竹原さんの現象学的な考えを理解しやすくするために「恋愛」を対象とする本を読み始めた。
そこでもやはり、「有意味的」といった「特異な」?言葉づかいが気になった。
そうした「哲学的」というか「現象学的」というか、の表現は飛ばしていっても文意は読み取れるのだろうけど、寧ろそうした「哲学的恋愛論」とか「現象学的恋愛論」という当たりが肝要だろうと思って少し調べる方針を立て始めた。
この「世界と有意味性」といった特異な?フレームはハイデガーに由来するらしかった。
「意味」というキーワードで調べるとフッサールの『論理学研究2』では「表現と意味」となっていて「言語や態度といった人間が表現したものの意味」を指しているように見受けられる。もちろん実際に読んでみないと分からないけれど。
だけど、ハイデガーや竹原さんの「意味」は「表現の意味」といった狭い意味でなく、
それは廣松渉なんかもそうらしく、『世界の共同主観的存在構造』だとか『存在と意味』なんかを読んでみようかと思っている。
まだ良くは見通せないけれど、何か見えてくるかも知れない。
そこでもやはり、「有意味的」といった「特異な」?言葉づかいが気になった。
そうした「哲学的」というか「現象学的」というか、の表現は飛ばしていっても文意は読み取れるのだろうけど、寧ろそうした「哲学的恋愛論」とか「現象学的恋愛論」という当たりが肝要だろうと思って少し調べる方針を立て始めた。
この「世界と有意味性」といった特異な?フレームはハイデガーに由来するらしかった。
「意味」というキーワードで調べるとフッサールの『論理学研究2』では「表現と意味」となっていて「言語や態度といった人間が表現したものの意味」を指しているように見受けられる。もちろん実際に読んでみないと分からないけれど。
だけど、ハイデガーや竹原さんの「意味」は「表現の意味」といった狭い意味でなく、
それは廣松渉なんかもそうらしく、『世界の共同主観的存在構造』だとか『存在と意味』なんかを読んでみようかと思っている。
まだ良くは見通せないけれど、何か見えてくるかも知れない。