哲学以前

日々の思索を綴ります

出隆の淋しさ

2017-04-29 12:11:03 | 日記
出隆が『哲学以前』の冒頭で吐露している不審や淋しさとは、哲学についての不審であり指導教官への不審なのだろう。

それが「真理思慕」というタイトルに端的に表れていると思われる。

出隆は純真に「真理」を追い求めていたのだろう。だが、大学の学部では桑木厳翼や波多野精一らの指導の下にスピノザを研究する。

汎神論のスピノザは出隆にとって真理ではなく宗教だと映ったのかも知れない。

だから大学院では「近世認識論史」の研究へ移ったに違いない。出隆にとって求めるものは「真理」だったから。

その真理探究としての営みとしての哲学に不審を抱き「そもそも哲学とは何なのか?」を求めて歴史を遡りギリシャ哲学の研究へ行ったと思うのだが、おそらく出隆は「哲学とは何だったのか?」を問うためには「哲学以前」まで遡らねばならぬことをギリシャ哲学そのものから学び、さらに遡ったに違いない。

そして「処女地」で知ってしまった。真理の探究だと思っていた哲学の始まりが宗教であり信仰であったことを。

出隆の淋しさとは、真理を求めて行き着いたところが信仰だったことの淋しさだったのかも知れない。

実の親だと思っていたところが、自分が捨て子だったことを知ってしまった淋しさのようなものだろうか?

それが、『哲学以前』の次の著作が『神』であり、後にマルクス主義に共鳴して共産党に入党した「一貫した誠実な人間性」かも知れない。
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