哲学以前

日々の思索を綴ります

現代論理学

2017-04-05 17:27:16 | 日記
デスパーニアの実在に関する本に驚かされながらも、新たに届いた実在論についての本を読んで心の平静さを多少は取り戻した。

『言語・科学・人間~実在論をめぐって』に収められている丹治先生の「科学的実在論への疑問」を読んで、やっぱり専門の物理学者や哲学者であっても「科学的実在論は分かり難い」と感じているんだなと安堵した。

丹治先生は先のデスパーニアの本の訳出にも関わっているが、今回届けられた論理学の本も丹治先生の著書なのだ。
どうやら私自身は意識していなかったがアマゾンの関連本で興味ある本を発注したからたまたま著者が一緒だったようだ。

この丹治先生の『論理学入門』の序論に次のように書いてある。

「論理学とは論理的真理について体系的に考える学問である。論理的真理とは、論理語の働きだけによって真であることが保証されるような命題である。」
「つまり論理的真理は、その要素となる命題の内容にはよらず、合成された命題の形式だけによって真なのである。(そのために、本書で扱うような現代の論理学は、しばしば「形式論理学」と呼ばれる。)」

また、この本の裏表紙の解説には

「「論理的に正しい」とはどういうことか?疑い得ない確実な推論と論証はどうすれば可能なのか?」

とある。こういった問いは決して一般的なものではないように私には感じる。

ちなみに以上の記述と対照的だと感じるのが滝村が『試行』第29号(1969年)に書いた原稿だ。

「対象に関する<原理>や<方法>を予め設定してかかるということは、全く逆転した<哲学>的かつ観念論的な方法であって、科学者の態度としては原則上厳しく斥けられねばならぬというところにある。」

滝村の述べているのは所謂「経験諸科学」で先の『論理学』からの引用でいえば「形式」よりも「内容」の論理的繋がりというわけだろうから、専門的諸対象と実際に取り組んでみる前に究明方法が分かるはずもないとの話になるんだろう。

そうした経験諸科学の場合、例えば生物学的に正しいとは?とか政治学的に正しいとは?なんて問いかけが突然に生じるはずもなく、生物学の何の話なのか?が更に問われるはずだろう。

だから対象が何なのかさえ明確でない段階で「正しいとは?」なんて問いかけるのは経験諸科学の発想ではないだろう?

だが、そう問いかけて可笑しくない領域があるのかも知れない。それが論理学なのかも知れないし、それはPsychology(心の論理)だとかBiology(生物の論理)だとかではなく、「何かの形式の論理」なのかも知れない。それは、これから時間をかけて探って行きたい。



つづく
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 言葉と絵 | トップ | 仮説演繹法 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。