもう1軒ありますが、店頭に女性向け雑誌が
置いてあるものの、店内はどうも成人男性向け本中心らしい。

以前書いた「地元古本屋でヨッパライ店主と語る」はこの明誠書房のこと。

それにしても自分は古書店の屋号を覚えてなさすぎる。これからは気をつけよう。

以下まちBBSの書き込みコピー。
8で言われてる前者の店が「溝ノ口駅前ストアー」にある店。

溝の口 溝ノ口 溝口 みぞのくち MIZONOKUCHI 【Part102】
http://www4.machi.to/bbs/read.cgi/kana/1201619365

5 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/01/31(木) 10:37:20 ID:74N6NoaI

溝の口に古本屋さんってありますか?


6 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/01/31(木) 13:02:29 ID:TAsaXQto

ブックスーパーいとうが府中街道沿いに。
高津の駅から川崎方面へ走っていくと右側にありますよ。
ちょっと離れるけど中原街道や梶が谷にブックオフが。


7 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/01/31(木) 21:32:49 ID:9LnMdndQ

小さい古本屋なら何件かあるよ。
「古本 溝の口」でぐぐって見ると地図で3件でてくる。
自分が知ってる限りあと2件あるけど詳しい場所が思い出せない・・・


8 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/02/01(金) 00:14:21 ID:Ta4kSSDQ

>>5
溝口駅(東急/JR)から南部沿線道路を武蔵小杉方面に歩いていって、
ドトールのある交差点の、ドトールの斜向かいに1軒。
路面に100円本を並べてあるから分かりやすいと思う。

もう一つ。高津駅前の本屋と松屋の間の路地を10mほど入って行って左手に1軒。
古本を載せたワゴンが店先に出てるから、こちらもすぐ分かると思う。


9 名前: 神奈さん 投稿日: 2008/02/01(金) 01:38:11 ID:pWV15hu2

>>8
後者の本屋は、閉まっていることが多いので注意。
聞けば親父の遊びが、忙しいらしい。

紐で縛られた本の中に狙っているものがあるのだが、
なかなか並べてくれませんし、売ってもくれません。むぅ。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )

『銀座ばやし』に小野佐世男と玉川一郎

小野佐世男の絵がある温泉宿、玉翠楼で玉川一郎の
名前がある寄せ書きを見たとき思い出したのが、
永井保『銀座ばやし』に掲載された玉川と佐世男の絵。

この『銀座ばやし』は銀座中央通りに震災前・震災後・
戦災前それぞれの時代にどんな店があったかという解説が
あるので買ったのだけど、佐世男のホラ話を偲ぶ
「SASEO空談」という文章も載ってたのでした。

この文章では「小野さんと同い年という玉川さんは、
報道班員として、ジャワでも一緒であった」と仲良かったみたい。

玉川一郎の『私の冗談辞典』には
二人の間で「おないどしの者だけの会にしようや」と
明治38年生まれを集めた会を作る計画が持ち上がるものの
実現せず、小野の没後に森永製菓の稲生平八常務が雑務を
引き受け三八会が発足したと書いてある。

メンバーは木村義雄、石川達三、田村秋子、成瀬正勝、鹿島孝二、
春風亭柳枝、中山正善、島田正吾、辰巳柳太郎、稲生平八、
馬淵威雄、福田蘭童、伊藤整、高橋健夫、水谷八重子。

入江相政の随筆に三八会の集まりに出た話があるので、後に
加わったのであろう。確か公務員はお断りだけど特殊な公務員
だから入会をゆるされた、というような話だった。

このメンバーに石川達三がいるけど、玉翠楼には石川達三が
絵か何かの集まりで来たときの寄せ書きもありました。
これも玉川とのつながりかな?
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

