哲学以前

日々の思索を綴ります

ヘブライとギリシア

2017-05-20 15:41:56 | 日記
関根清三さんの『倫理思想の源流~ギリシアとヘブライの場合』が届けられた。

う~ん、この本はじっくりと読んでいきたい。「序論ー「驚き」」から「結語ー再び「驚き」をめぐって」まで知的興奮に満ちた書だと感じる。

特に出隆の「智慧を求める愛の努力」という規定に関わることが、この本で説かれている「アリストテレスの愛についての考察」だと思われる。

「アリストテレスが、正義を超えるものとして愛(philia)を位置づけていることは、次の一句に既に窺われる。

 共同体を結合するものは愛であり、立法者は正義よりも愛についてより一層心を砕くように見える。・・・人々は愛し合っていれば、全く正義を必要としないが、正義の人であっても、なおその上に愛を必要とする。最高の正義は愛の性質を帯びている。(『ニコマコス倫理学』第八巻1章1155a22-28)」(『倫理思想の源流』p129-130)

人と人との結びつきの根本に「愛」を見たアリストテレスの学統を継承し、出隆は哲学について「智慧を求める愛の努力」と規定した。それはやはり、アリストテレスを深く研究した人物だったからだろう。

そういえば、トマス・アクィナスの体系も根本は「愛」だということをアクィナス研究者の山本芳久さんが昨年の研究発表会で述べていた記憶がある。

このアリストテレスの学統を継承し「愛」を根本に据えた出隆に対して、なんごうつぐまさ及びさいりんぶんじの見解は

「論理能力の幼さ、低さが、解答を論理として把握しえず、文学として感じてしまった」(なんごう&さいりん)

いやはや・・・・なんとも・・・・

なんごう氏の専門である武道論において「愛」を体系に組み入れているのは私の管見では植芝盛平、宗道臣、高岡英夫、・・・そして「精力善用、自他共栄」を唱えた嘉納治五郎。

なんごう氏の場合は「命を懸けた真剣勝負=殺し合い」という本質を中心として「日常生活の武道化」なる「殺傷能力を高める」という所へ収斂していく体系=生活規律体系だと聞くが・・・。

それは果たして、どうなのだろうか・・・・?
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