玉翠楼に佐藤垢石・小野佐世男、他の寄せ書き

パイプクラブの寄せ書きではないけれど、
小野佐世男存命中の寄せ書きもあった。こんな写真ですがご勘弁下さい。

昭和二十七年早春
於 玉翠楼

日付の右側 上から
玉川一郎 林忠彦 (名前読めず)
日付の左側 上から
麻生豊 (名前読めず) 小野佐世男 佐藤垢石 永島一朗

玉川一郎の『僕の冗談辞典』『つんどくほん』などを見ると
他の地方だけど佐藤垢石と一緒に旅行したときのことが出てます。
玉川一郎の著書によると、麻生豊は垢石のお世話役的存在だったらしい。
玉翠楼のことを書いたものはないか探したけど、うちにある本では発見できず。

今昔あつぎの花街 飯田孝 2002.08.15(NO38) 「ゲイシャワルツ」の時代
によると昭和27年の鮎漁案内のパンフレットに、当時厚木を訪れた有名人が
紹介されているそうで、その文章が引用されています。
この色紙のメンバーでは佐藤垢石・小野佐世男・麻生豊・玉川一郎・林忠彦の名前。

玉翠楼に絵を描いた小野佐世男(絵を提供した時期は分かりませんが)が
戦後に玉川一郎たちを誘い、小野の没後は玉川がパイプクラブの面々を誘ったのだろうか?

というわけで、玉翠楼に行ったら寄せ書き見てみて下さい。
猪鹿馬喰会の寄せ書きは玄関あがってすぐ右側、他の色紙は洋館の壁にあります。


あと玉川一郎の写真。文藝春秋|輝ける文士たち|裸のつきあい
リンク先、一番上が「坂口安吾×今日出海 全裸で絡み合い!」なのでご注意。
風呂ですけど。その下が玉川一郎です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

玉翠楼にパイプクラブの人々の寄せ書き(続)

同じ日に書いたらしき色紙が洋館の壁に飾って
ありました。「玉翠楼」の左隣の名前が読めない。

昭和三十一年一月廿六日/於 廣沢寺温泉玉翠楼
猪鹿馬食会 / パイプクラブ

右上:煙 玉川一郎
右下:式場隆三郎
「玉翠楼」の左隣:?
「パイプクラブ」の左側:石川欣一
左上:中村研一
左中:辰野隆

パイプの絵の横:(渡辺)紳一郎

パイプクラブについては
パイプの愉しみ方|日本パイプクラブ連盟
に設立・解散の経緯が解説されてます。石黒敬七によるメンバーの絵もあり。

玉川一郎の著書を読むと、小野佐世男とは同い年で戦中も一緒に
ジャワへ行き仲が良かったようだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

玉翠楼にパイプクラブの人々の寄せ書き

※クリックすると画像は大きくなります

玉翠楼の近くにある七沢温泉には、小林多喜二が滞在していた
宿があります(近年旅館名が明らかになったらしい)。

が、私は多喜二よりも玉翠楼だ!
玉翠楼にはパイプクラブの面々の寄書きが飾ってある!
ネットで検索しても誰も言及してないので、あまり知られてない?

寄書きの中にはとんち教室の玉川一郎・石黒敬七の名前もあるので、
キムラヤでとんち教室を知って、さらにこの温泉に来たのも何かの
縁てことで寄せ書きの内容を書き写してみた。

男の人の絵が石黒敬七。猪の「紳」は渡辺紳一郎?
左端の人の名前が読めない。
宿の人に聞いたところ、昭和40年代になっても玉川一郎は
この宿を訪れていたようだ。

昭和三十一年 / 一月廿六日 / 於 玉翠楼 / 猪鹿馬喰会

猪喰ふて / むたひ(?)なき世や / おらが春 隆

馬が鹿喰ふ / 目出度さよ / 欣一

玉川一郎

シシクッタムクイ
449+691
  -534=?
  デゴザンショー

今宵は私を慰むる会である / 前左大臣 / 源朝臣
(その後の人名読めず)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